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【無色を冠する者】

- 壊滅 -



 パン、と、石は砕けた。
 役目は終わったとばかり、まだ開いたままであった門をくぐってふたりの悪魔が姿を消したと同時……彼らの真名を刻んだ石は、跡形もなく砕け散った。
「……」
 ひゅう、と一度強い風が吹き、踏み散らかされた下草を巻き上げ、そして落としていく。
 目の前をはらはらと落ちていく草の向こうには、――その、なんというか……文字通り“死なない程度にブチかま”された黒ずくめの男どもが、起き上がる体力も枯渇したらしく、呻き声をあげながら横たわっていた。
 手の中から零れていく砂のような、さらさらとした流れを感じながら、ヤードは、一行は、呆然とその光景を見詰めていた。
 いや、ひとりだけ、呆然としていない者がいた。
「ふ」
 勝ち誇った笑みを浮かべ、片手を腰に、片手を地面と水平に伸ばし、
「勝利!」
 と、晴れやかにブイサインなどしているのは……誰か、など、云うまでもあるまい。
 赤い髪に翠の双眸、青いちびっこを相棒として皆に知られる名も無き世界からの召喚獣にして狭間で迷子になった挙句にヤードの召喚獣にもなった少女。
 その名は。白い焔をまとった、かつてエルゴの守護者として存在した女性のとおり名と同じ響き。
 刺すような一行の視線にも気づかず、いや、気づいていて無視しているんだろう、首筋に冷や汗が一筋。だが、そんな彼女に果たして何から問いかければいいのか、そして、これは素直に喜ぶべきことなのか、誰もが判断に迷った一瞬だった。
 だが、そんな一瞬にいつまでもかまけていられない。
 カイルが一度、ぶん、と首を大きく振り、手近に倒れていた黒ずくめを掴み上げる。
「――正直、ぶっ殺したい気分ではあるんだがな」
 忌々しげにその顔を睨みつけ、
「答えやがれ! おまえら、いったいなにも――」の、とまで云いきるより先に、黒ずくめが叫んだ。「新たなる世界にッ!!」
 狂気しかたたえぬその声に、さしものカイルも、ぎょっとした顔で息を飲んだ。いや、飲む暇もあったかどうか。
「勝利と栄光を――――!!」
「危ない!!」 
 とっさに駆け寄ったスカーレルが、カイルの掴み上げた兵士の鳩尾に蹴りをくれて、強制的に引き剥がしたのだ。
「な、何す……!」
 振り返るカイルの向こうで、

 ドン、

 身のつまったソーセージを熱しすぎて、破裂させてしまったときのような。だけどそれより遥かに大きな音とともに走った閃光が、一行の目を眩ませた。
 びちゃっ、と、何か湿ったものが地面に叩きつけられる音が、その直後に。
 けれど、それを直視する勇気のある者が、果たしていたかどうか。見ていたとしても、その正体まで思考出来る余裕のある者も、いたかどうか。
 呆然としたまま、ヤッファが、ぽつりとつぶやいた。
「自爆……しやがった」
 重ねて、ファリエルが震える声で云う。
「カイルさんを、巻き添えにしようと――?」
「最初から、相打ちを想定していたというのか……」
 苦い何かを秘めたキュウマのことばに応えたのは、スカーレルだった。
「こいつらにとっては、当たり前のことよ」
 他の者たちのような動揺も見せず、淡々とした声で――どこか自嘲気味に、けれどそれ以上の嫌悪を乗せて。
「標的を殺すためなら、手段を選ばない。命さえ――武器にする」
「スカーレル……?」
「そう」、ぎり、と、一度だけ歯をかみしめて、「“紅き手袋”の暗殺者にとってはね……!」
 告げられたことばに反応したのは、ソノラ。
「ちょっと……! “紅き手袋”って、たしか……」
「大陸全土にまたがる犯罪組織ですよ」
 とつ、とヤードが口を開いた。
「汚れ仕事の代行者。“紅き手袋”、その名は、血染めの手袋に由来する――」
「へ? ……それってたしか」、
 何かを思い出したように、がヤードを振り返った。
 だが、彼女がことばを続けるより先に、自失から抜け出したカイルが、スカーレルに迫る。
「なんで……知ってんだよ!?」
「……」
 詰め寄られたスカーレルは、カイルの視線から逃れるように目を伏せた。
 けれど、そこで引き下がるカイルではない。首根っこつかんで向き直らせかねない勢いのまま、強い語調で再度問う。
「おまえら、どうしてこいつらの正体、知ってるんだよ!?」
 半ば叫ぶようなそれに、ヤードが、一瞬の躊躇を見せたあと、口を開く。――いや、開こうとした。
「それは……」
 だがその一瞬に先んじたのは、またしても、この場で初めて聞く声の主だったのである。

「……何の供物もなしに、あの悪魔たちを御すとは……」
「ふん。おまえたちの知らぬ無名の実力者も、まだ、世界には余るほどいるということだろうな」

 弛みかけていた緊張感が、それでまた、一気に張り詰めた。
 声のした一方を、ブイサインしていた少女も含めた全員が振り返る。
 それは、距離が離れすぎていて、さきほどの攻撃の範囲には含まれなかったらしいイスラたちの立つ方向。

 その傍ら――いつの間にやってきたのか、白いローブの女性と筋骨隆々とした男が佇んでいた。
「だ……誰……?」
 立てつづけに起こる一連のことに、いい加減、思考の許容量も限界に近い。
 震える声で問うた、誰かの声に、けれど、答えはなかった。
 こちらを見る女性と男は、遺跡周辺に位置するレックスたちではなく、今の襲撃をどうにか、ほうほうのていで生き延びた帝国軍の残兵を、視界におさめていたのだから。
 かつて傷を負ったのか、片方の目を斜めに走る跡。それをさらした隻眼の男性が、傍目には清廉な白い衣装をまとう女性を視線だけで見やる。
「ツェリーヌ、おまえが行くか?」
「……」
 上段に構えた、というわけではないが、命令形に近いその云い方に、ツェリーヌと呼ばれた女性は眉をしかめた。
 だが、ことばに出しては何も云わず、彼女はたおやかな動作で懐から何かを取り出す。――紫の召喚石。
 間を置かず始まる詠唱。

 ――刻まれし痛苦において

「――げ!?」
 明確すぎる攻撃の意図。
 それを悟って、ソノラがうめく。聞いている皆、気分としては彼女と同じ。
 誰もが連戦で疲弊しているのは明らか、そこに叩き込まれては、今度こそここで潰えざるを得ない。
「……っ、魔力、障壁――展開……!」
 疲れの色濃くにじむ声で、アルディラが、どうにか、女性とこちら一行との間に、魔力による障壁を展開した。それを補佐するように、護人たちが魔力を注いで強化していく。
 だが、果たして間に合うか。

 ――偉大なる主のために、汝、その命、捧ぐべし……!

 意外なほどに短い詠唱だった。
 女性のそれが終わると同時、その背後に巨大な黒い穴が出現する。空間に穿たれたそこから、無数の、無数の、無数の――無数の黒い何かが、次々と飛び出してきた。
 それらは、一直線に、
「――あ……!」
「や、やめろ――!!」
 アズリアが蒼白になる。ギャレオが叫ぶ。
 佇むイスラたち。傍らの女性ふたり、男ひとり。彼らから距離を稼ぐようにして避難した一行、その間には、まだ、息のある帝国兵たちが残っていたのだ。
 勿論、アルディラとてその存在を忘れていたわけではない。展開した魔力障壁は、その帝国兵たちをも庇う位置に在る。
 ……が、

 ――ドン!

 耳を疑いたくなるほどあっけなく、障壁は、砕かれていた。
「あ……!」
 力不足故にか、これから起こる再びの惨劇故にか。大きく目を見開いたアルディラは、直後、きつく目を閉じようとして……それを止めた。
「こ、の――――!!」
 走る。
 走っていく。
 赤い髪のふたり、赤い髪の少女。そして、まだ動ける者たちすべての背中。
 砕かれた障壁の代わりとでもいうのか、彼らは、帝国兵たちを守るように、最前線へと飛び出していた。
 けれど。
 それを見た女性――ツェリーヌが、軽く首を傾げる。
「喰らうのは雑魚だけです。あの者たちの選別は、あの御方に任せなさい」
 小さくつぶやかれたそれは、風に乗ったわけでもないのに、穴から飛び出した黒いものたちへの指示として届いた。
 結果として、
「……え?」
「あ……っ!?」
「ちょ、ちょっと待て……!」
 黒いものたちは、後から飛び出してきた一行には目もくれず、帝国兵たちだけをその餌食にしていった。
 広がり、覆い、――そして響く、破砕音。くぐもった、断末魔。
 手を出そうにも弾き返され、攻撃しようにも、包まれた形の帝国兵を案じてどうにも出来ない。そうして一行が右往左往しているうちに、今度こそ――そう、今度こそ。

 帝国海戦隊は、隊長以下数名を残して、壊滅したのだ――


「あ……」
「……ぁ、あ……っ」

 赤い空のした。
 赤い、赤い世界がひろがる。
 夕陽に染め上げられた大地は、それ以上に赤い血潮で濡れていた。
 ――赤い空。
 ――赤い世界。
 知らず、視線は、彼女を求めた。
 ――佇んでいた――遠い背中を。
「……おか」、その途中で、我に返った。「――……」
 呆然としていた誰もが、その、レックスのことばを聞いた。そして、硬く強張った筋肉をどうにか酷使して、己の身体を己の意志で動かすことを思い出した。
 名を呼ばれた少女を、全員が見た。
 結わえていたはずの、今はとうに解けた赤い髪を、鉄錆のにおいが混じる風に流したままの少女。
 レックスが、まるで――救いを求めるようにつぶやいた、その名の主を。

 ――遠い……遠い明日のことだ。
 塗りつぶされたのは赤にではなかった。
 塗りつぶされたのは闇にだった。
 血ではなく、闇が、……彼らを襲って、喰らい尽くした。

 誰かに呼びかける、誰かの声。……って誰。
 麻痺した思考、自分の名乗った偽りの名さえ、そのときは消えていた。
「……シル、ヴァ」
 喪われた名。
「ゼスファ――」
 喪われる名。
「……ゼル、フィルド」
 遠い、黒い背中。
 それを目の前にしていた、自分と、彼らと、――――胸に暴れ狂う慟哭。
 違う。
 暴れ狂うのは、慟哭でも、嘆きでも、悲しみでもない。
 その正体を見極めようとした瞬間、
「――あはははっ」
 軽やかな、けれど、この赤い世界にはどこまでも場違いな笑い声が、の、その場全員の耳をついていた。

 それで意識が引き戻されたのは、偶然なのか、必然なのか。
 判らぬまま、は、笑い声の主ことイスラを振り返る。
「どうだい? ――これが本物の戦場ってやつさ」
 何がおかしいのか。
 何が楽しいのか。
 視線でひとを殺せるものなら、きっと射殺されている。そんな目を複数、正気を疑う目を複数、向けられながら、イスラは笑っている。
 くつくつ、喉を鳴らして、
「君たちのやってきた、戦争ごっこなんかとは違う。……奇麗事なんか、意味ない世界なんだよ」
 愉悦混じりの、嘲りを吐く。
 奇麗事。
 断罪するかのように告げられたその単語に、レックスとアティが胸を押さえた。
 奇麗事。
 誰も殺したくない。
 誰も傷つけたくない。
 誰もがきっと判り合える。
 ――奇麗事など。通用しない、世界がここにあるのだと。
 どこか、狂気の混じった眼差しで、彼ははっきりと云ったのだ。
「――――」
 立て続けの惨劇に麻痺しきり、誰も、それに何かを返すことが出来なかった。否定も、肯定も。
 それを見て、イスラの笑みがますます深くなる。優位を確信した、勝ち誇った歪んだ笑み――
「馬鹿野郎」
 ……それを、止めた。
「こんなの、戦争なんて云えるか。――殺戮っていうのよ、馬鹿ったれ」
 動揺は越えた。
 怒りはとっくに頂点を突き抜けた。
 そしてが得たのは、ひんやりと、冷え切っていく己の心。
 出来上がった氷の膜が、びちゃびちゃと広がる赤いものたちへの認識にクッションを置いてくれている。
 混乱と、動揺の只中で、自分でも信じられないほど落ち着いているのは、そのためだと。少し間をおいて、察した。
「……そう?」
 軽く肩をすくめて、イスラはの視線を受け流す。
 その横、それまでは繰り広げられる惨劇を、ただ目を丸くして見ていただけだったビジュが、「ヒヒッ」と、どこか引きつった笑い声をあげた。
「戦争でも殺戮でもどうでもいいんだよ。……ま、寄せ集めの部隊なんざ、所詮この程度だったってことさァ?」
 ビキリ、と。
 物言わぬ骸となった兵たちを、呆然と眺めていたギャレオの背が震えた。
 直後、――その身体が、ひとまわりもふたまわりも、怒りによって膨れ上がったような錯覚さえ見る者に与え、振り返る。
「ビジュぅぅッ! 貴様、貴様がそれを口にするかアァァッ!?」
 そのまま飛びかかりかねないギャレオの勢いさえ、だが、こちらを見下ろす位置に立つ彼らには毛ほどでもないのだろう。
「おっと」
 と、届きもしない攻撃に、一歩退く素振りをして、イスラが云う。
「……そんなに熱くならないでよ?」
 どうせ、玉砕覚悟の戦いだったんだ――殺される相手が違った、それだけのことじゃない。
 そのことばで鬼気迫ったのは、ギャレオではない。
 カイルたち、護人たち……帝国海戦隊と戦った、こちら側の面々だった。
 が、膨れ上がりかけた怒気もまた、見計らっていたかのようなイスラのことばで、その瞬間の行き場をなくした。

「それより、静粛に。今から、式典が始まるんだからね?」

 おおよそこの場で出るようなものとは到底思えない、そんなことばに、一瞬の空白が生まれた。
「……式典、だと」
 そんななか、おうむ返しのようにつぶやくアズリア。
 独り言めいた小さな声は、けれど、静まり返った場の空気を震わせて、彼女の弟のもとにまで届いていた。
 弟は、呆然としたままの姉を一瞥し、また、口の端を持ち上げた。
「そうさ、姉さん」
 家族である姉に対するものにしては、揶揄と嘲りを強くまぶして、彼は続ける。
「病気で苦しんでいた僕に、生きるための方法をくれた偉大な力の持ち主……この血染めの宴の主賓が、登場するのさ」
「なっ、にが、血染めのうた……」
 それでまた、つっかかろうとしたは、だが、そこでことばを止めた。
 イスラ、ビジュ、隻眼の男、ツェリーヌという女性、赤髪にマフラーの女性――全員が、同時に、ひとつの方向を振り返る。
 それに誘われるようにして、も、皆も、そちらを――その方向からやってくる、ひとつの人影を、視界におさめていた。
「……来る」
 誰かが、つぶやいた。
「夕陽の向こうから、誰かが――」
 それは、影法師のようだった。
 背中から夕陽を浴びる形、逆光で、その相貌や表情は見てとれない。ただ、ゆったりとした衣装に身を包んでいることや、髪を長く伸ばしているだろうこと、手にした、どことなく異形を感じさせる杖の輪郭が判った程度。
 人影は、ゆっくりと歩いてくる。
 こちらの視線など一顧だにせず、何に惑わされることもなく、ゆるりと、ゆったりと、やってきた。
 ――それに比例するように、空気が硬度を増していく。
 ただ歩いてきているだけだというのに、その影が近づくだけで、云い知れぬ悪寒が、緊張が、知らず、冷たい汗を伝わせていた。

 …………そうして。
 逆光であってもその詳細が判別出来るほど近づいた時点で、人影は足を止めた――――


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