TOP


【途絶えぬ誓い】

- 彼女の話 -



 もしここにいたのがレックスなら、彼女を抱きしめてあげられただろう。仮にそれがアティであっても、肩なり腕なり貸してあげられただろう。

 だが、はそのどちらでもない。
 だから黙って、泣きむせぶアズリアの隣にいた。


 盛っていた炎が小さくなり、砂浜が徐々に闇に閉ざされても、アズリアの嗚咽が少しずつ、少しずつひいていくのを、ただじっと聞いていた。
「……、は……」
 大きく息を吐き出して、アズリアは、袖口で乱暴に目元を拭う。
「腫れますよ?」
「…………」
 なんでもないことのように云う、その差し出した手布をちらりと見て、彼女は無言のままそれを受け取り、目に当てた。
 待つこと数秒もあったかどうか。再び顔を露にしたアズリアの目じりに、もう涙は残っていない。
 そうして手布を持ったまま、アズリアは、何故かまじまじとを見る。
「……ぼろぼろだな」
「お互い様です」
 ふたりとも血と泥にまみれ、は結わえた髪も解けたまま、アズリアにいたっては白を基調にしていたはずの将校服が、見る影もないほど赤黒く染まっていた。
 白日のもとでなら実に情けないだろうが、幸い、今は夜。周囲を浸す闇に紛れて、その姿はうすぼんやりと浮かび上がるだけ。
 は、と、アズリアが呼気とともに……笑んだ。ほんのわずかだけど、それは、たしかに笑みだった。
「だが、正直、おまえがいてよかった。……こんな醜態、また奴らに見せるわけにはいかないからな」
「……“また”?」
 何かを話したがっている、そんな雰囲気を感じて、は、プニムの眠る傍の岩に移動する。腰かけると、アズリアもそれに倣った。
 こちらから促すまでもなく、彼女はとつとつと語りだす。
「軍学校で、私と奴らが同期だったのは知っているか?」
「あー……まあ。知り合いではあるかなと思ってましたが」
「奴らはあんな性格だからな、訓練試合で全力を出したことがない」
 それでも、ふたりで首席を独占していたのだから、いったいどういうことなのだと云いたくもなろうというものだが。
「……ははは……」
 たとえ訓練でも戦いは嫌、と、当時から豪語していたであろうふたりを想像して、は乾いた笑いを浮かべる。
「――卒業前の、最後の訓練試合のときだった。そのときにな、私はアティと対戦することになったんだ」
「ふんふん」
「あの姉弟と決着をつけるいい機会だと勇んだのだが、相変わらず、奴はのらくらとしてばかりで……私はとうとう腹を立てた」
 そうして手加減抜きの一撃を繰り出したのにも関らず、アティはあっさりそれを避け、あまつさえ、あろうことか、
「……武器を手放したぁ?」
 耳にしたアズリアのことばが信じられず、は間の抜けた声をあげていた。
「そうだ。本気で殺してやろうとさえ思ったのに、結果がそれだ。……悔し泣きのひとつも、したくなろうというものだろう?」
「それは〜……」否定しようとして、ふと、立場を自分とルヴァイド、または自分とイオスに置き換えてみたは、結局首を上下させた。「――――そうですねえ、あたしも、やられたら悔しいかも。しばらく絶縁しそうです」
 だろう、と、アズリアは大きく頷く。
「奴らを負かさなければ首席の座はとれないと必死だった分、余計にな。……実際そうだったのだから、なおさら腹立たしいんだが」
「ははは……」
 どう返せばいいものやら、悩んだ挙句に曖昧な笑みを浮かべたをちらりと見て、アズリアは、小さく息をつく。
「だが、――今となっては過ぎたこと。それにこうなってしまっては、もう、どうでもいいことだがな」
「…………」
 とってつけたような明るいことばで逆に、は笑みを消してアズリアを見た。
 視線に気づいた彼女は、「ん?」と首を傾げ、
「……昔のことさ。もう、ずっとな」
 と、苦笑する。
 それから、彼女はふと、視線を宙に彷徨わせた。
 何かを探しているような、迷っているような。急かすことはためらわれて見守るを、ややあって、アズリアが再び視界に入れる。
 そうして彼女は唐突に、その名を口にした。

「イスラのことなんだが」

「……はい?」

 いや、イスラはアズリアの弟であるからして、ここで名前が出ても別に不思議というわけじゃない。
 じゃないのだが……だいじょうぶかなアズリアさん。無理してないかな。
 そんな気持ちが顔に出たのは、アズリアは「心配するな」と、また苦笑――して、その笑みを歪めた。
「すまない。……おまえは本当に、あの子を友だと信じていたのにな」
 だからこそ、あの子を私と引き合わせ、内密に置いてくれという願いも、聞き入れてくれたというのに。
「……あ。ああ、それですか」
 なんかとっくに忘れかけてたけど、そういえば、まだイスラが記憶喪失演じてたころ、メモ見つけて連れて行ったんだっけ。
 うーん、あの頃は平和だった。少なくとも今よりは。
 そんな遠い目になったをどう思ったか、アズリアは深々と頭を下げ、
「そういえば」
 かけたところだったのだが、丁度良くのことばが遮る形になってしまったため、半ばで動作を止めざるを得なかったらしい。
 ぎち、と、ぎこちない動きで首を元に戻し、
「なんだ?」
 と、先を促す。
「なんでしたっけ、アズリアさんちの家名。あたしが勘違いしてるって怒ってませんでしたっけ?」
「――あ、ああ。そういえば、そうだったな」
 どうやらこちらも忘れ去られていたらしい。目を丸くして頷いたアズリアは、こほん、とひとつ咳払い。
「“レヴィノス”だ」
 断じて、“レディンヌ”でも“レディネス”でも“マリアンヌ”でもないぞ。
 だんだん妙な方向に転がった喩えを、はとりあえず聞かなかったことにした。
「アズリア・レヴィノス?」
「そう」と、アズリアも頷く。「それが私たちの家名だ。……帝国では名門とされているな。事実、父も優秀な軍人で――そう、陸戦隊の選抜部隊を率いて、召喚術を利用した破壊活動を取り締まり、数々の功績をたてている」
 話す者が違えば単なる自慢話だっただろうが、アズリアのことばには、そんな劣等心をかきたてさせるようなものはない。
 ただ淡々と、彼女は事実を語っている。
 その事実を聞いていて――ふと、はあることに思い至った。
「召喚術を利用した破壊活動、て……」
 蒼の派閥も金の派閥も、主旨こそ違えどそんなことは決してしない。かといって、在野の召喚師が、軍隊のお世話になるような大それた破壊活動なんぞするはずもない。
 となれば、答えはひとつだった。
「ああ。父は、無色の派閥と敵対していた」
「……それは……なんというか……よく、生きてこれましたね」
「そうだな」
 実に失礼なの発言を、アズリアはさらりと流す。彼女も、無色の派閥の危険性を知っていただろうし、今日、正に体験したばかりだ。
 なんというか、今からでもオルドレイク締め上げて、本部の場所吐かせて壊滅させに行ったろか――そんな危険な思考がちらりとよぎっただったが、同意に続けたアズリアのことばに、それは即座に吹っ飛んだ。

「当然、父は奴らの憎悪を一身に受けることになって……その巻き添えになってしまったのが、イスラだったんだ」

「……は!?」

 愕然。というのが、正直な感想だ。
 イスラが、元々は無色の派閥に敵対してた軍人の家系で、しかも無色の派閥に親の因果を報わされてた? だというのに、今は嬉々として無色の派閥に協力中?
 ――――なんだ、そりゃ。
 浮かんだ疑問を、だが、は口にしなかった。代わりにことばにしたのは、
「ちょ、ちょっと待って。それって一種お家問題であって、部外者炸裂のあたしにほいほい話していいことじゃなさそうな気がするんですけど?」
 という、正論だったのだが。
「気にするな。折をみてレックスとアティにも話すつもりだ」
 慌てるをちらりと見、アズリアはあっさり断言してくださった。
 そのなんでもなさそうな仕草の奥に隠された心情、こみ上げるそれを吐露してしまいたい気持ちが垣間見えて、は口をつぐむ。
 そうだ。イスラのことで誰より混乱しているのは、姉であるアズリアだ。
 たちにしてみれば、イスラが帝国軍であることを隠して行動していたことは腹立ちこそすれ、混乱することではなかった。手段に問題がありすぎるが、元々の立ち位置がそこなのだから、と、納得さえしている。
 だけど、今日のあれはどうだ。
 聞けば、家ぐるみで敵対してきたという。その無色の派閥といつの間にか通じ、いともあっさりと、それまで属していた軍を、姉を、切り捨てた。
 ……それほどの何が、イスラにあるのか。
 知りたくないと云えば、それは、きっと嘘になる。
「どこまで話したか――」
 の心境を見てとったか、アズリアが再び話し始めた。
「……おまえが知っているかどうか判らないが、古き召喚術のなかには、術者の命を触媒として、厄災をもたらす呪いがある」
「呪い?」
 何かが記憶に引っかかった。だが、それを探し出すより先に、アズリア自身から回答はもたらされた。
「召喚呪詛。判りやすく云えば、病魔の呪いだ」
「――病魔……って」
 路地裏で苦しんでいた背中。そこに在った影。
 崩れ落ちて力を失った身体。そこに見えた影。

 “古き”、

 誰だ。
 これを云っていたのは――誰、だっけ。

 “古き、魔の影じゃよ”

 この名を。あたし、とても近いうちに聞いた――

 思い出そうとしても、それは、赤い世界に遮られる。普通にしていられるからといって、そこに動揺がないわけではないのだ。次々に喪われる命、その光景は、あの日喪われた黒の旅団の彼らに被さり……
「あの子の身体は」、
 アズリアの声が、思考を断ち切った。
 力がなくても、なお凛とした彼女の声は、耳に心地好い。敵意がなくなったせいだろうか、以前にましてやわらかな響きを持って、届いていた。
「――生まれたときから、病魔に苛まれつづけている。しかも、死ねない。追い込んで追い込んで……絶息寸前のところで、病魔は手を緩め、息を吹き返させるんだ」
 青い空の下。
 冷えていた身体が、そう、そのとおりに生気を取り戻していった。
 見せてもらった診断結果。
 死の領域といってもいい位置にまで落ち込んだ呼吸と心拍が、その次には平常な位置へ、ありえぬ動きを刻んでいた。
「それを苦にして、あの子は自分で命を絶とうとしたことさえあった」
「……」
「だが結果は同じ。病魔は、けっして宿主を死へは向かわせない。……呪いが解けぬ限り、永遠に苦痛の日々を生き続けなくてはならんのだ」
「……」
 ことばも出ない。
 過酷な、なんて表現じゃ生ぬるかった。それはおそらく、生命というものに対して行い得る、最上級の暴虐だ。
 初めて逢った、あの日の。
 あんな症状を、ずっと繰り返して、イスラは生きてきたのか。
 あんな――あんな嘆きを、ずっと――
「軍学校を卒業して、久しぶりに戻った実家で……イスラの元気な姿を見たときは、本当に驚いた」
「え?」
 問いかけようとして、そうだ、と思い至る。
 そんな病魔に蝕まれながら、何故イスラは軍属として採用されたのか。
「ずっとベッドから出られずにいた子が、1年足らずで軍務省の選抜試験を合格して軍属になったことを聞いたときは、うれしくてたまらなかった」
「……それは」、
「ああ」
 答えは、目の前にあった。
「すべて――無色の派閥がもたらしたものだった……!!」
 握りしめたアズリアの拳から、ぽたり、雫が滴った。
「判っていたんだ、あり得ないことだと! そんな都合のいい話があるはずないと!!」
 それでも。
 それでも――彼女は嬉しかったのだ。
 共に立ち、共に歩き、共に進むことが出来る事実が。ほんとうに、……本当に嬉しかったのだろう。
「古き呪いを無効とする術は、古き知識を持つ者たちの所にしか、あり得ない」
 昂ぶった感情を鎮めるように、くぐもった声でアズリアは云った。
「きっと……イスラはそのために、無色の派閥を頼ったんだ」
「だけど、それ、自分をそうした元凶にまで……」
 無色の派閥によって与えられた呪いを、無色の派閥に属することによって解決しようという、それは、ひどい矛盾だ。
 どこかもどかしい思いにかられて発したのことばに、アズリアは、沈痛な表情でかぶりを振った。
「……たぶん――あの子をそこまで追い詰めた原因は、私自身にある」
 力なくつむがれたことばに、
「なんだ」、
 と、のものでない誰かの声が重なった。

「そのとおりだよ。――姉さん、ちゃんと自覚してたんだね?」


←前 - TOP - 次→