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【無色の派閥・2】

- 紅い暗殺者 -



 ふたりぶんの足音は、下草の生えた地面を蹴り上げる鈍い音。
 それに被せて、矢が宙を切り裂く音と、次々と剣が抜き放たれる音がした。
 スカーレルが剣を振るい、迫る矢を立て続けてたたき落とす。肉弾戦など期待できぬヤードは、振り返りもせずに疾走するだけだ。
 だが、
「――――」
「ッ!」
 視界の端、術を唱え始めている召喚師に気づくや否や、先ほどツヴァイレライを喚ぶにあたって使用したサモナイト石を投げつけた。もはや召喚石としての意味を成さぬひび割れた石ではあるが、それでも集中を乱す役には立つ。
 その間に、肉迫する剣士たちを払いのけたスカーレルが追いついた。
 怪我も、無事も、確かめる余裕などない。
 再び踏み出した足の後ろ、たった今まで立っていた場所に、連続して突き立つ矢。
 愛用しているやわらかな黒い毛皮を、しつこく追いすがってきた刃が、切り散らかした。
 そして、進行方向に立ちふさがる剣士がふたり。その後ろに弓兵ひとり。
「邪魔よッ!」
 スカーレルが走る速度を上げた。
 これまで見せたことのない剣の持ち方、相手の急所だけを狙った一撃。それは、彼の本領ともいえるのだろうか。容赦なく突き出された剣――その腹は、またたく間に剣士ふたりを前後不覚にさせていた。
 崩れ落ちる剣士を歯牙にかける様子もなく、矢をつがえる弓兵。
 距離は近い。近すぎる。
 突っ込んでいったスカーレルの胸へと真っ直ぐに狙いをつけて、本命たる矢は放たれ、
「おらあぁぁぁッ!!」
 怒声をあげて突っ込んできたカイルの拳が、弓兵の後頭部を遠慮なく殴りつけていた。
 重ねて響く銃声。
 一直線にはしっていた矢は、飛来する銃弾の進路と交差。狙いを外されるどころか、衝撃に耐えられるはずもなく砕け散る。
「うちの家族と客人に手を出すなら、それなりの覚悟しろってね!」
 少し横手からまわりこんでいたソノラが、未だ白煙をあげる銃口をそのままに、眉をつりあげて怒鳴っていた。
「カイル、ソノラ」
「話は後だ。覚悟しやがれ、このバカ野郎!」
 何を云おうとしたのか。自分でも判らぬまま、それでも、金色の髪を持つ兄妹の名をつぶやいたスカーレルを真正面から睨みつけて、カイルが叫ぶ。
 その横手から、がしょんがしょんと重たい足音。
「ヴァルゼルド?」
「本機は召喚師との戦いを想定されておりません! 対魔力は低いでありますので、こちらの露払いを任じられました!」
 走ってきた青い機械兵士は、そう云うや否や、大振りのライフルを構え、走り寄ってくる剣士のひとりに狙いをつけた。
 ソノラのそれより大きな銃声とともに、剣士の手から剣が吹っ飛ぶ。
 無色の派閥に与しているとは云え、彼らは暗殺者どもとは違う。武器を失えば、代替のものなりを手にしない限り、次なる攻撃手段は得られない。攻撃力さえ減じてしまえば、無力化させるのはそう難しいことではないはずだ。
 ――そう。
 海賊一家以外の皆が相手取る、ツェリーヌ、ビジュ、そしてヘイゼル率いる暗殺者の集団よりは、遥かに。
 僅か生まれた余裕、動かした視線の先には、ツェリーヌに苦戦を強いられているレックスとアティ、ビジュの繰り出す憑依召喚術を次々と無効化しているミスミ、そのビジュを打ち倒そうとしているヤッファとキュウマ。先日話し合ったとおり、迫る暗殺者たちへ組になって対処しているマルルゥ、プニム、それに子供たち――血のつながりもあるのかもしれないが、暗殺者どもを相手にしてなお実に息の合った連携ぶりには驚嘆するしかあるまい――、そして。
 何故か、一対一でヘイゼルを相手どる、がいた。


 はて、どうしてこんな布陣になったのか。
 そんなこと、今さら問うてもはじまりはすまい。現実として、がヘイゼルを抑えなければならなくなっているのは、確固とした事実なのだから。
 最初のうちこそビジュに怒りのこもった一撃でも叩き込んでやろうと思っていたら、以前にも増していやらしい――憑依召喚術で遠まわしにこちらの体力を削ぐとかいう――戦い方をしてきやがりましたため、祓いの行なえるミスミとヤッファが、対処する中心になった。で、ミスミが向かうならキュウマも向かって、それ以上手が増えても無意味になった。
 ツェリーヌは、魔剣の継承者であるレックスひとりがそもそもの狙いらしい。もっとも、彼を相手どるとなれば、アティが黙っているわけもなく。
 さてそうなると、残るはハブられたと子供たち、その召喚獣の子たちと、マルルゥで暗殺者一団を相手にしなけりゃならなくなってしまった。
 ……となれば、こうなったのは自明の理か。
 暗殺者たちに指示を出す立場である、ヘイゼル。彼女を抑える位置につくのは、積極的に見ても消極的に見ても、そのなかでしかいなかった。
 戦局がその形をとり始めた時点で、だから、はプニムを子供たち側に蹴りやってヘイゼルへと突っ込んでいき、指示を出す間も与えまいと、そうしてより引き離そうと、先ほどから剣を合わせているのだった。
 ――が。
「……?」
 さっきから、の頭上には盛大な疑問符が見え隠れ――どころか次々と発生していたりする。
 戦いの最中に気を抜くなど言語道断もいいとこだが、疑問が出るもんは出るのである。幸い、ヘイゼルの繰り出す剣は読み易いため、ちょっとくらい気が逸れてもだいじょうぶ。
 で、疑問符も、そのせいだ。
 読み易い剣――読み易すぎる、と云い換えても過言でないほど、先読みの容易なヘイゼルの太刀筋。
 いや、彼女が弱いわけではない。まして、手を抜かれているわけではない。
 ――ただ、
「ッ」
「――」
 繰り出される剣を弾いたあと、
「くっ」
「……!」
 その切っ先が描く弧の形、
「――はっ!」
「……ッ!」
 次に向かう軌道――それらが、やけにあっさりと看破出来てしまうのだ。
 そう、たとえば、これに良く似た剣を使う誰かと、事前に特訓でもして備えていたかのような感じ。
 そんなこと、あるはずないのに。
 ヘイゼルなんて名前を聞くのも初めてだし、そも、“”がまだ訪れてもいない時代のひとと、刃を交わす機会なんて――
「くっ……」
 くぐもった小さな声が、ヘイゼルの巻いているマフラーの隙間から零れた。それが彼女の焦りを表していることに気づき、は思考を引き戻す。
 “紅き手袋”の暗殺者。一撃必殺を旨とする彼らは、確実に相手を仕留めることを誇りにしてるのだろう。それが、こうまで頑強な抵抗にぶつかったとあっては――まして、向こうからしてみれば、まるで太刀筋を読まれているかのような攻防を繰り返しているのだから、不思議に思わないはずも、焦燥を覚えないはずもない。
 それでも、何者かなんて訊いて余計な労力を使わないあたり、さすが徹底してると賞賛するべきか。
「……ッ!!」
 その分の労力共々、ヘイゼルが大きく飛び下がる。
「あ!」
 がむしゃらに、というわけではないけれど、けして己から退こうとはしなかった相手が下がることを予測できず、の追撃はそれに遅れた。
 が、ヘイゼルが下がった方向は、子供たちと暗殺者の入り乱れる場所からさらに距離をとるもの。無理矢理離脱して指示を出しに行くのではなく、目の前の敵――こと、を打ち倒してから行くことを選んだようだ。
 それが判ったから、もあえて足を踏み出すことをしなかった。
 前に傾いだ重心を取り戻し、正面からの攻撃に耐え得るように足をずらす。
 それを待ち受けていたかのように、ヘイゼルが地を蹴った。

「……ッ!」

 これまで握っていた長剣を捨て、手に持つはのものと同程度の刃渡りを持つ短剣。それを地面と水平に構え、一直線にこちら目掛けて疾駆する赤みがかった茶色の髪。強く獲物を見据える視線。
 今までの攻防が、まるで遊戯に思えるような。いや、一箇所に留まっての打ち合いよりも、一気に距離を稼いで討つのが彼女らの本分なのだろう。
 瞬時に肉迫するその速度は、さすがに命の覚悟も必要かと――
「――、!?」
 けれど。
 の身体は、勝手に動いた。
 半歩分上身を右に動かし、振るわれた切っ先がかする、僅差の場所で刃をかわす。
 そのまま相手の懐にもぐりこみ、足払い――避けられる。けれどその勢いを利用して、は彼女の後ろに回りこんだ。

 刹那の攻防。瞬間の交差。
 ……傍目には、ただ、それだけに見えただろう。

 ほんの一瞬とはいえ、こちらに背を向ける形になった彼女に、だが、は追撃をかけはしなかった。
 覚えてる。
 知っている。
 この交差を、この攻防を。――あたしの身体、憶えてる。
 でも、
「……そんなはず、ない」
 ぽつり零れたそれは、果たして、彼女に届いたのだろうか。身を起こし、に向き直る彼女は僅かに目を細めていた。
 背後から振るわれる刃を予想して、けれどこなかった、それが意外なのだろう。だからこそ、その分伏兵めいたものを予想したのか――先ほどのように向かってくることはなく、さりとて退く気など毛頭なさそうに、彼女は眼光鋭くを見つめている。
 そうやって生まれた時間は――に、彼女を観察させるには充分だった。
 赤みのかかった茶色い髪。 ――それが、ひとつに結わえられてたら。
 鋭く細められた双眸。 ――それが、人懐こく笑っていたら。
 口元を深く覆うマフラー。 ――その向こうの口の端が、やわらかく持ち上がっていたら。
 ……はっきりと。覚えているわけではない。
 だけど、描くそのひとのシルエットに、彼女の身体はしっくりと重なるのだ。
 外見。先刻まで見せ付けられた太刀筋。
 そして何より。
 たった今交わした、刹那の交差。

 ……暗かった空。降りつづけていた雨。
 ……漂っていた死臭。動き出した屍。

 断続的な、だけど、意図してもないのに記憶の棚から引き出されてくるその光景。

 ……雨のなか、交えた刃。

 問答無用のフラッシュバック。

 ……――スルゼンという名の、砦。

 そこにいた彼女の名前、

「…………ェル、さん?」

 呆然と零したそのひとの名は――今度こそ、届いたようだった。
 目に見えて、彼女の身体が強張って。そして、これまでの比でない殺気が、目掛けて吹き付けてきたから。

「今」、初めて、まともに彼女の声を聴く気がする。「何を云った?」

 そして、確信はますます強くなる。
 だけどそれと同時に、信じられないという思いも大きくなる。
 それに邪魔されて、の紡いだ応答は、さっきのそれより遥かに小さかった。
 けれども、彼女にとってはそれで充分だったらしい。もしかしたら、唇の動きを読み取るなりしたのかもしれない。
「何故、その名を知っている?」
 鋭い声で投げられた問いは、肯定ととって差し支えない。
 けど。
 けど、なんで。

 なんで、あなたは、ここに――

「……実は、年齢大幅にサバ読み?」

 混乱しきった頭で、ただそれだけを返すことに、はようやく成功した。

 とたん。
 彼女の視線に篭る殺気が、臨界点を突破する。
「シィッ!!」
 生かしては帰さないとでもいうのか、これまで発しなかった気勢とともに、紅い暗殺者が目掛けて突っ込んでくる。
 けど、
「……マジ?」
 怒涛の勢いで繰り出される切っ先は、やはり、の予想に違わぬ動きをしてくれる。時折唐突に曲がる軌道とて、不意打ちを狙っているはずだというのに、手が勝手に動いてそれを阻む。
 信じられない気持ちは強い。
 だって、ありえない。
 あのひとが、ここに生きているのなら、あたしの逢ったあのひとは、誰だっていうのか。このひとは、誰だというのか。
 だけれども――この太刀筋を、覚えている。
 正確には、の知っているものよりはまだ粗い。洗練されてはいるけれど、あのひとのように熟してはない。
 ……でも、この太刀筋は、見せる癖は、あのひとのもの。
 徐々に深まる確信は、ならばこそ、彼女の剣捌きがあの日にまだ及ばぬ理由が時間のせいだと、思えなくもなくて。
「何故――」
 おそらく本人、意図してなかったのだろう。戸惑いが色濃く混じったつぶやき、それはくぐもっていたけれど、至近距離で聴けば……そう、あのひとのような底抜けの明るさはないけど、時折見せてた憂い混じりの声にそっくりで。
 いや、いい。
 もういい、認めろ。
 認めちゃえ。
 理由探しなんて二の次にして、目の前の事実をまず受け入れろ。
 そして。
 このひとが、あのひとと、イコールで。
 時間がまだ、に出逢うよりも遥かに前だというのなら。

 ――あたしは、このひとには負けない――!

 もはや視認できるかどうかさえ怪しい速度で繰り出される刃を音高く弾いて、は、地を踏みしめる足に力を入れた。


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