島の空気が一変した。
帝国軍という存在があっても、魔剣の継承者であるふたりがいるという安心感のためか、それともふたりの人柄の与える安堵のためか――ともあれ、どうにか平穏を保っていた島は、今やぴりぴりとした雰囲気がそこかしこに生まれている。
理由は簡単だ、一言で済む。
――無色の派閥。
遠い昔にこの島を生み出した召喚師の集団、当時の構成員が生き残っているわけもないのだが、連綿と受け継がれてきた組織の性質に変わりはなかろう。
無差別な暴力。
理不尽な圧力。
それを可能とするだけの、……実力。
そんな集団が、島にやってきたのだ。
幸い、今はまだ表立った行動も起こしてはいないようだが、いつその本性を剥き出しにするか判らない。
そして、そうなったとき真っ先に狙われるのは、戦うすべを持たぬ者たち。
誰もが当然のように、集落から外に出ることをしなくなった。
勿論、学校だって休校だ。のんきに子供たち連れ出して、授業やってる場合じゃない。
集落には護人がいる。その安心感からか、集落内では、比較的普段どおりの日常がいとなまれているようだ。それは幸い。
だがそれゆえに、護人たちは己の集落をそう頻繁に空けることが出来なくなった。
これまでは向こうから出向いてきてくれることも多々あったが、何か状況の進展を知ろうと思ったら、こちらから足を向けるということが必須条件になったのだ。
……だもので、今日も他ご一同はそれぞれ、島の見回りが出来る唯一の人材として――なんて建前、あってもなくてもどうせやってることは変わらないっちゃあ変わらないのだが、ともあれ、“普段とまったく変わりなく”気の向いた集落に出かけていたりするのである。
いやもうなんというか本当に、
「――全然普段と変わらないわね、あなたたちって」
出迎えてくれた早々、人を頭から爪先までしげしげと眺めたアルディラは、のっけから、褒めているのか他意ありなのか、微妙な感想を述べてくれた。
「そうですか〜?」
しかも真顔で仰ってくれてるものだから、の応答は尻上がり。
だが、そんなささやかな抵抗も、
「そうよ」
と、しごくあっさりとしたお返事によって、打ち砕かれる。
あんまりだアルディラさん、ツッコミの腕はネスティ以上かもしれませんよ。
はらはら、泣き崩れようとしたの動きを察したプニムが、ぴょい、と頭上から飛び下りた。そのまま、てってってーと走ってアルディラの胸に……かと思いきや、着地した場所に留まって、崩れたの頭をぽむぽむなでている。
実はプニムを待ってみたらしいアルディラが「あら」と、拍子抜けしたようにつぶやいた。
同じくそんな光景を想像したも、「おや?」と、泣くのも忘れてつぶやいた。
「どしたの?」
「ぷー?」
アルディラさんとこ、行かないのかい?
眼前に立つ美人のおねえさんを示してはみるが、プニムはちょこんと佇んで、ただただ首を傾げるばかり。
どうしたんだこいつ、さては熱でも出したか?
と、プニムの額に手を当てようとして、
「あ」
――思い出したのは、つい先日。喚起の門の前で出てきて、結局名乗ってもらう余裕もなく別れてしまった青年のことだった。
たしかプニムの力を借りてたとかなんとか、云ってたような云ってなかったような。見ているうちに、どんどん薄れて消えて……そう、なんか限界だったとも云っていた。
その後の無色の派閥強襲で、なんだかんだと忘れてたけど、あれってやっぱり、あの頃のと彼女のような共存関係だったんじゃなかろうか。
要するに、一応干渉はなしってことなんだけど、同居してる分、お互い影響を与え合ってた部分もあったとかなんとか……そう考えると、プニムの嗜好が方向変わっちゃったのも、判る気がする……ような?
「どうしたの?」
「あ、いえ。なんか、この子ももうアルディラさん大丈夫って知ってるのかも」
覗き込んでくるアルディラへ苦し紛れにそう云うと、突っ込まれるかと思ったの予想をきれいにくつがえし、彼女は小さく頷いた。
「……そう、ね。あのノイズも声も……今はもう聴こえないわ」
視線をちょっと虚空に飛ばし、もう一度頷いて、アルディラは笑う。
煩悶を吹っ切ってすっきりした、だけど、少しだけ寂しそうな笑顔。だけどそこに後悔も苦悩も見られない。
うん。
アルディラは、もう、本当にだいじょうぶだろう。
そう思うがあのとき出逢った青年のことを彼女に告げないのは、ひとつのことばが引っかかっているからだ。
……彼は云ってた。
この自分が出逢うことの出来るのは、しかいない、と。
だから、なんとなく、彼の存在を誰かに仄めかすということは、やってはいけないことのような気がしたのだ。
「そうそう」
ふと、アルディラが普段の表情を取り戻してを見た。
「他の集落の様子はどう? 今のところ、まだ表立った騒ぎは起きてないようだけど……」
「あ、はい。静かなものですよ、――いちおう」
何かのデータだろうか、カタタッ、とパネルを叩きながら問うアルディラに答えて、は立ち上がる。
と。
それを待っていたかのように、アルディラが小さく息をついた。
「……まさか、あのセルボルト家が出てくるなんてね」
おや。
彼女の口からその名が出るとは思わなかった。は数度またたきして、問いかける。
「知ってるんですか? セルボルトさんち」
「どうしてそう友好的なのかしらね、あなたって」
問いの前にぼやくアルディラには申し訳ないが、だってしょうがないではないか。
のオルドレイクに対するイメージの大元は相変わらずだし、何より、幼馴染みのお姉さんたちと一緒にいる、4人の護界召喚師を知っている。
その彼らがセルボルトの家名を持つことは、知る人のみの秘密だが。
「セルボルト家というのはね、無色の派閥の創始者たち、その家系のひとつよ。王国時代には、エルゴの王の側近も務めていたと聞くわ」
へえ、と生返事するの脳裏には、神々しい玉座に座る誓約者四人組と、その後ろに控えるオルドレイクの図が浮かんでいたりした。
……いつ寝首かかれるか判らんな、これじゃ。
少なくとも、オルドレイクは誰かの下について満足するタイプではないだろう。一時的についたとしても、すぐさまその地位を奪い取り己が上に立つ、そんな印象だ。
「ただ」、の思考を裏付けるように、アルディラはつづけた。「私の知る限り、当時のセルボルト家は名ばかりで、影響力には乏しかった。……それを変えたのは、おそらく、あのオルドレイクという召喚師ね」
「……納得」
こくこく頷いて、は「でも」と口を開いた。
「あのツェリーヌてひと、オルドレイクの奥さんですよね。あたしとしちゃ、そのほうが意外だな」
「どのあたりが?」
「あんなきれいなひとが、将来干上がる頭の相手を選ぶなんて」
「…………」
まるで見てきたように云うのね、と、肩を落としたアルディラのつぶやきが、に届かなかったのは幸か不幸か。
少なくとも、同時刻、唐突な憤りに襲われたオルドレイクによって八つ当たりされた部下数名様には不幸であっただろうが。
脱力したアルディラは、だが、すぐに気を取り直した。
「外見だけですべてが決まるわけじゃないでしょう? ――それに、召喚師たちにとって重要なのは、それこそ外見じゃない。召喚術の才なのよ」
「才能――」
それならオルドレイク、ピカ一だ。性格は最低だが。
「そう。おそらくはあなたの云った女の召喚師をめとることにより、オルドレイクはセルボルト家に伝わる召喚術を継ぐことが出来た。セルボルト家もまた、有能な血を迎えることが出来た……歓迎されたはずだわ」
「なんか……政略結婚とかよりえげつないですね」
「そういうことも、無色の派閥では公然とまかりとおっていたのよ。――きっと、今もね」
「……でしょうね」
でなくば、ソルたちの存在はありえまい。そしてバノッサも。
あんなに年の近い兄弟が四人、都合よくひとりの女性から生まれるとは思えない。
それに、少なくともバノッサとソルたちの母親は違うはずだ。
召喚術の才能がないから、と、捨てられたバノッサ。そして彼の母親。
才能なしとみなせば顔色ひとつ変えずに切り捨てる、これも無色の派閥にとっては茶飯事なのだろう。
なんとなく、重い空気が漂いだす。
それを払拭しようと思ったわけではないが、はふと、顔を上げて問いかけた。
「そういえば、アズリアさんとギャレオさん、どうしてますか?」
たしか、先日レックスとアティが、面会謝絶の札が外れたから、と見舞いに行ったはずだった。アズリアはともかく、ギャレオのほうもようやっと、日常生活には差し障り無い程度に回復した、ということで。
ちょうどその日ラトリクスに赴いてたふたりは、そのままリペアセンターに足を運んだらしい。
そこでアズリアと話し、今度から彼らが戦列に加わることになった、と、たちは報告ももらっている。
もっとも、怪我人は怪我人だ。
わらわら行ってもなんだかなあ、と、誰が云いだしたわけでもないが、まだレックスたち以外、あのふたりの顔を見てはいないはず。
「彼ら? ……ええ、回復は順調よ。逢っていく?」
「……」
ちょっと悪戯っぽい感じのするアルディラの笑顔の意味を正確に察し、は思わず沈黙した。
いや、だってねえ。ほら、その。
最終的にギャレオさんにトドメ刺したの、あたしでございますから……?
うーむ、ちょっとは手加減するべきだった。
遣る瀬無い後悔で心を埋めながら、はしばしの沈黙の後、
「いえ」
と、生ぬるい笑みで首を振ったのだった。――当然、左右に。