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【無色を冠する者】

- 碧、ひとつに -



 ひとりで突っ込んでいった
 ひとりであの人数を相手取らなければならないだろう
 彼女を助けに行かなければ。真っ先に、そう思った。
 思ったのに――
「……っ」
「おまえたちが、そうだな」
「あ……っ」
 ただ歩いているだけ、何もせず近づいてくるだけの男ひとりに気圧されて、足、いや、身体はその場に凍り付いていた。
 そんな自分たちを、男――オルドレイクは、さしたる感慨もない目で眺め、ゆっくりと腕をのべて、
「まずは、剣のほうから受け取ろう」
 そう、云ったときだった。
 同時に踏み出された一歩、それが、おそらく何かを越えた。
 オルドレイクから発される闇、真黒き圧力。
 吹きつけるそれらが、彼らの耐え得る一線を越えた――!

 変貌は一瞬で終わった。
 いつも感じる、こちらを喰らい尽くすような熱の侵蝕さえ、果たしてあったのかどうか。
「……ッ!!」
 けれど。
 白い変貌の末、右腕にまといつく碧を得ても、目の前の男に対する恐怖は消えない。
 ――知らない。
 こんなもの、知らない。
 黒く黒く、どこまでも黒く――よどみゆがんだ、黒い輝きなんて、知らない……!

 ……そうかな?

 未知の存在に対する、などという生易しいものではない。
 吹きつけるものに対するそれは、自らの本能が拒絶する恐怖。
 それをかき消さんと、押し戻さんと、剣を正眼に構えた。
 だというのに、
「おお……」
 こちらから浴びせた魔力を、オルドレイクは――口の端を吊り上げて、受け止めたのだ。
「素晴らしいぞ、解放されたこの魔力……実に心地よく吹きつけるものよ」
「……うそ……ッ」
 じり、と、アティが一歩退がる。
 これまでたいていの相手は臆した魔力を、こともあろうに平然と受けられたのだ。
 ……悪夢ならば、どんなにいいか。
 だが、これは紛れもない事実。
 赤く染まった空も大地も、遠い過去の夢ではなく、今、自分たちの立つ現実。
「く――来るな……!」
 剣を振る。
 生じた魔力は物理的な力となって、オルドレイクへと衝突した。
「……ふ」
 けれど――オルドレイクは微動だにしない。止まりもしない。
 狼狽するこちらを楽しんでいるかのように、歩調を変えもしない。一歩下がれば一歩来る、立ち止まっていればまた一歩。
 じゃり、と、足元に転んでいた石を、赤い汚泥に踏みこめた。
 一歩。
 一歩。
 一……
「来ないでええぇぇぇぇッ!!」
 アティが叫ぶ。
 叫びしな、白く染まった髪を振り乱して、碧の賢帝が揮われた。それまでの比でない力がオルドレイクに向かう。
 ――それでも、
「ふふふ……どうした、それで終わりか?」
 オルドレイクの歩みは、変わらない。
 圧倒される。どこまでも。
 抜剣してなお、ここまでの威圧を与える相手が存在するのか。ふたりは、信じられぬ思いで、ただただ、迫る闇から逃れようと――
「うっ……」
「――あぁ……っ」
 刹那、目に映ったのは、姉の、弟の、手にした魔剣の片割れ。

 ……元は1

 何かが、後押しとばかりに囁いた。

 ……今は2

 その正体を思考する、余裕などなかった。

 ……力、分かたれたならば、まとめればよい

 もはや思考さえ出来ぬほど、彼らは、眼前の闇に圧されていた。

 ――それは。
 どちらがどちらに先んじるか、ただそれだけのことで生じる差異。
 秒もあったか、瞬間、刹那、それよりもっと短い時間だった。

「……っ」、
「――え!?」

 いつも。
 たったそれだけの小さな差異が、あらゆる道を分けるのだ。

「う、わ、ああぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」



 白は赤に。
 白は白に。

 瞬時にして熱を失った手を、アティは信じられぬ面持ちで見下ろした。その視界の端に、はらりと自分の髪が落ちてくる。
 世界を染め上げる夕陽と、さして変わらぬその色彩――赤。
「……っ、そん、な……!?」
「ああああぁぁぁぁああぁぁぁ――――!!!!」
 そして、ぽっかりと、己の身体から何かが抜け落ちたような感覚。ついぞ味わったことのないそれに対する驚愕に占められようとした思考は、だが、響き渡る弟の絶叫によって引き戻された。
「レックス!!」
 崩れかけた膝を叱咤して、アティは、隣にいるはずの弟を振り返る。
 自分がそうなったのならば、レックスもまた、同じ色を取り戻していなければいけないはずだった。少なくとも、今まではそうだったのだから。
 ――けれど。
 移動させた視界に入ったのは、白。そして碧。
 見知ったそれよりもなお輝きを増して、白く変貌したレックスの腕に絡みつきつづける碧の賢帝……!
「レックス!?」
「先生ッ!?」
 いつの間にか大きく開いてしまった距離を埋めるように、向こうのみんなが叫んでいる。
 一番遠い場所にいるも、驚いた顔で何か叫んでる。聞き取るのは難しいが、おそらく心境としては、アティとそう変わるまい。足止めを引き剥がしてこちらに来ようとしているようだけれど、イスラは執拗に喰らいついて、に移動を許してくれない。
「ほう?」
 ちらりとアティを一瞥して、オルドレイクは、僅かに進む方向をたがえた。
 レックスとアティを均等にとらえていた眼は今や、白と碧をまといつづけるレックスだけに向けられている。
「ふむ、分かたれた力を戻したか……手間が省けたな」
「……ッ!」
 碧の賢帝という力がなくなったせいか。
 それまで以上の悪寒に全身を苛まれ、アティはその場に凍りついた。
 だが、オルドレイクの興味はもはやレックスにしかない。傍で震える矮小な存在など、歯牙にかけもせず、魔剣の継承者を追い詰める。
 けれど。だからといって弟ひとりで立ち向かわせるつもりなど、アティにはなかった。
「レックス! レックス、剣をもう一度わたしに――!」
「ああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁッ!!」
 剣を失い、熱が引いたことで、一時的にでも恐慌のおさまったアティとは逆に、レックスの混乱は度を増していく。
 がむしゃらに揮われる碧の賢帝からは、二本に別れていたとときとは比べるべくもない力が放出されていた。
 ――それでも、
「あんな攻撃をくらって、無傷というのか!?」
 愕然とした誰かの声のとおり、オルドレイクには、傷ひとつさえつけられない。
「違う……奴の結界が強大なだけじゃ、ああはならない」
 どこか、信じきれぬものをにじませた声。
 まさか!? と、誰かがその語尾に重ねた。
 そう。
 たしかに、レックスはオルドレイク目掛けて力を放出している。しているけれど、その狙いは――
「無理……です」
 もし弟と逆の立場、自分が碧の賢帝をあそこで手にしていたとしても、きっと変わらなかったろう。
 そんな思いをこめたつぶやきは、果たして、誰かに届いたのかどうか判らない。だけど、同じことを察した誰かの声は、アティの耳に遠く響く。
「……無理だったんです、あの人たちには……!」
 泣き出しそうな声だ。
 だけどその声は、周囲であがる疑問の声に応えるべく、なお叫ばざるをえなかった。
「命というものの価値を誰より大切にしてきたあの人たちには、それを奪い取ることを目的にした戦いなんて出来っこないんです――!!」
 大きな、大きな叫びだった。
 恐怖を弾き飛ばしたいと願う彼女の心が、そうさせたのか。
 鎧も失せ、華奢な少女の姿となった彼女の印象とは裏腹に、その声は、戦場中に響き渡った。


 舌打ちのひとつも、たぶん零したと思う。
 休み無く繰り出される剣を、やはり休み無く弾きながら、それでもそんな余裕があったということに、少しだけ驚いた。
「この期に及んで……ッ!!」
 それでも、そうでなければ彼らではないのだろう。
 それでも、それがひどくじれったい。そしてまどろっこしい。
 唸るようにつぶやいたのそれを耳にしたらしいイスラが、ちょっと目を丸くした。
 それから笑う。ほんの、僅かに。
「そうだね。よく判る、その気持ち」
「判るんなら行かせてよ!」
 怒鳴り、こちらから繰り出した剣は、けれどあっさり避けられた。
 怒り混じりで大振りになっているのもあるが、イスラの動きは、ついこの間まで衰弱していたとは思えないほど機敏だった。
「嫌」
 と、一語での焦りを切って捨て、
「でも、ほら。あいつらが動くよ?」
 こちらを煽ったかと思えば、それをフォローするようなことを云う。
 追撃が来ないよう気をつけて視線をめぐらせれば、カイルたちが、碧の賢帝の攻撃範囲に侵入する危険さえ考えた様子もなく、オルドレイクとレックスの間に特攻をかけようとしているところだった。
 そして、そんなカイルたちに迫る影。
「だあぁぁ! 余計悪い!!」
 いつの間に、この場から移動したのだろう。
 ツェリーヌ、そして隻眼の男、マフラーをした女性とおまけのビジュが、カイルたちとレックスの間へ、さらに割り入っていたのだ。
「あーあ?」
「判ってたでしょあんた!!」
 揶揄たっぷりのイスラの嘆息に、は思わず怒鳴りつける。
「うん」
 と、そんな無邪気なお返事と笑みが返ってくることは判りきっていただけに、衝動に突き動かされた己がすさまじく恨めしい。
 頭を抱えたくなったそのとき。
「……?」
 先ほどから響き渡っていた、碧の賢帝が発していた爆音が止まっていることに気がついた。
 剣戟の力加減を調整し、立ち回る角度をどうにか運び、視線を再びあちらにめぐらせる。

 そして目にしたのは、ツェリーヌたちに阻まれて、前に進めないでいるカイルたち。
 置き去りにされた形で、動かない身体を持て余してるアティ。

 ――力尽きたのか、こちらからでも判るほどに大きく肩を上下させ、無防備な状態をさらしているレックス。
 そのレックスに、最初で最後となるだろう一撃を、見舞おうとしているオルドレイク――

 まさか碧の賢帝を手にして、それでなお無力な姿をさらす瞬間があるとは思わなかった。
 その驚きが、をその場に凍りつかせかける。
 けれど、
「……死ぬね、彼」
 今までとはどこか違う口調で告げられたイスラの声に、止まりかけた分の反動を加えた勢いで、は、飛び出していた。
 背中を襲われる危険性など、当然考えていたわけがない。
 けれど追撃は来なかった。の背中に目があったなら、僅かに頷いて剣をひいたイスラの姿が見えただろうが。
 だが、それがなくとも、距離が開きすぎている。
 のいた位置とレックスのいる位置は、いわば今広がっている戦場の端と端だ。
 死に物狂いで走ったとしても、オルドレイクの術が発動する前に、そこに割り込む可能性など――
 浮かびかけた考えを振り切るようにして、赤い大地を蹴るの耳に、
「……そう、何もかも」、
 届いたのは、凛とした女性の声。

「何もかも! 貴様らの思い通りになると思うな――――!!」

 アズリアが走った。
 どこにそんな力が残っていたのか、剣を手に、オルドレイクとレックスの間に身体を割り入れ、四散する魔力による衝撃も厭わず術を中断させる。それどころか肩からぶつかるようにして、オルドレイクを弾き飛ばした。
「……ぬっ!?」
 それまで自失の態だったのが幸いしたのか、彼女は、ツェリーヌたちの警戒範疇に入っていなかったのだ。
 思わぬところからの反撃に、さしものオルドレイクも、数歩たたらを踏むようにして後退する。
 その、無色の派閥の大幹部と、魔剣の継承者の間に――アズリアが立った。
「……アズリア……」
 力のない声でその名をつぶやくレックスを、彼女は横目で一瞥する。そのまま視線を滑らせて、少し離れた場所にいるアティへ。それから、再び正面――オルドレイクを睨み据えた。
 そして告げる。
「逃げろ」
「え……?」
 繰り返す。
「逃げろ。こんな血まみれの戦場に、おまえたちの居場所などない」
「だ……だけど……っ」
「逃げろ!!」
 叩きつけるように云い放ち、
「戦えぬものなど足手まといだ、目障りだ!」
 ――だから!
 そして彼女は云いきった。

「こんな戦場に立つのは、軍人だけで充分だ……!!」

 戦いを選び、
 剣をとり、
 相手を打ち倒すための力を持つ、――それが軍人。

 おまえたちは違うのだと。
 違うのだから、逃げてしまえと。
 そして――……。――――――――
 ことばにはしなかったアズリアの思いは、だけど、確固としてそこに在った。

 胸を打たれたように思う。
 頭を殴られたように思う。
 叩きつける彼女のことばの裏にたしかに存在する、何より強い、優しくて哀しい気持ちを、は、嫌になるくらい明確に悟ってしまった。
 似てると思った。
 その立ち居、部下に対する態度、かくあれと立つ姿。
 だから――だから、よけいに。
 あのひとなら。
 こんなとき、そうするだろうと、容易に想像出来てしまうからこそ。
 自分があそこで、あのひとがあそこで。
 そんな状態だったら、あのひとが何を願ってくれるか、きっと、九割正解確実の解答を、すぐ思いついてしまうからこそ。

 ――そうして生まれた郷愁にも似た念が、一瞬、の足を鈍らせた。

「かしましいぞ……帝国の狗めが」

 苛立ちも露なオルドレイクの声。
「――矯正してやろう!」
「あ――!」
 再び地を蹴る。
 レックスが前に飛び出そうとして、膝をついた。
 割り込もうと立ち上がりかけたアティが、その場にくず折れた。
 無理もない、誰にとっても厳しい状況が続きすぎている。
 だからこそ、まだ走れる、足止めもかかっていない自分が動かなければならなかったというのに……!
 駆けるの目の前で、紫の光が炸裂した。
 黒い闇に紛れて喚び出された、名も知らぬ召喚獣が、アズリア目掛けて攻撃を繰り出す。
「――――っ、ぐ……!」
 くぐもった呻き声をかき消して、響く轟音。その残滓とともに召喚獣が消えたときには、アズリアは後方へと大きく吹き飛ばされていた。
「アズリア! しっか――」
「逃げろと、云っているだろう……!」
 付近に倒れるアズリアを助け起こそうと、レックスが手を伸ばす。
 だが、彼女はその手を払った。
 一言だけ強く叫ぶと、また、足を踏み出す。
 それを見て、不快感も明らかに眉をしかめたオルドレイクは、直後、正面から視線をずらす。
「……ここにも蝿がいたか」
「オルドレイク……っ!」
 横手から走りこもうとするを目に入れると同時、彼は軽く目を閉じて、何事かつぶやく。
「――!?」
 あと数歩で刃を突き入れられる、その手前の位置で、の身体は見えぬ何かに弾かれた。
「その男は魔力結界を展開しているのよ、! それがある限り、生半な攻撃じゃ通じない……!」
 目を丸くしたに向けて、アルディラが叫んだ。
 そんな彼女らと睨み合いを続けていたツェリーヌが、「当然です」とつぶやいた。
「あの御方が、小娘の攻撃程度で傷つくわけがない」
「うる、せぇ……ッ!!」
「――ふん、勢いだけはあるな」
 渾身の力で殴りかかるカイルの攻撃を、腰に差した剣を抜く素振りさえ見せずにいなすのは、隻眼の男。
 騒がしい外野には目もくれようとせず、オルドレイクは、その間に再び目的との間に立ちはだかったアズリアを見やった。
「武器は届かぬ。まして、手習い程度に学んだ貴様らの召喚術では、我らには遠く及ばぬ」
 断言は、事実だ。
「あがくほどに苦しむだけだと、何故理解しない?」
 それもまた、事実だ。
 攻撃を喰らう前よりも遥かに増えた傷と出血。ずたずたになった帝国海戦隊の軍服。それ以上にぼろぼろだろう肉体。
 それらを抱えてなお立つアズリアに対し、オルドレイクが覚えた疑問は――より、彼女の意志を強固にしただけ。

「軍人、だからさ」

 疲労も痛みも凌駕して。強い輝きを双眸に宿して、彼女は、凛と云いきった。
「戦うすべを持たぬ者に代わって、理不尽な暴虐へと立ち向かう」
 告げる彼女の周りの空気だけ、何故か、周囲の赤とは反して澄み渡っていた。
「規律と命令に縛られようと、理不尽を求められようと。それだけは、絶対に貫きとおす」
 その空気に、は覚えがあった。
 遠い明日。
 遠ざかっていった黒い背中。最後に頭に置かれた手のひら。
 その彼がまとっていた空気と、今アズリアの抱くそれは、よく似ていた。
 まさか、と。
 考えたその一瞬、踏み出そうとした足がその場に凍りつく。
 ――こんなときに!
 だけど、意思に反して足は動かない。脳から筋肉に届くはずの信号が、どこかで何かに邪魔をされているかのよう。
「それが、私の目指した軍人だ!!」
 歯噛みするの耳に、そうして届いた強いことば。
 それに重ねて、
「はははっ、よく云うよ」
 虚を突かれたようにアズリアを見た、レックスとアティ。、それに、彼方で動けずにいる一行に、明るい嘲笑が届けられた。
 考えてみれば、相手どっていたが抜けたのだ。その時点で手透きになった以上、彼はいつでもそうすることが出来た。それまでそうしなかったのは、単に、機をうかがっていただけなのかもしれない。――それとも?
 声にもせぬ推測で回答は得られない。判ってはいるが。
 僅かに一歩半ほどの距離、背中にひやりとした切っ先を突きつける、斜め後ろの気配の主を振り返る。
 ……イスラはやはり、笑みをたたえて、己の姉を見下していた。
「姉さんの後ろで震えてるそいつは、戦う術をもってるじゃないか? そっちのもそうだ」
 レックスとアティを順に眺め、イスラは続ける。
「なのに、戦わない」
 それが罪なのだと云いたげに。
「他人を傷つけることがイヤ? 笑わせるよ――そいつらはただ、自分が傷つくのが怖いだけなんじゃないか! 綺麗なままの自分が汚れてしまうことが怖い、それだけなんだ!!」
 レックスとアティが目を見張る。
 虚を突かれたというよりは、もっと、深い部分を抉られたような表情だった。
 それを見るの胸に、ぽつっと灯る赤信号。危険の兆候。
 赤い空。
 赤い大地。
 赤く、赤く、血と泥に濡れていた手のひら。
 閉ざすほどに深く、切り刻まれた姉弟の心。
「イスラ! それ以上――」
。姉さん」
 怒鳴りつけようとした矢先、予想していたように突き出された手のひらに、は不覚にもことばを飲み込んでしまった。
 驚きは、不意の動作へのそれだけではない。
 自分とアズリアに呼びかけるイスラの声。今までと打って変わったその静けさへのそれが、ずっと大きかった。
「そんな奴ら、守ってやる必要なんてないだろ……?」
「――――」
 でもそして、それ以上に。
「……そうかもしれない」
 でもね、と。
 イスラを見て微笑むアズリアの表情は、ひどく透明。とても危うい。
 そして不意に、は許せない気持ちに襲われる。――何故。

「――私は。それでも、守りたいんだ……」

 何を許せない。誰を許せない。
 死を。それを選ぶ人を。――生きる道すべてが閉ざされたわけでもないのに、死へと向かうひとを。
 そう。だとしたら、今、自分は、許すわけにいかない。
 迫るそれを受け入れた笑みなんて浮かべるあのひとの行動を、あたしは、見て過ごすわけにいかない。

 ――喚べ

 性懲りもなく、声がする。

「バカだよ……姉さん」

 どこか寂しげな、声がする。

「生きて、ね?」

 その瞬間だからこそ、限りない優しさをたたえられる、声がする。

 ――りぃん、

 ここにはないはずの、澄んだ、銀の音がした。


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