空は赤く。
世界は赤く。
猛る炎が何もかも、どこまでも、目に見えるすべてを染め上げていた。
「……どうしても?」
「ええ、どうしてもよ」
耳に届く潮騒は、風がないこともあって穏やかだ。
ともすれば睡魔さえいざなってきそうな音は、だが、甲板に佇むふたりに限っては、心穏やかにさせる役目を果たしそうにない。
眠気など、あるわけがなかった。
今日見た世界は充分過ぎるほどに、彼らの傷を抉り拡げたのだから。
……優しい日々に包まれたように見えても、けして、消えることのない記憶。
「たとえ、あの子たちの信頼を失うことになっても……ね」
赤い空――赤い大気、すべて染め上げた猛る炎。
「そう――ですか」
その向こうにあった多くの嘆きは、苦しみは。
今もまだ瞼に鮮明に、焼き付けられたままなのだから。
――戦いは、そう長いことかからずに終わりを迎えた。
とプニムだけであったら、予想どおりに参戦してきたイスラ含めた3人に勝利するにはまだ時間がかかったろうが。
「……ふん」
元々暗殺者なんぞとゆーものは、不意をついてこそ。それがバカ正直に真正面からきた時点で、剣の打ち合いに慣れている――そしてアズリアの敵ではなかった。
今回は自爆命令が出てないのだろうか、深追い禁止とでも云われているのだろうか、ある程度傷を追わせた時点で、影どもはそれ以上の深追いを止めている。それはイスラも同様。
小さく悪態をついて、彼は自分の姉を見上げた。……剣を揮って、自分たちに迫る刃を押し返したアズリアを。
……嘲るように、彼は云う。
「さっきまでの殊勝な態度は、やっぱり口だけだったってわけかい?」
けれど、それに対するアズリアの答えは淀むところがなかった。
「違う」
凛、とした声。
……うん、このひとは、こうでなければ。
「おまえに対する私の気持ちは、何も変わってない」
「なら」、
殺されてよ、と、紡ごうとしたのだろうか。イスラは。
呼気に似たそれに気づいているのかいないのか、アズリアは「けれど」と続ける。
「私はただ、おまえの答えに何もかも委ねてしまっていた」
それではいけないと、知らされた。
「選ぶのは……自分だ。私は、私なりの納得出来る答えをまだ持たない。それを見つけないうちは、死ぬわけにはいかないと思う」
淡々と告げられるアズリアのことばを聞いていたイスラは、そこで「……あ、そう」と、気のなさそうな応えを返す。
そして、大仰に肩をすくめた。
「ま、いいけどね。――どうせそのうち、嫌でも思い知ることになるよ」
つまらなさそうにしていた顔が、そこで一変する。
目を細め、口元を吊り上げ、イスラは笑みを浮かべた。
「世の中には、あがいても意地を張ってもどうしようもない現実が、存在してるってことをね……!」
夜の闇に笑い声が響く。
あはははは、と。高く軽やかに、世界すべてを嘲り罵るかのような、イスラの笑い声が響く。
何も云わずに見守るとアズリア、プニムを尻目に、そうして、襲撃者たちは姿を消した。
「……」
唐突にたゆたいだした沈黙。
それをどう打破しようか迷うに先んじて、アズリアが口を開いた。
「」
呼びかけに、視線を持ち上げる。
……彼女の目は。真っ直ぐに、を見ていた。
強く、――剛く。
その眼差しを受け止めて、は、ゆっくりと口の端を持ち上げた。
ルヴァイド様。
やっぱり、アズリアさんは、あなたに似ています。
……同じ時代に生きていて出逢えてたなら、きっと、シャムロックさんと同じくらいの好敵手だったかもしれませんね。
心は、遠く養い親のもと。
今立つ大地は、本来ありえぬ時間軸。
そこで、は、その時間に暮らすひとの声を聞く。
「あきらめなければ、おまえのように強く在れるだろうか」
“あきらめなければ、願いは叶うの?”
重なって、よみがえる。
誰のことばかなんて、自問するまでもない。
ふたりはやっぱり姉弟だ、そう思う気持ちが強くなっただけ。
だからというわけでもないけれど、は、そっと首を傾げた。
「どうでしょう、ね。あたしは、あたしが強いなんて思ったことはないんです」
強くなりたいと、願う。
追いつきたいと、願う。
まだまだ、自分は発展途上。それを、よく知っている。
「そうか」
否定のような肯定のような、はっきりしないの答えに、アズリアはゆっくりと微笑んだ。
瞳に宿る意志は、強い。――それこそ、羨むほどにだ。
「ひとつ、頼まれてくれないか?」
「はい?」
「落ち着いてからでいい――レックスとアティと、話をしたいんだ。おまえのほうから、伝えてもらってかまわないだろうか?」
私はどうやら、ラトリクスとやらでしばらく缶詰状態になるようだからな。
と云うそれが、果たして自分の身に降りかかるだろう精密検査の嵐を指しているのか、誰かさんのせいで重体になってしまったギャレオのことを指しているのか、判らなかったけれど。
「はい」
破顔して、は、迷いなく忌憚なく、アズリアの選んだそれに、頷いてみせたのだった。