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【ほんの少しの静かな日々】

- さあ考えてみよう -



 ――そうして、夜が来た。
 日が暮れるのも待ち遠しく集いの泉に出向いてみれば、すでに護人たちは勢揃い。
 集落の護りを手薄にする危険を冒してまで、と、少々後ろめたくはあるが、一度くらいは意見交換をしておきたいところだ。それに、護人たちは無色の派閥について、海賊一家よりは詳しいはず。
 相手に関する情報の共有は、共闘の基本である。
「……といっても、集約すれば“相手の召喚術には気をつけろ”、“忍び寄る暗殺者にも気をつけろ”になるんだがな」
 人目につくことを慮って、集いの泉には弱々しい明かりしかない。
 その薄暗がりのなか、ヤッファが疲れた声で云った。
「あの戦いで判ったと思うが、だいたいは暗殺者どもに梃子摺ってるうちに、後ろの奴等が召喚術をブッ放すってのが、あっちの戦い方だ」
「必勝は前衛を素早く叩き、後衛に肉迫するか――もしくは、犠牲を顧みずに前衛を無視して突っ切る、このふたつでしょうね」
 腕組みをして告げるキュウマのそれに、ソノラがうんざりした顔になった。
「あれを〜?」
「どちらにしても、難しいということだわ」
 こちらの攻撃を避けまくる暗殺者には、当然対処の時間がかかる。かといって無視して突っ込めば、背後からの手痛い一撃は避けられまい。
 それに、召喚術とて一撃受けるのを覚悟しても、無事で済むかどうか判ったものではない。
「彼らの使う召喚術は、一般に知られているものと違います」
 ふと誰かの脳裏をよぎったそれを裏付けるかのように、ファリエルが云った。
「元々、召喚術というものはその家系ごとの秘伝……そんな古い召喚師たちの集団が無色の派閥ですから、生易しい威力ではないはずです」
「そう……ですね」
 重々しく頷いたのはヤードだ。
「特に、ツェリーヌ――彼女の使う召喚術はそも強力なのですが、他者の魂を贄として捧げることで、より威力を増しています」
「贄って……イケニエ?」
「ええ。あのとき、私には、飲み込まれる幾つもの輝きが見えました」
 己の肩を抱くように腕をまわし、ファリエルが、ヤードのことばを補足する。
 倒れ伏した帝国兵たちを喰らわんと、群がっていた黒い影。
 あれに飲まれたというのなら、その魂の行く先は……
 何人かが小さく身を震わせた。ひやりとした夜気に加え、あまり楽しくない想像をしてしまった結果だ。
「だがよ」、それを振り切るように、カイルが口を開く。「あんとき、が出させた召喚獣。あれもすごかったじゃねえか?」
 あれなら、ツェリーヌとやらの召喚術にも対抗出来るのではないかと。言外のそれに、その場全員の視線がとヤードに集まった。
「……ですが、あれは砕けてしまいました」
 まず、ヤードが視線を受けてそう告げる。
 二体の召喚獣、しかもどちらもが有数の実力者だという、そんな負荷に耐え切れず、あの召喚石は作成された直後に四散した。
 砕けた召喚石はもはや召喚石としての意味をなさない。ただの硬質な欠片。接着したとしても同じ、もう彼らと結んだえにしはない。
「もう一度、喚ぶことは出来ないんですか?」
「そうだよ。は、彼らの真名を知ってるんだろ?」
「……いやあ……難しいんじゃないかなー、と」
 アティとレックスのことばに、は難しい顔して頭をかく。
 何故だ、と誰かが云う前に、ヤードが続けた。
「あのとき、彼らの声が聞こえました。一度きりだと。……それはことばどおりの意味でしょう」
 二度を期待すれば、そして行使しようとすれば、
「……おそらく、彼らは糧として、術者の魔力ではなく命を喰らうでしょうね」
 それほどの力を持つ、悪魔だったのだ。
 魔軍将ガルマザリア。
 騎士ツヴァイレライ。
 眉根が寄るのを自覚しながらも、ヤードは、ひとつ決意していた。いつか、己の力で。独力で。……彼らを喚ぶに値する存在に、なれるならばと。
 ――それほどに、彼らは悪魔として壮絶でありながら、高潔だったのだ。
 サプレスに由来する召喚術を使う者として、彼らと誓約を交わせるならば、それはおそらく、ひとつの到達点であろう。
 そして、その力はきっと――
「ってことは……もうアテに出来ないってことか」
 目を丸くして今のやりとりを眺めていたナップが、ようやくそれだけを飲み込んで、大きく息をついた。
「ええ。それに、あのウィゼルという男が出てくるとすれば、召喚術を唱える暇さえないでしょう」
「……」
 ぴくり、の肩が呼吸とは思えぬ不自然な動きで上下した。
 だが、そのときには全員の視線がキュウマに集中していて、彼女の仕草に気づいた者はいない。
「彼ね……たしかに、熟達した使い手のようだわ」
 結局あのときは、たいしたこともしてなかったみたいだけれど。
 軽く肩を竦めるスカーレルに頷いてみせて、キュウマはことばを続けた。
「あの男はおそらく、鬼妖界の剣術の使い手。……サムライです」
「……ごふ」
?」
「いや、なんでもないです」
 てゆーか、サムライてあのサムライですか?
「ご存知なのですか?」
「ええまあ知り合いが」
 呼吸を整えるように、小さく咳払いなどしつつ、はキュウマの問いに頷いている。
 ああそうか、と、数名が傾げていた首を元に戻した。
 聖王都にはたしか、そういったいろいろな友人がいるんだ、って、が前に話していた記憶を引っ張り出すことに成功したからだ。
 巫女とかサムライとかシノビとかいる、って。
 そんな思考を裏付けるかのように、がキュウマに重ねて問うた。
「……キュウマさんが気にするくらいなら、当然――」
「ええ」、今度は、キュウマが頷く番だ。「ほぼ確実に、あの男は“居合”を使うでしょう」
「はははははははは」
 虚ろな笑い声を上げて崩れるを、隣にいたソノラが人外を見る目で眺めていた。
 微妙に空気の違うそんな一角にちらりと目をやり、ウィルがキュウマに問いかける。
「居合、って?」
 問われたキュウマは、ことばを探すように、数秒、視線を宙に彷徨わせた。
「そうですね……刃に己の意を走らせることにより、硬度を問わず全てを断ち切る剣技――と云えば判りやすいでしょうか」
「コトと次第によっては距離だって無視しちゃうモノもある」
「ええ」
 どことなく虚ろに響いたの補足を、あっさりキュウマは肯定した。それでまたが遠い目になってるけれど、もはや誰もそちらは気にしない。
 だって、それって正に無敵なんじゃなかろうか。
 召喚術のように詠唱も要らない、距離関係ナシにすぱすぱ斬っちゃう剣技なんて。
「ですが」
 どんよりと漂いだした不安を払拭するように、キュウマが再度、口を開く。
「どんな相手であろうと、虚をつかれればそれまでです。――それはシノビの極意とする戦術。戦端を開くことがあれば、あの男は自分に任せていただきたい」
「そんな――キュウマさんひとりでなんて」
「自信はあるの?」
 無茶はさせられない、とでも云いたげなアティのことばを遮って、スカーレルが問いかけた。
 キュウマはことばにしては何も発さず、ただ一度だけ、首を上下させる。
「……そ」
 スカーレルもまた、応とも否とも云わずに、キュウマの回答を受け止めた。
 それこそ虚を突かれたように、レックスは、そのまま口を閉ざす。
 なんとなーく、また、重苦しい空気が漂いだすかと思われた矢先、カイルが、背を預けていた柱から身体を離しながら、「まあ」と切り出す。
「無色の派閥がいろんな意味で常識外れっつーのはよく判ったし、今はとにかくあっちの出方待ちしかねえ、――そうだろ?」
「……そういうことになるかしらね」
 ふ、とため息混じりに頷くアルディラ。彼女曰く、島のスキャンを行なっても、無色の派閥が潜伏している場所は見つけられないとのことなのだ。
 不自然な魔力の凝りなら数十箇所以上あるが、そのどれかだとしても、ひとつひとつ確認していくのは至難の技である。よほど周到に計画し、実行されたのだろう。
 今の時点では、カイルのことばどおり、あちらの出方を待つしかないのが事実だ。
「まったく」
 これ以上確認出来ることもないし、そろそろ解散だろうか。
 そんな空気が流れ始めたとき、ヤッファが小さくつぶやいた。
「どこまでひとを振り回しゃ、気が済むんだろうな」
 遺跡も剣も無色の派閥も、穏やかに流れる島の時間をかき乱すことしかしないというのに、過去のそれらはいつまでも、絡み付いて離れない。
 島の始まりを知る彼のことばに応じたのは、やはり、同じようにはじまりを知るファリエルだった。
「でも……もしかしたら、これは、何もかもに決着をつけるときなのかもしれません」
 遺跡と。
 魔剣と。
 かつて流された血が、新しく流された血によって覆われた、この島と。
 それらすべてにまつわるモノが、ここにすべて揃ったことに、何かの理由があるのなら――それこそが、そうであってほしいと。
 半ば願うように紡がれたそれに、首を傾げる者、頷く者と、反応は様々だった。が、はきとした否定を返す者だけは、いなかったのである。



 最近とみに忘れかけていたのだが。
 幸いにも滞りなく終わった夜の会合ののち、船に戻っては思う。
 ――そう、最近、とみに忘れかけていたのだが、ここは、が本来暮らす時間より二十年ほどを遡った時代なのだ。
「うーむ」
 だもので、は今頭をひねっていた。
 何にって、そりゃアレだ。
 筋骨隆々とした修行家っぽい壮年の男。オルドレイクから、ウィゼルと呼ばれていた彼。
 ほんまもんの、ウィゼルさんなんだろーか。やはり。
「……、てことは……合うわ、つじつま」
 そう。
 合うのだ、つじつま。
 サイジェントの路地裏で交わした幾つかの会話、アヤたちが白い剣を預かったときに告げられたことば。
 ――ウィゼルと、の、何がしかの繋がりを匂わせていた、幾つもの欠片が。
 ここで、このときに――繋がるのだ。
「そのわりには、すっごく非友好的な出逢いだったじゃない。ねえ?」
「ぷー?」
 潮風にさらわれる髪の重石的な役割を果たし中の、頭上におわすプニムに同意を求めれば、逆に首を傾げたような鳴き声が返ってくる。
 そりゃ、のこんな事情プニムが知ってるわけないんだから、当然と云えば当然だ。
 けど、ちょっと寂しい。
 けど、
「……」
 それ以上に、考えなければならなくなってしまった。
 サイジェントで出逢ったのは、ウィゼルだけじゃない。――オルドレイクもだ。
 奴はなんと云っていた?
 「貴様のおかげで望みが阻まれた」とかなんとか。根強い恨みを込めて、云われた。
 現に、オルドレイクは、門と剣を求めてこの島に来ている。
 無色の派閥の最終目的は、この世界の秩序を叩き壊して新しい世界を創ること。そのために、門と剣の利用価値は十二分以上あると見ていい。
 そして、はオルドレイクと出逢った。ウィゼルと出逢った。
 こんなにぴったり符合が揃うなど、今後あるかどうかも判らない。個人的願望としては、これが終われば本来の時間に帰りたいのだから、にとって本来の時間から数えて一年前のサイジェントで因縁つけられる理由は――おそらく、ここしかないと思う。
「……うーん」
 あたしは、何をした?
 オルドレイクに。
 ウィゼルさんに。
 ――あたしは、何を、この時間でしたんだろう? するんだろう?
 少しだけ後悔する。サイジェントで出逢ったウィゼルならば、それを詳しく知っていたろうに。
 もっと追及するべきだった。訊いてみるべきだった。
 だからこそ、エトランジュ・フォンバッハ・ノーザンなんたらいうみょうちきりんな名乗り上げまで覚えてたんだろうに……

 って、いや。
 待てよ、あたし。

 がき。と、音をたてて硬直したを、頭上のプニムが小さく叩いた。
「ぷ?」
「…………」
 もし今が夜でなければ、みるみるうちに蒼ざめていくの顔色を見ることが出来たろう。
 貧血時の症状そのままに、はふらりとよろめいて、背中を預けていた船べりにずるずるともたれかかった。ぺたり、腰を甲板に落とす。
「……ってことは、よ」
 あたし、ウィゼルさんに最低一度は、あの名前で名乗り上げなきゃいけないってことなんだろーか……?
「うわ。ちょっと。勘弁してよ、あれ真顔で云うの? 恥ずかしすぎるよ、それ?」
「ぷいぷーぷー?」
「うわ、うわ、うわ〜、いやだ、いやすぎる、何考えてたのよここのあたし、ってそれあたしじゃない、ああもうなんでこんなことになるかなぁっ!?」
「ぷー」
 ごろごろごろごろごろごろ。
 頭抱えて甲板でのたうちまわる相棒を、潮風に吹かれるプニムが一匹、珍獣を見るような眼差しで、生ぬるく見守っていたのであった。



 だが、どんなに勘弁してほしいと願っても。
 そして、どんなに穏やかな日々を望んでも。
 それを是としない相手が同じ地にいる以上、そのときは、いつか来る必然だったのだ。

 だけどそれを、運命だとは思わない。――思いたくない。

 起こる事象すべては、それをなそうとする者の意志。
 それをなそうとする者の意志は、当人と周囲の積み重ねてきた礎の結果。

 運命だなんて曖昧なことばで、それを片付けられたくはないのだ。

 ……それが、運命としかいえないほど、理不尽に満ちていたとしても。
 そこに至るは己の選んだ道の結果だと、――刻め。この心に。この意志に。この、魂に。


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