バシイィィィイィィッ!!
「ッ!?」
伸ばしかけた手が弾かれた。
掴みかけた碧が、急速に遠ざかる。
前のめりにたたらを踏み、よろめいた身体。それが、何かにぶつかった。
何か?
いや、前にあったのはただ、身を引き裂かんとする攻撃の意志だけ。
だというのに、
「……え?」
何故、今触れているそれは、こんなにあたたかいのだろう?
白いやわらかいものが、頬をくすぐった。さらさらと流れるそれは、足元までも届こうとする長い髪。
を、そしてアズリアを。
背中に庇う形でそこに立ったのは――
「オオオオオオォォォォォオオオォォォォォ――――――――!!」
響き渡る咆哮。
これまで聞いたこともない、獣じみた叫び。
「レッ……」
「オオオォォォォオオオォォォ!!!」
視界は白い。
周囲は碧。
荒れ狂う力に、見えるすべて、感じるすべてが飲み込まれる。
「ぬ――ッ」
その向こうで、オルドレイクがうめいた。
僅かに狼狽をにじませた声は、だが、すぐに歓喜を含んだものになる。
「なんという魔力……これが、本来の力か! 素晴らしい、素晴らしいぞ! これでこそ出向いた価値がある!!」
「レックス! やめて、レックス!!」
アティの叫び。
白と碧に覆われたその向こうでは、何が起こっているのだろう。
横から覗こうと思って、――けれど、今。しがみついた状態になっているこの背中から、離れてはいけない気がした。
そうしてしまったら、このあたたかさが、冷え切って消えてしまう気がした。
「なんて、恐ろしい形相……あれではまるで、悪魔……」
慄きを乗せたツェリーヌの声が、耳に煩い。レックスの叫びより、そんなもののほうが、よほど。
黙れ、と。
怒鳴る代わりに、は腕をその身体にまわした。
白い髪ごと。汚泥に汚れた赤い服を。揮われる碧の光を感じながら。
そうしている間にも、彼から放たれる力は留まるところを知らない。オルドレイクたちは、それをどうにか圧し返そうとしているようだが、ままならないようだ。
「オオオォォォォオオオォォォォオオォォォ―――――!!!」
「ぐ……っ」
目的を目の前にしながら手に入らない、その事実へ苛立ちを見せるオルドレイクを止めたのは、隻眼の男の声だった。
「一度退け、オルドレイク! いくら貴様といえど、あの化け物相手では分が悪い!!」
どちらかというと、それは、執拗な執着を見せるオルドレイクに対しての叱咤を含んだ声。
だが、そこにあった単語ひとつに、の――そしてたぶん、耳にした全員の心が凍りつかされた。
“化け物”
なんで、このひとがそんなことを云われなければならない。
なんで、この優しいひとが、そんなものにならなければならない。
「オオオオォォォォォォオォオオ!!」
だが、それさえも聞こえていないのか、彼はがむしゃらに力を揮うだけ。
抱きしめるの腕にも、気づいていないのだろうか。
響く轟音、続く破壊、それらはちらとも減じる様子さえなく。
「……う、うむ」
しばしの躊躇ののち、オルドレイクが頷いた。
「追撃があれば任せるぞ、ウィゼル」
「……来はせんだろうよ。だが、留意はしよう」
そのやりとりを最後に、複数の気配が遠ざかる。
だが、最後につぶやかれたことばのとおり、誰も、それを追う素振りなど見せなかった。
ただ、
「――――ウィゼル……?」
爆音の合間に届いた声、そこにあったひとつの名に首を傾げたは、けれど次の瞬間、引き出しを開けようとした思考の棚を、その場に放り出すことになる。
「オオォォォ……ォ……っ、お、ぉぉ……」
もはや止まることがないかと思われた咆哮が、ゆっくり、ゆっくりと小さくなっていった。
「レックス!」
「せんせいっ!!」
「先生、先生――っ!?」
消える白。戻る赤。
そして戻る視界。
腕のなか、ゆっくりと力を失っていく彼の身体を落とさぬよう、なんとか踏ん張るの目に映ったのは、よろめきながらも、血相変えて駆け寄ってくるアティやカイル、子供たち。そして島のみんな。
「……おかあ、さん」
「――――」
そうして腕のなか。
小さく、小さく、夢を見ている子供のように響いた頼りないそれを聞きながら、は、暗く染まりかけた空を、ただ見上げる。
終わりのないかと思われた赤い世界はようやく、夜の帳に包まれて、その色を暗く沈みこませようとしていた。