――深く。
深くから、声が
「ぅどやっかましいわああぁぁぁぁぁ!!」
突如雄叫びをあげた赤い髪の少女に、その場の視線が集中した。
とめどない攻撃を続けていた新手でさえ、ほんの一瞬でありながら、その手を止めてしまったほどだ。
「さっきはしゃあしゃあ今度は喚べ喚べ喚べ! 本気でうっとうしいわ――!!」
そんな驚愕の視線をものともせず、というか、単にブチ切れちゃったらしい少女は、虚空に向かってひた叫んだ。力任せに振り回された剣が、迫っていた影をホームラン的にかっ飛ばす。うむ、クリティカル。
お星様になったそれを見届けて、「けど」と、少女は、なにごとか思いついたように、にんまりと笑った。
「叫んですっきりしたことだし!」
語尾につくのは、ハートマークか音楽符か。まあどちらでもいい、場違いであることには差がないし。
「というわけでヤードさん、未誓約のサモナイト石、サプレス。ありますか!?」
「え? ――あ、あぁ、はい。ありますが」
ヤードの返答を聞いて、少女は、してやったりとばかりにほくそえんだ。
戦闘を続けながら、なんだなんだと浴びせられる疑問の視線をきれいさっぱりシカトして、彼女はヤードに走り寄る。
走りながら、「ネスティのスパルタも、役に立つもんだわ」とつぶやいたそれは、幸い、誰に届くことはなかった。
「スカーレルさん交代!」
「はいはい。何企んでるのかしら?」
荒い息で、それでも少しだけ楽しそうに笑んで、スカーレルは、さっきまで彼女の守っていた一角に移動した。
すでに気を取り直して向かってくる敵刃を弾きつつ、少女は再びヤードに告げる。
「でっかいの喚びましょう。あたし、その子の属名なら暗記してます」
「……え!?」
「スパルタな兄弟子がいまして……ッ!」
どうしてそんなものを知っているのか、と浮かべかけた驚愕を、ヤードはすんでのところで押し込めた。
今は、そんな問答をしている場合ではない。
彼女があそこまで自信ありげにしているのだ、きっと、この事態を打破するだけの力であるはず……!
ヤードがサモナイト石に意識を集中し始めたのを見て、少女もまた、口を開く。
「その子の属名は、魔軍将。サプレスの魔王に仕えるくらいの実力者で、黒い翼の悪魔です」
遅れること一拍、耳に響く少女の声を、ヤードは詠唱に換えて紡ぎだす。
――魔軍の将を冠する者よ、黒き翼抱く者。この声、届くならば我が意志を知れ
驚いたことに、この一文だけで手応えを感じた。
少女からの助言はそれきりだったが、ヤードには、石によって開こうとする門、その向こうにある存在を、この時点で感じ取ることが出来た。
――我が名を汝に、汝が名を我に、架けて誓約を交わせ
それは、悪魔だった。
……しかも、並大抵の悪魔ではない。数多とある彼らのなかでも、群を抜いて魔王に近しい存在と云っても過言ではなかった。
浮かぶは漆黒。
女性特有のやわらかな肢体、その背に生える禍々しくも強大な翼。
まとうは闇。その闇のなか、なお深い深淵を見せる、真黒き双眸。
――我が名……
抵抗を感じた。
それはそうだ、悪魔にとっては人間ごとき塵芥に等しい。その相手に使役されようというのを、むざと受け入れたりはするまい。
まして、相手はサプレスでも有数の実力者。本気になって抵抗されれば、このまま術は暴走し、ヤードの命もまた、四散する。
――けれど。
「……?」
けれど、感じた。
抵抗しようとする、強い強い魔力が。ヤードの傍に立つ少女を、ちらり、一瞥したのを、――ほんの一瞬、たしかに。
そして、感じた。
抵抗し、そして、不埒な召喚者を引き裂こうとしていた魔力が、門をくぐるためにその形を整え始めたのを。
――我が名、ヤード・グレナーゼ……!
勿論、それを見逃すわけにはいかない。
浮かんだ疑問をかなぐり捨て、忘却の惧れも厭わず、ヤードは詠唱を続行する。
もう少女の先導も必要ない。
ここまで確りとした手応えを得れば、術は九割方完成したも同然だった。
そして、その実感は間違いではなかった。
……我が名、――
ひんやり、と。背筋どころか、血流まで凍らせかねない冷気を伴なった、声なき声が、ヤードの脳裏に響いたのだ。
そしてそれが、最後の一割。
伝わったそれを、ためらうことなく口にして、ヤードは詠唱を完成させる――!
――汝が名、魔軍将ガルマザリア!
その声は、もしかしたら、場の全員に届いていたのかもしれない。
ヤードが詠唱を終えた瞬間、爆発的に増した紫色の光。それが臨界に達し、収縮するそのほんの一瞬――声なき声が、響いたのだ。
……我が主の力をまとうに敬意を表し、一度だけ、その声に応えよう
じかに耳にしていたら、きっと、動けなくなっていたかもしれないほどの圧力だった。風に乗って囁きかけるような、そんな今のそれでさえ、場に在るすべての者が動きを止めたのだから。
それは、レックスたち然り。召喚したヤード然り。襲いかかっていた影たちさえも、その存在には畏怖を覚えたか。
そして――佇む女性とイスラ、ビジュもまた、目を見張っていた。
無理もない。
その存在、その召喚獣、いや、悪魔は。
まだ、この世界の召喚師、誰ひとりとして喚びだしたことのない、未知の存在であったのだから。
まとうは漆黒。宿すは漆黒。
やわらかな女性の肢体を持ち、たたえる色はどこまでも闇。妖艶なまでの美貌と云い換えるより先に、ただただ、闇を感じさせる佇まい。
そして――そしてだ。
その傍ら、付き従うように、別の召喚獣が存在していた。
それもまた、悪魔なのだろう。一言でいうならば、骸骨の騎士。そう称されるようないでたちの、異様な風貌を持つ馬のような生き物に乗った存在。
翼持つ女性に及ばぬものの、それでもなお圧倒的な力量を感じさせる。
「……何故……」
ぽつり、ヤードが驚愕も露につぶやいた。
誰もその名を知らない。
術を行使したヤードとて、手応えを感じたのは翼持つ女性のそれのみであったのだから。
けれど、
「わ、ツヴァイレライ」
今の術を先導し、骸骨騎士の姿を認めた少女だけが、他のすべてと一線を隔した――未知の存在へのというよりは、意外な相手の出現への――驚きを露に、その名を口にした。
――ばっ!
一斉に、防衛一徹だった全員の視線が少女に集中する。
その少女はというと、視線に気づいて「あ」と気まずい顔を作っていた。
だが、そんな彼女に誰かが何かを問いかけるより先に、再び、翼持つ女性の声がした。
……我らが名を知る者、主が力をまとう者よ
……命を下すならば疾く紡げ
それに重ねて、パシッ、と、何かの弾ける音がした。
「あ……!」
音の出所、手元に視線を落としたヤードが、驚愕の声をあげる。
おそらくは、二体の悪魔を同時に召喚した反動だろう――媒介に用いたサモナイト石に、大きな亀裂が走っていたのだ。
それを当然、少女も見た。
召喚石は召喚の礎。それが砕ければ、送還も成らず、翼持つ女性と骸骨騎士ははぐれになってしまうだろう。
「――」
呆然としたままのヤードに小さく頭を下げ、少女は、臆することなく悪魔と向かい合った。
再び、そこかしこで我に返った者たちの起こしている剣戟の音にも負けないくらいの大きな、はっきりした声で――そして、その一帯を人差し指で指し示し、直後に親指を地面に向けて、
「死なない程度にブチかませ!」
……了解した
……命のままに
静かに、翼持つ女性と骸骨騎士は頷き。
直後。
骸骨騎士が、馬にひとたび鞭をくれ、光をまとって遥か宙へと舞い上がった。
翼持つ女性が、手にした巨大な漆黒の槍を、真下の大地に突き立てた。
――キュドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!
目も眩まんばかりの流星群が頭上から、
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオォォォオォォォ――――!!
脳を打ち砕かんばかりの衝撃が大地から、
「うわ……っ!?」
「ひええぇぇえっ!?」
驚く一行を見事に避け、影たちを、一網打尽に呑み込んだ――――!