ごづッ。
その瞬間、は、顔面から地面に倒れ込んでいた。
だがあいにくかな、周囲は全員、やってきた人物の醸しだす威圧感に圧されたように、視線も意識もあちらに奪われたままだ。
それをいいことに、というかなんというか、正直起き上がる気力がその時点で根こそぎない時点でいいことにもなにもないのだが――とにかく、倒れ伏したまま身動きさえしないを心配してくれたのは、
「……ぷ?」
足元に立っていたプニム、一匹だけだった。
やってきた人影は、壮年の男だった。
ゆったりした衣装、長く伸ばした黒髪、手にした異形の杖――は、遠目からにも見てとれた容貌だ。
丸い黒眼鏡をかけてなお緩和されぬ鋭い双眸を、より、すがめ、男は、彼を出迎えるイスラたちを見回した。
「ゴミどもの始末、存外手間取ったな。待ちかねたぞ」
ス、と、マフラーの女性が頭を下げる。
「申し訳ございません」
それを、男は手で制する。
「まあよかろう。長い船旅で、勘が鈍ったことにしてやる」
「……は」
ますますこうべを垂れるマフラーの女性の横、ツェリーヌという女性が、男の手をとるようにして進み出た。
「さあ、あなた。こちらへ……」
「うむ」
鷹揚に頷き、男は、さらに、前へ進み出る。
その姿を見て、尋常でない反応を示した者は少なくなかった。
「……ッ!」
護人たちが一様に身体を強張らせたその傍ら、限界まで目を見開いたヤードが、愕然とつぶやいたのである。
「バカ、な……っ」
まさか、直々に出向いてくるなんて……
「ヤード! 顔真っ青だよ、どうしたの!?」
自分こそ血相を変えて心配するソノラのことば、それは聞こえているのだろうか。凍りついたように動かぬヤードを見て、スカーレルが「なるほど」とつぶやいた。
「あいつが――そうなのね」
「スカーレル……?」
揺さぶるソノラと、いぶかしげに見やるカイル。
兄妹のそれに、スカーレルもヤードも、きっと気づいてはいない。旧い幼馴染みだというふたりは、ただただ、この場に新しく現れた男を凝視している。
けれど、その男もまた、ふたりの視線には気づいていないのだろう。意図して無視しているというわけではなさそうだが、気づく価値すらないとでもいったところか。
赤く染まった大地を満足そうに見渡すと、ひとつ頷き、背後に控える一団を振り返る。いや、正確にはそのなかの一人を。
「同志イスラよ」
「はい、こちらに」
呼びかけに応えて進み出るイスラ。そんな弟の姿を見て、アズリアが目を見開いたことを、あちらは知るまい。
男は、笑みを浮かべて彼に話しかける。
「今日までのおまえの働き、見事であった。我らのこの一歩は、始祖らが夢見つづけた新たなる世界への掛け橋となろう」
そのことばに、深々と、イスラはこうべをたれる。
「ありがたきおことば、感謝にたえません」
型どおりの礼を述べ、彼はおもむろにこう云った。
「遠路よりのお越し、心より歓迎いたします――――」
「をるどれいくせるぼると――――――――!!!!」
それをさえぎって、はおもむろに絶叫していた。
別に、茶々を入れるつもりではなかった。だが、こうでもしなければ、起き上がるための活力を己に注入できなかったのだ。
――ばッ!
「……さん!?」
「奴を見知ってるの!?」
今日だけで何度目だろう、その場の全員――しかも今回は、あちら様ご一行の分まで加算されて――の視線が、一斉にに突き刺さった。
あまつさえ、ヤードとスカーレルが鬼気迫る形相で、こちらを問い詰めようとやってくる。
だが今は、のんきに情報交換をしている場合ではないだろう。
の叫びに反応した、あれが演技でないのなら、あの男の名はの予想どおりになる。そして、遺跡で遭遇した黒ずくめ、突如としてこの場に現れた第三勢力全体の属する組織もまた、の予想したとおりのものになるのだ。
そしてそれがすでに事実に限りなく近い推測である以上、この場の状況は予断を許さぬものになる――
……なる、のは事実なんだけど。
ばね仕掛け人形めいた動きで飛び起きた、の脳裏にあるモノといえば、
――魔法少女なイメージで、しばらくお待ちください――
(効果音:きゃぴーん♪ たらりらり〜♪ きゅきゅるっぱー☆)
……だったり、した。
なので。
ゴメンナサイ。
こう云うのも二度目だが、いや、マジでゴメンナサイ。
なんかあのときのやりとりで、この人の持ってるありえないレベルの闇とか常識はずれの召喚術とかへの恐怖、笑いに押しのけられたままなんです。
……まあ、それで、固まりまくってた己の神経が一気に解けたのだから、それはそれでありがたいことではあるかもしれない。そこ、解けすぎてたわんでるとかいうな。
が、それは限定の記憶と効能であり、つまるところ、現状打破のためにはちっとも役に立っていないのが嘘偽りなき事実である。
それどころか、こちらはともかくあちら様にとっては、のとった態度は立腹を招く以外のなにものでもなかろう。
現に、男は不快そうに眉をしかめ、それ以上に憤っているらしい傍らの女性が、怒りを露に声を張り上げた。
「控えなさい! 下等なるケダモノどもよ!」
一歩前に進み出て、ばっ、と腕を横に一振り、男を指し示して朗々と告げる。
「この御方こそ、おまえたち召喚獣の主! この島を継ぐためにお越しになられた無色の派閥の大幹部、セルボルト家当主オルドレイク様です!!」
「……あっそ」
島を継ぐため、以外は判りきっていたが白けたのに反して、その他の反応は、それは騒然としていた。
「な……っ」
レックスとアティが声を失ったかと思えば、
「無色の派閥――」
「そんな……っ、なぜ、今ごろになってこの島に……!?」
アルディラが蒼白になってよろめき、驚きで武装も解けてしまったらしいファリエルが、大きく身を震わせる。
よほどその反応がお気に召したらしいオルドレイクは、口の端をゆるりと吊り上げると、ツェリーヌよりも一歩ほど前に出た位置に足を進める。
にとってはお笑い要素満載の男だが、それでも、その威圧感はまごうことなく強大である。重々しく持ち上げられた唇から零れる声の一語一語にも、逆らうことを許さぬ、命令することに慣れた者の持つ何かがあった。
「――我はオルドレイク」
ゆっくりと、男は告げる。
「無色の派閥の大幹部にして、セルボルト家の当主なり」
凍りついたまま己を見つめる一行(一名除く)をそこで見渡して、オルドレイクはつづけた。
「始祖の残した遺産――門と剣を受け取りに、この地へとまかりこした」
そこで、また、空気が騒然としたものになる。
どっと脱力気分だったも、オルドレイクがそう発した時点で、思考を改めた。
門と剣。
云うまでもない、喚起の門とその鍵になる一対の魔剣。
遠い昔に派閥自身が破棄したというそれを、こいつらは、今ごろ回収しにきたということか。
「それがどうしたッ!?」
そんな、ざわめきをかき消して、ギャレオが叫んだ。
部下の唐突な行動に、アズリアが驚きの目を向ける。
「……ギャレオ?」
「ゴミだ? 雑魚だ? 目障りだ? 貴様らに、そんな扱いを受けるいわれがあるものか……!」
疲弊しきっていたはずの身体を、信じられぬほど俊敏に持ち上げて――ギャレオの足が、地を蹴った。
「ギャレオっ!?」
アズリアの声も、かき消して。
「帝国軍人をナメるなあぁァァアッ!!」
「やめろ! ギャレオ――――!!」
絶叫に込められた制止の意も、だが、その瞬間のギャレオには届かなかった。
胸を焦がす怒りに身を任せ、彼は、無色の派閥佇む丘へと突進する。
オルドレイク、ツェリーヌが僅かに後退した。恐怖したわけでも逃走のためでもない。そのふたりと入れ替わるように、赤く濡れる長剣を手にしたイスラが前に出たのだ。
激情のままに迫る敵を、嘲るように視界にとらえ、なめらかな動作で腕を引き、
「やめ――い!!」
「ごふぅッ!」
ギャレオに遅れること一歩、併走し、最後には追い越すようにして真横から飛び蹴り放った誰かのおかげで、標的を見失って動きを止めた。
「ギャレオッ!」
宙高く舞い、あらぬ方向にきりもみ回転しながら落下していく部下の身を案じ、アズリアが叫ぶ。が、すかさず走りこんだヤッファが召喚したクッション代わりのヒポタマにキャッチされたのを見て、ほ、と安堵の息をつく。
……多少ひくついてはいるが、生きてりゃいいのだ、生きてりゃ。
などとちょっぴり遠い目になって思うのは、蹴り飛ばした当の誰か。こと、。それでもどうにか気をとりなおし、きっと聞こえちゃいないだろうギャレオを、ビシッ! と指さした。
「怒りに任せて敵突っ込んで一矢も報えずにはいおしまいなんて真似、あたしの目が黒いうちは絶ッ対にやらせないからねエドスさん二号ッ!!」
『誰だそれは』
思わずつぶやいた数名の問いに、当然答える者はなく、それは空しく風に溶け消えた。
たぶん云われたギャレオには届いてなかろうし、その時点で無意味な発言決定ではあるのだが。
とはいえ、それは、もうどうでもいいこと。
今のやりとりの結果というか成り行き上というか。ともあれ、この時点で島側一行の最前線に立つのは、ひとりという形になってしまった。すぐさま襲撃に備えて剣に手をかけるが、予想に反してそれはこない。
「……?」
見れば、イスラは切っ先を地面に向け、その後ろにいるツェリーヌが、いぶかるように首を傾げていた。マフラーの女性と隻眼の男は佇んだまま、オルドレイクはこちらを見てさえいない――が、彼の視線の先を探すために気を逸らす余裕があるとは思えなかった。
ちなみに、ビジュはニヤニヤ笑ってこちらを見ているだけである。いつかの約束をどーする気だと思いはしたが、やはり、これも今ツッコめるものかといわれると、正直どうか。
「おまえ」、
つとツェリーヌが云った。対象は、――。
背後の一同がざわめくのを聞きながら、はことばの先を待つ。
続けられたツェリーヌのことばは、表情そのままに胡乱げだった。
「おまえは……何者です?」
「…………失礼な」
またバルレルの着ぐるみでどうこう云われるのか、と、憮然としては応じた。
が、それ以上の追及はこない。
オルドレイクが、ツェリーヌの肩に手をおいて、やりとりを止めたのだ。
……もっとも、それは、憮然としたへのフォローというわけでは、絶対絶対、ないだろうが。
それを証明するかのように、
「些事などどうでもよかろう、ツェリーヌ」
「……はい、あなた」
つつましやかに応える――このやりとりからして、夫婦ですか、このふたり――妻をその場に留め置き、オルドレイクは自ら、一歩前へと進み出た。
「っ」
即座に構えるの横を、だが、オルドレイクは素通りする。
「……へ?」
口をぽかんと開けて振り返ったは、次の瞬間、血相を変えて地を蹴った。いや、蹴りかけた。
オルドレイクの向かう先、それは、呆然と成り行きを見守っていた、レックスとアティの立つ場所――!
「それは任せるぞ」
こちらに背を向けたまま、オルドレイクが云い放つ。
――とたん、視界の端にひらめく光。
「わわッ!?」
頭をかち割る軌道を描いて襲いくる刃を、とっさに抜いた剣の腹で受け流す。金属同士の擦れる嫌な音、手のひらに伝わる震動。
勢いを利用して刃を弾き、一足飛びに距離を稼いで不意打ちしてきた相手を見れば、
「――イスラ!」
「そういうわけだから。大人しくしてよね?」
先の一合で生じた痺れを払うように軽く腕を振りぬいて、稼いだ距離を縮めるために歩いてくる、イスラの姿がそこにあった。
そして、その後ろにはツェリーヌをはじめとした無色の派閥ご一行様。
あれを同時に相手どれと申しますかオルドレイク。死ヌって、いくらなんでも。
ツェリーヌの繰り出す召喚術は問答無用の一語に尽きるし、隻眼男とマフラー女性の実力はまだ未明だが、派閥にいる以上、生半可であるわけがない。突き崩すならビジュだろうけれど、あれは前に出てきそうにないし。
――喚べ
性懲りもなく、道を伝って声がした。
やなこった。
心のなかで舌を出し、剣を手にし、は赤く濡れた大地を踏みしめる。