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【紅の魔剣】

- 紅の暴君 -



 そして、迸るは赤い光。
 夕焼けのような、紅玉のような、――何よりも血の色に近い光が、戦場を覆い尽くそうと迸る。

 それは、戦いのさなか。
 それは、イスラがいた場所。
 それは、レックスの鼓動が煩く主張を始めたとき。
 それは、がその身を傾がせたとき。

 それは、――ほんの一瞬だった。

 背筋が泡立つ。
 身が総毛立つ。
 この島に来てからもう何度も感じたそれに、は迷わず、彼の名を呼んでいた。

「レックス……!」

 それは、碧の賢帝が姿を現すとき、必ずといっていいほど伴なう症状だったから。
 島の意志、力、呪縛、そして狂気。
 それらで凝ったモノが、碧の光とともにカタチを得るとき。
 いつか潜った深くで、囚われる魂を目にしたとき。
 感じていた、云い知れぬ悪寒。

 けど。
 迸った光は、赤く。
「……え?」
 赤い髪の青年もまた、赤い髪のままで、そこにいた。

 ――どくん

 ならばこれは何かと。
 問うまでもなく、答えは得られる。
 赤い髪の青年を見たの目は、当然のように、その向こうに立つ彼の姿も視界におさめていたのだから。

 “彼”の髪は白く。
 “彼”の眼は赤く。
 “彼”の手に握られる剣は、血の色めいて赤く赤く赤く――

 それでも。
 そんなふうに変貌しても。

「イスラ――!?」

 とっさに浮かべる“彼”の名を、間違えたりなどはしなかった。


 ……一対の魔剣があった。
 碧の賢帝。
 紅の暴君。
 それぞれに名付けられた魔剣は、長く、無色の派閥に封じられていた。
 それが解かれたのは、そう遠くない昔のこと。
 派閥から持ち出されたのは、しばらくした後のこと。

 一言ではすまぬ経緯を経て帝国の手に渡り、そして、あの嵐の日、一度は海中に失われたと、それを知る誰もが思った魔剣。

 それを握った手があった。
 碧の賢帝は、赤い髪の姉弟が。

 そして、その片割れを握った手があった。
 紅の暴君は、

「ってちょっと待て! いつの間にそんなもん持ってたのよあんたは!!」


 イスラ。
 黒く短かった髪は、レックスやアティの変貌とほぼ同じくらいの長さにまで伸び、瞳は腕にまといつく剣と同じ真紅に染まり。
 紛れもなく魔剣によって行なわれた変貌を、まざまざと衆目に見せつけながら、彼は、の怒声に対して肩をすくめた。
「ずっと持ってたよ」
 ……なんですと?
 まさか素直に答えてもらえるとは思わなかった。そしてそれ以上に、そんな回答が出るとは思わなかった。
 思わず固まってしまったを一瞥し、イスラは視線を動かす。
 入り乱れる敵味方、その前方に佇む赤い髪の――
「!?」
 視線がそこに移動した瞬間、イスラは無造作に赤い剣を振るった。
「さがれ……!」
 叫ぶ誰かの声は、迸る力と光、轟音に紛れてかき消える。
 向いた視線そのまま、真っ直ぐに進む赤い力は、けれど。

 バシィ、と。

 進行方向から放たれた、碧の力にぶつかって四散した。
 出所は。
「レックス!」
 呼びかける姉の声に応える余裕もなく、白い変貌を果たしたレックス。
 長い白い髪を得、瞳を碧に染め、そうして腕にはシャルトスを絡みつかせ。

 色合いこそ違えど、レックスとイスラが対峙している様は、まるで向かい合わせの鏡のようだ。

 そういえば、と、思い出す。
 いつかアティの変貌に、レックスが引きずられていたことを。それならば、対である魔剣の片方にこうして影響されることも、あるといえばあるのだろう。
「……っ」
 いや。
「そう。それでいいんだよ」
 そうしなきゃ、僕とは戦えない。――よく判ってるみたいだね?
 硬い表情で剣を持ち上げるレックスを見、イスラがクスと笑う。
 その台詞が示すところは、ただひとつ。
 レックスはたぶん、己の意志で碧の賢帝を現出させた。半ば意識して、半ば無意識に。
 共鳴したのもあるのだろう、だけど、対たる魔剣の使い手だからこそ、レックスは察したのだ。
 そう。
 対たる魔剣に対抗するのは、対たる魔剣でしか敵わない。
「じゃあ始めよう。これからが、本番だ」
 イスラの発する敵意と殺意、紛れないそれを感じたからこそ、レックスの変貌は成ったのだ――
「……イスラ」
「何。今さら命乞い?」
 がちがちに硬い声で名を呼ぶレックスを、イスラは嘲笑さえ織り交ぜて見返す。
「やめよう。これは――こんなふうに力を揮ったら」
 それは、必死に何かを堪えているような声だった。
 ぎゅ、と握りしめられた、剣を持たないほうの手のひら。異常なほどに白くなった肌の色が、そこにかかる負荷とレックスの不安を予想させる。
 誰よりレックスの近くにいたアティは、弟の呼吸が常になく荒く、不安定になっているのを悟る。
 何を云うべきか判らぬまま、それでも声をかけようと唇を持ち上げかけ――
「……レッ、クス」
 途切れ途切れにつぶやいた名は、届くことは届いたらしい。
 ちらり、自分を見下ろす弟の眼は、
「――、」
 ひ、と。
 息を飲むほどに、冷たかった。
 だがそれは、ほんの一瞬。すぐに、レックスは苦笑いに似た表情を浮かべて、握りしめていた指を解いた。
 じんわりにじむ赤い色――爪で、手のひらの皮膚を突き破っていたらしい。それを懸念してかどうか知らないが、彼は、ほとんど指の腹だけを使って、アティの肩を、とん、と押した。
「下がってて。……アティ、姉さん」
 最後に、泣き出しそうな笑顔をつくると、レックスはそのまま姉に背を向ける。
「レックス……!」
 すぐ目の前のその背中が、手も届かぬほど遠くにあるような。そんな恐慌めいた感情のまま、アティはレックスに向けて腕を伸ばす。
 だが。
「きゃ……っ!」
「あぶねえ!!」
 間をおかず吹き荒れはじめた、碧と紅の奔流に弾き飛ばされ、たたらを踏んで倒れかける。
 あわやと思われた背を支えてくれたカイルを見上げ、すぐにまた足を踏み出そうとしたけれど。
「やめなって、先生!」
 切羽詰ったソノラの声と、
「先生……!」
 何か、すがりつくように集ってきた子供たちが、それを踏みとどまらせた。


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