「……え」
アズリアが、面食らった顔になる。
これまでの彼女なら絶対にしなかったろう、今なら正面から切りかかってもあっさりと伏させることが出来るだろう、そんな、顔。
――覚えている。そして重なる。
あのとき、あたしはイオスのように怒れなかった。
……ルヴァイド様。
遠い、明日。
「今のあなたを軍人だなんて、あたし、認めない」
刃向かうことさえ許されぬ、強大な力に打ちのめされた。
「……私は」
「まして誰かの上に立つひとだなんて認めない」
共に戦った部下たちを喪った。
「あなたと一緒に戦ってくれたひとたちの命を背負いもせずに、今持ってる命がその分重くなったのも見ない振りして――そんなふうに投げ出すなんてずるいと思わないんですか!」
慟哭を越えて、また、自分の前に立ってくれた。
「そんな覚悟もないなら、さっきあなたが泣いたのは、あのひとたちに対しての侮辱だ!」
剣をとるのなら。
命を奪うのなら。
何かを犠牲にして、進んだのなら。
そのすべてを背負わねばならん。
そして、手放してはならん。
――――手にした重みとともに生きるため、なお、あがかねばならんのだ。
彼が特別強いわけじゃない。
アズリアが特別弱いわけじゃない。
「何か間違えたと思ったら、やりなおせばいいでしょ! ぶった切って終わりにしたら、間違いのままで固定されるんだ!」
だから、
「そりゃ、コトの大小だってあるかもしれないけど……そんなの、いつも、誰も、やってることなのに」
……よけいに、腹が立つ。
「だいたいアズリアさん、イスラにほいほい頷いてばっかりで。自分の意見はどこなんですか。答え、ほんとに持ってるんですか!?」
罪悪感のために思考を止めているのなら、それは、それこそが許し難いことだ。
年下の人間に怒鳴りつけられたアズリアは、その無礼を咎める発想さえ、今は出てこないらしい。ただ、数度あわただしく瞬きを繰り返し、
「……私の」
答え、と、つぶやこうとしたのだろうか。
「随分軽く云ってくれるね、」
姉のことばを遮って、気分を害した口調でイスラが告げた。
背中を彼に向けていたことを思い出し、はそちらを振り返る。未だ抜き放たれたままの白刃が、真っ先に目に入った。
同じように手にしたままだった短剣の握りを、反射的にたしかめる。
そこにまた投げられる、イスラのことば。
「そういうのが不愉快だって、判らない? 奪ったものを背負えって、……所詮、君も偽善者じゃないか」
なら君は、その背負った犠牲のために何を出来る気でいるっていうのさ。
強い悪意の混じったそれに、だが、はほとんど間もおかずに即答する。
「判らないよ、そんなの」
「……は?」
「誰かのためにすることが、全部正解なわけないじゃない。他人同士なんだもん。相手が生きてても死んでても同じ。それ、今のアズリアさんとイスラ見ててもはっきりしてるでしょ」
軽く肩をすくめたのことばに、殺気をひらめかせていたイスラ、そしてアズリアが、また目を丸くした。
「でも、あたしが奪ったものが、あたしがこう進むって決めた道のためになくなったことは知ってる」
そのために。この手にかけた。
そのために……たくさん、たくさんのものを、きっと犠牲にしてるだろう。
ひとの命だけに限らない。
飲んだ水、食べた生き物、踏みつける大地、――何をも奪わずに生きていくなど、生きている以上出来るわけがない。
ねえ、でもね。
だからって、死ぬわけにいかない。
だって、あたしはきっと、遠い遠いお母さんのおなかのなかで、生まれようと願ったから生まれてきたんだ。
……生きたいと願って、生まれてきたんだ。
それがきっと、最初の願い。
ならばせめてそれだけは、まっとうしてみせるのが、生まれてきた者に課せられた、最初にして最大の責務。
「たくさんの、誰かの道を奪ったなら、その分束ねて誰かに繋げる。奪った以上にたくさん返して、それでもその途中でまた奪うから、またたくさん。……死んでほったらかすほど軽いものなんて、ないよ」
「――――」
僅かに動かされるイスラの手。
茂みの向こう、徐々に膨れ上がる殺気。
判ってはいるけれど、せめてこれだけは云いきらなければならない気がした。
「だからあたしは何があったって、あたしの命も在り様も自分で選んで自分で進む! たとえ誰より大好きな人だからって、丸々投げ出したりしない!!」
「うるさい……ッ!!」
ことばの半ばで、遮るようにイスラが叫ぶ。だけどそれに飲まれるまいと、途絶えさせずに云いきった。
そして、大きく足を開く。
後ろにひいた腕を大きく振りぬいて、迫る投具を、ふたつのうちひとつ、弾き落とした。
「ぷ!」
大きく飛び上がったプニムが、耳を振り回してもうひとつを打ち返す。
だがそれに安堵する間もなく、茂みから飛び出した影ふたつが、たち目掛けて突進していた。
「本当に、君は目障りなんだよ……!」
その向こうから響く、イスラの声。今はまだ動いていないようだが、どうせそう間もおかず向かってくるだろう。
数の上では2対2だが、プニムはちまっちぃ分、どうしてもが標的になりやすい。今はどうにか凌げているものの、これにイスラが加わったら3対1か、まあ昼間よりはマシだろうけど――
ちょっと無理矢理前向きに考えて、横手から迫る刃を弾き返そうとしたときだ。
視界の端に白い光がきらめいて、と影の間に入り込み、振るわれる凶刃を叩き飛ばした。
「――アズリアさん!?」
もう片方の影の腹を蹴り飛ばしながら、光を……月光を反射したその源を振り返る。
そしての目に映ったのは、剣を携えて横に並ぶアズリアの、凛とした表情だった。