主よ、と。かけられた声に、振り返る。
「ん?」
あの日以来――挑む相手を失って以来、退屈を持て余し気味だった彼は、声をかけてきた己の配下を視界におさめて首をかしげた。
「なんだ? 天使どもを殺りにでも行こうってか?」
「いいえ」
少し前に己の軍団へと組み入れた、豪快な攻撃手段をもつこの配下を、彼は気に入っていた。
他の手下には許さぬ距離、声をかける行為を認めているのがそのいい証拠。
その配下が引き連れる骸骨騎士もまた、彼のお気に入りだった。
漆黒の翼を軽く揺らし、配下は「報告を」と述べる。
報告だ? とますます首を傾げて、彼は、寝そべっていた身体を起こした。
真紅の翼を軽く上下させ、先を促す。
「主の力まとうニンゲンがリィンバウムに」
「――あぁ?」
そして紡がれた報告とやらを聞いて、彼は、至極不快な気分で顔をしかめた。
「なんだそりゃ? オレがいつ、ニンゲンに力をやったってんだ?」
「それは我らの預り知らぬこと。けれど、間違いなく主の力であった」
「――」
声ではなく頷きでもって、骸骨騎士が漆黒の翼のことばを肯定する。
そうして、彼は、忌々しげに口を歪めた。
「ってェことはだ……いつかオレを喚び出して切り刻みやがったあの蛆虫どもが、何か仕掛けたってことか?」
苛立ち混じりのそれを、
「力に、主の不快は残っていなかった」
配下は淡々と一蹴する。
それに少しばかり気を抜かれて、「なんだそりゃ」と渋面をつくる彼に、配下はさらにこう云った。
「主の力は、そのニンゲンを護っていた」
「オイ。寝ぼけんのも大概にしやがれ」
即座に突きつけた槍を、だが、配下は軽く手で退けただけ。
我等に睡眠は必要ない、と、ボケなのか天然なのかいまいち判断につかぬ前置きの後、かぶりを振った。
「……我には読み取れなかった。そこに何の意図があったか、何をもってその力が行使されたか」
「あ? そりゃヘンだろ、テメエが気づかねえような緻密なチカラ、それこそいつオレが使ったってんだ?」
まして、ニンゲン程度にそんな芸当ができるわけねえ。
付け加えて、だが、彼はすぐ、
「あー、もういい」
と手を振った。
「判んねぇならほっとけ。オレの力だつっても残りカスだろ、なら近いうち消えら」
「……御意。事実、すでに亀裂はあった。その裡から」
「だーからもういいって」
それ以上なんかぬかすと、いくらテメエでもはっ倒すぞ。
ひらひら、最後通牒を兼ねて振った手のひらの向こう、口を閉ざした配下が軽く頭を下げて、彼の眼前を辞すのが見えた。
それを見届け、ふん、と鼻をひとつ鳴らし、彼は再び寝転――ぼうとして、動きを止めた。直後立ち上がり、真紅の翼を羽ばたかせる。
「あー、ったく。目ェ覚めたじゃねぇかよ」
ひとりごち、胸に生まれたもやもやを戦いによって消化すべく飛び上がった彼の脳裏からは、たった今交わした会話など、その高揚に飲み込まれるようにして消え去っていた。
“その内から”、この先に続けられようとしていた単語を、故に彼は知る由もなかったのである。
――それは。
かつて、彼が見失ったもののひとつ。
かつて、守護者とたたえられた遠い力。
そして、遠い明日に出逢う色……