一際高く、一際大きく、その音は戦場に響き渡る。
「殿……!」
ひとり、あのサムライに向かって突っ込んでいった少女。彼女がとうとう、その男相手に剣を振るい始めたのだと、キュウマは察した。
プニムが混戦の足元を抜けてあちらに走っていくのは確認したが、果たしてひとりと一匹だけで、あの男を抑えられるかと訊かれたら、彼は首を横に振るだろう。
出来ることならば、せめてあとひとり――己くらいは加勢に向かわねば。そう思う心は逸るけれど、それは、とうの少女が看破したとおり、難しい相談だった。
兵士の質は先刻以上、かつ、無傷。
対するこちらは、連戦の疲弊が積み重なっている。
付け加えるなら、数で勝っているのも派閥側だ。
ならば下手に戦力を分散させすぎるのも、愚の骨頂だと。判っては、いるけれど。
生じる焦りは、止められない。
「く……!」
それを半ば無理矢理押し殺し、キュウマは刃を振るう。
焦る気持ちは、きっと誰もが同じだ。そんなことは判ってる。
そして焦れば焦るほど、攻防は精彩を欠いていく。そんなことも判ってる。
だけど自然にわきおこるそれを制御するなんて、この心がある以上、出来るわけがないのだから――
「イスラ! もう――」
「やめて、って?」
嘲笑と共に振り下ろされる剣を、アティは己の長剣で受け止める。
その一瞬、生まれた制止を逃すことなくレックスが動いた。横手から走りこみ、剣の腹をイスラの鳩尾目掛けて叩きこむ。が、予想していたらしく、イスラは軽々とそれを躱した。
危ない危ない、と、ちっともそんなこと感じていないようにつぶやいて、大きく距離をとる。
「ひとりに対してふたり、か」
紡がれたことばの、云わんとするところを察して、レックスとアティは同時に苦い表情をつくった。
たしかに、イスラは後から出てきた分余裕がある。それを差し引いても、力で押さえつけるようなこの人数差は、責められれば反論出来ない。
けれど、それでも。
ならば、と、退くわけにはいかないのだ。
「あなたさえ無力化すれば、終わりますから」
戦いの喧騒を鎮め、興奮を抑え、そうして話し合うための時間を得よう。
ただそれだけを願って、アティは剣を正眼に構えた。
「無力、ね」
そんな彼女を嘲るように、イスラは笑う。――いや。
「無力か――」
続けてつぶやかれた声には、それまで見せた以外の感情が含まれていた。
ひやりとしたそれはさして大きくもなかったはずなのに、周囲で戦闘を続けていた数人にも届いたらしい。
ちら、と、彼を見やる視線。
届いた誰もが、そこにある種の危険性のようなものを感じていた。
それを受け、イスラはひとつ頷いた。
「なら、見せてあげるよ」
――どくん
鼓動、ひとつ。
――どくん、どくん。
鼓動、ふたつ。
――どく、どく、どく、どく、どっどっどっどっど……
鼓動――無数。
唐突に跳ね上がりだした心臓を抑えたレックスの視線の先で、イスラは驚くべき行動に出る。
「え……!?」
手にしていた剣を、彼はその場に投げ捨てた。
そして。
見せてあげるよ。
もう一度、口の動きだけでイスラは云った。
「僕が、君たち程度に無力化されるような存在か、どうかね……!」
――そして、
どくん、
心臓が、小さく跳ねる。まるで何かの予兆のように。
ウィゼルと切り結ぶこと、すでに数十合。たしかに疲労は無視できるものではなかったが、唐突に発生した違和感がそのせいでないのは、すぐに判った。
「ぷ!」
ちょこまか、ウィゼルの足を邪魔しようと走り回りながら、プニムの繰り出す岩石落とし。
「ふん」
難なくそれを切って捨てつつも、一々対処しているということは、当たればそれなりに痛いとは思っているのだろうか。
「――ハッ!」
視線が岩から戻りきる前に、剣を突き出した。
が、こちらを見もせずにウィゼルは刀を振るい、攻撃は防がれる。
受け止めた力は弾き返せるほど弱いものじゃない。そのまま利用して、は数歩分の距離をとった。間を置かずに再び前へと突っ込み、ウィゼルが対処のために剣を振り出す直前、真横に飛ぶ。
が、切っ先はそれについてくる。
フェイントのつもりが読まれていたことに舌打ちし、止まるつもりだった地面を蹴り、さらに横へ。
ウィゼルはそれを追わない。の移動した距離、生まれた間合いが、彼女の一投足で攻撃に転じられるものでないと判っているからだ。
刃こぼれひとつしていない刀を、とん、と肩に担ぎ、彼は、ひたりとに視線を固定した。
「……」
笑んでいる。
口元は真一文字に引き結ばれたままだが、目は僅かに細められていた。
けっして馬鹿にされているのではない、それはにも判るのだが。
「音を上げないのは立派なものだな」
「それは、どうも」
はあ、と。
すでに荒くなっている息を大きく吐き出して、とりあえず素直に応じてみた。
きゃんきゃんと鳴く子犬を眺めているような視線へ感じる、ちょっとした不満はこの際横に置いておく。ウィゼルにしてみれば、など本来、一ひねりでことの済む相手であることに間違いはないんだろうから。
そして多分、ウィゼルはこれから、それを証明する。
「流派を問おうか、娘」
「……」
重心を僅かに落とし、ウィゼルが云った。
は、呼吸を整える程度の間をとって、応じる。
「旧王国領……崖城都市デグレア」
そうしながら、間合いを目測。彼我の距離は、一足飛びに攻撃の間合いに入れるものではない。が、それはにとってだけの話。
そんな距離など無効にし、傍目にも疲弊してるのが判る獲物を確実に狩れる技を、ウィゼルは持っているのだから。
……でさえ受け止められる攻撃を続け、こちらからのそれは避けずに受けて消耗させてきたこと。それは、彼が、この機会が訪れることを確信してた証明だ。
「そうか」、と、姿勢を崩さぬまま、得心がいったようにウィゼルは頷いた。「力より技に重きを置くは女性故か――だが、礎はたしかに鷹翼将軍の流れだな」
「――――」
懐かしい名だ。
逢ったこともない、養い親の実の父親。
……そっか。
少しはあたし、近づくこと出来てるのかな。
「戦ったことがあるの? 鷹翼将軍と」
「しばらく前だがな。獅子将軍共々、素晴らしい使い手だった。機があれば是非再戦してみたいものだ」
「そう」
それは、嬉しい。
時の流れがウィゼルのことばを叶えないことを知ってはいても――
「楽にしてやろう」
つと。鞘におさめられる刀。
躊躇など一切なく、そこに添えられる手。
――ああ。
負けられない。
逃げられない。
その流れを汲む者として、風上にもおけない未熟者かもしれなくても。
そのことばを聞いてしまっては――これからくるのが絶対の攻撃でも、そんなものに、負けるわけにはいかなくなってしまった。逃げるなんてとんでもない。
……あたしの持つ、あたしたちの誇りのためにも。
そして、きらめく。
「……」
白刃。
それがすべて姿を現す前に、
「ウィゼル・カリバーン!!」
は、その名を叫んだ。そして、地を蹴った。
僅かにウィゼルが目を見張る。
の叫んだそれは、彼の名だ。未だ名乗りもあげていない、ウィゼルの名前。
本来知り得ぬ名を、何の前触れもなく告げられる。それに、ほんの少しでも驚かない者がいるだろうか。
不意打ちも、奇襲も、戦う者なら常に予想していよう。だが、たかが一言の、けれどありえぬその呼びかけを。――果たして、予想出来る者がどれほどにいるか。
短剣を構えて、懐に飛び込む。
ほんの一瞬だけ稼いだ時間は、だが、刃を届かせるまでに接近するには足りない。
ウィゼルの動きはよどみない。
本来は目にも出来ぬ速度だろうに、何故かやけにゆっくりに見えた。
どこかで見た、そんなスローモーション。ああ、たしか禁忌の森で。あのときは命さえ危ないと思って。
そうか。
命潰えさす何かを前にしたら、こんな感覚が生まれるのか。
でも何故。
こんなゆっくりとした時間を、何故、得ることができるんだろう。
死への覚悟をさせるため? そのために、こんな、間際を見せつけるようなことになるの?
……ちがう!
このスローモーションが、死を予感した本能がもたらすもののはず、ない。
誰も痛みを長引かせたりなんてしたくない。だというのに、こんなにゆるやかに流れる時間が、そのために訪れるなんて思えない。
だとしたら。
これは。
それを越えて。命潰える、予感を越えて。
生き延びるために、きっと、もたらされるもの。
あと一歩。いや、あと半歩分。
足りないと判っているのに突っ込んでくる少女の、莫迦とさえ云い換えられるかもしれない勇猛と気概、それは充分、讃えるに値する。
ならば己が最高の技量にて応えるが、彼の矜持。
あと一歩。いや、あと半歩分。
足りないことは判ってる。
それでも何か、あるはずだ。
足りない分を埋める、覆す、乗り越えるだけの、何かがあるから、あたしの心はそれを手繰り取るために時間をくれてる。
何かが。
ある、
――りぃん、
はずだ……!
視界の一部が白く霞み、頭の端によみがえる銀の音。
は知らない。
“島の結界なんか、もう、とっくの昔に消えてたんだよ”
そう、イスラが告げたことを、知らない。
そのときその場にいなかったのだから、当然だ。
けれど。
知らなくても、それは、確かな現実で――
――りぃん、
右手に熱。
身体に熱。
侵蝕しようと割り込んでくる、あの不快な意志じゃない。
――りぃん、
小さいけれど。
弱々しいけれど。
僅かに開いた隙間から、ようやっとねじ込まれたほんの少しのものだけれど。
それは、あの嵐の日に見失った、白い、真白い、――焔。
道を辿り、腕に至り、そうしてまといつくは手にした剣。
「……ぬ!?」
肉を絶つ感触を予感して刀を鞘走らせたウィゼルは、金属が擦れ合ってたてる不愉快な音に、目を見張った。手にした獲物から伝わる衝撃に、痺れを覚えた。
迫る赤い髪。いっときも揺るがぬ翠の双眸。
少女は、今、ウィゼルの居合を受け流したことを、果たして自覚しているのか。
白く輝く短剣、いや、硬質な焔によって割増された分、もはや丈は長剣に近い。それを手に迫る少女の勢いは、ちらとも衰えることはない。
振るわれる腕。
互い弾いたその勢いのまま、振りぬいたままのウィゼルの腕を落とさんとばかりの白い刃が、
――――どくん
「……ッ!?」
攻撃に転じるその刹那、少女は、不意に身体を傾がせ、胸を押さえた。