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【無色を冠する者】

- 声は喚ぶ -



 ――それは、応える意志。

「はーいはいはいはいー! ありがとうございますヤードさ……ん?」

 いつか、初対面のあの日を彷彿とさせる、盛大な感謝の込められた呼応のそれは、半ばを過ぎたころから疑問、懸念、そして胡乱なものに変わっていった。
さん!!」
 だがそれは、召喚したヤードも同じこと。
 きれいに結わえていた髪は振り解け、服は切り裂かれ、身体のあちこちに裂傷をつくった姿でがやってくるなど、まさかまさかと予感して、否定していたものだったからだ。
殿っ!? そのお姿はどうなさったのでありますか!!」
 悲鳴じみた声をあげるヤード、そしてヴァルゼルドを軽く一瞥し、は、けれど「いやそれより!」と、目の前の光景を指差した。
 目の前――赤く赤く、ただ、紅に染まる決戦の場を。

「なんですかあれは!? 希望的観測としてはトマトぶつけ合い大合戦だと嬉しいんですがッ!?」

『ンなわけあるかあぁぁぁぁぁ!!』

 見事に全員声を揃えたツッコミを、どうにか耳をふさいで受け流し、は、安堵のために弛みかけた己の心を叱咤する。
 何が起こったのか判らないが、見たところ、レックスたちの側に、あの赤い惨劇に巻き込まれた者はいないようだ。が、帝国軍の兵士たちをさくさく切り崩している、さっき遺跡に押しかけてきた影と同じ恰好の新手どもが、こちらの味方だという保証はない。
「ご、ふ……ッ!?」
 断末魔が耳を打つ。
 ちょうどというと嫌な感じだが、初撃で的になったであろう帝国兵の一個中隊ほど、その最後のひとりがたった今、絶命した。
 生まれる空白。
 それを利用して、はざっと一帯を見渡す。
 倒れ伏す無数の兵士たち。すでに屍となったそれから零れる赤いものが、とめどなく大地を濡らしている。
 立っているのは、幸いにもまだ間合いに入っていなかった残りの兵士たち、島側として戦ったこちら一行、それに、アズリア、ギャレオもいる。
 ――それから、
「イスラ……ビジュ……?」
 間違いなく、初撃の範囲に含まれていたろう場所に立ちながら、無傷でこちらを眺めているふたりの姿を、そこで、ようやくは視認した。
 目が合う。
 その一瞬、ビジュはにやりと笑みを浮かべ、イスラは――責めるような目で、を見た。
「どうして来たの、
「……どうしてあんたは無事なの、イスラ」
 とっさに返したのは、そんな一言だった。
 聞きようによっては辛辣極まりないのセリフを、だが、イスラは肩を軽くすくめることで受け流す。
「ひどいな。――でも、当たり前だろ。だって、彼らは僕の味方なんだから」
「それなら、なんで、帝国軍を……!?」
 叫んだのはではない。
 泣き疲れ、もう震えることしか出来ないでいる少女ふたりを抱いたレックスが、声の主。
「物分りが悪いな」
 そんな彼を、イスラは、軽蔑しきった目で眺めた。
「僕の味方は僕の味方であって、姉さんたちの味方じゃない。――はい、これでもう判るよね?」
 幼い子供に教え諭すよう、と称するには、いささかどころでなく毒の混じった口調だった。
 それに気圧されるように口ごもり、レックスは唇を引き結ぶ。
 そんなこちら一行を嘲笑うかのように、口元を持ち上げたイスラの横。にとっては初めて見る、口元をマフラーで覆った女性が、そこに立った。
「……ん?」
 その女性を見て、は眉を寄せる。
 赤みの強い、茶色の髪。
 この惨状を感慨もなく眺める、硝子のような眼。
 口元は覆われていて、それで余計に感情が読めない。
 身体のラインがぴったり出る衣装をまとい、その上に、血を連想させるような赤い上着を羽織っていた。
 ――初めて見る女性だ。それは間違いない。
 だけど、――だけど、どうして。
 どこかで見たような、そんな、ありえない気持ちがわきあがる……?
 そんな、問いかけにも似た視線に気づいたか、女性が、つとを見た。どこまでも、表情というものに乏しいその眼差し。
 やはり初めてだ。だけど……それでも、やはり、見れば見るほど、何か懐かしさにも似た気持ちが生まれる。この時代に知り合いなどいるはずがないのに、何故、そんなことを思うのだろう。
 けれど女性のほうはというと、を見て、なんだこいつは、とでも云いたげに首を傾げただけ。そのまま、彼女はゆっくりと腕を持ち上げた。
 向ける視線は、今度こそ。
 向かう矛先は、今度こそ。
 見紛うことも許されぬほど、真っ直ぐに、

「行け!」

 ようやっと我に返りだした、レックスたちもが含まれていた――!



 問答無用で突き込まれる刃には、容赦など当然あるわけがない。
「怪我人、退がれ――ッ!!」
「そっちの廃墟に全員突っ込め! あの高さの壁を登るバカはいねえッ!!」
 火事場のバカ力とは、このことだ。
 の記憶では、たしか二回目の経験になる。いや、別に数などどうでもいいんだが。
 ともあれ、自分の叫びに重ねて怒鳴るヤッファの声を聞きながら、は、手近にいたヤード、走る途中にいた――どちらか迷ったが軽いほうを選んで――アズリアを引っ掴んで、示された廃墟に疾走した。
「え、あ」
「お……おまえ……!?」
「走れるなら自分で走って! でもめんどくさいからもう運ぶ!」
 それに触発されるように、まだ動ける者全員が、惨劇に心を塗りつぶされた子供たちや、先刻の戦いで力を使い果たした者たちを、同じく廃墟へ放り込む。
 文字通り投げ込まれた彼らは、呆然と、その入口を塞ぐようにして展開するレックスたちの背を眼に映していた――映してはいても、その背中が何を意味するか、理解していたかどうか判らないけれど。
 ただ、放心しきっていた者は全員ではないし、誰もがいつまでも放心していたわけではなかった。
「レックス! おまえたちは……!」
 背中から響くアズリアの声に、レックスが振り返る。
「そこにいてくれ! 四方からこられて守りきれる自信がない!」
「壁越し召喚術には気をつけて! 剣を使う人間は前に、体力自信なしは壁際に寄って! 基本的にギタギタにしないとしつこいから、あたしたちが止めてるうちに巻き添え覚悟で召喚術ぶっ放して!!」
 彼のことばをかき消すようで悪かったが、命がかかっているときに、そんな気配りもしていられない。
 が矢継ぎ早に出す指示に、どうすればいいのか決めあぐねていた全員が、どうにか従って動き出す。
 布陣がほぼ完了するころには、遺跡を囲む四方で、剣戟の音が響きだしていた。
「せ……せんせ……っ!!」
 震える声は、子供たちの誰かだ。
 そちらを振り返るアティは、出来るだけ安心させようというのか、緊張しながらも穏やかな笑みをつくっていた。
「――だいじょうぶです。みんなは、そこで、援護をお願いします」
「……は、はい!」
 役割を与えれば、恐慌から視線を逸らすことが出来る。
 そんな思惑があったかどうか、それは判らないけれど、もはや甘くも見れぬ子供たちの召喚術は、ないよりあったほうがいいのは当然だ。
 その冷静さに舌を巻いたの傍らに、ふと、レックスが寄り添った。
「怪我は……」
「してるけど、浅いから平気。それより、そっちこそだいじょうぶですか? これ連戦でしょ?」
「……だいじょうぶ」
 アティと同じように、やんわりと、彼は笑った。
 それをそのまま信じていいのかどうか、迷ったのは本当だ。だけど、それ以上に、追及するような余裕もないのが現実。
 あと一拍の呼吸を挟んで迫り来るだろう凶刃に備え、はそこで会話を打ち切って、剣を握る手に力をこめた。
 一度だけ眼を閉じる。
 迫る殺気は、揺るぐことなく真っ直ぐに、こちらに向かって突っ込んでくる。
 眼を開く。
「――シャアァァッ!!」
「しゃあしゃあクソやかましいわさっきから!!」
 防衛一徹だった、遺跡での戦闘を思い出し、はためらいもせず剣を突き出した。
 ごぎゅっ、と、嫌な感触。
 相手の手のひらに深々と突き刺さった剣が、骨と擦れたのだ。
……っ!?」
 悲鳴はアティかレックスか。声は違うはずなのに、何故か聞き分けられない。
 だけど、その声の呼びかけの意図するところだけはちゃんと判っているから、は、剣を取り落とした相手の鳩尾を力いっぱい蹴り飛ばしながら、ひとつだけ叫んだ。
「呼吸さえしてれば問題なし!!」
 うあ、と、背後で誰かがうめいた。
 けれど、思わぬところから援護。
「そうね、半死半生なんて生ぬるいわ。地べたに這いつくばって動けなくなるくらいまで叩きのめさなくちゃ」
 別の一角で、性には合わないだろうに前線を受け持っていたスカーレルのつぶやきが、上手い具合に風に乗って流れてきたのだ。
 ただ、そこにこもる、深い鬼迫めいた何かが、普段の彼と差を生み出していた。
 でもやっぱり、それも追及する暇なんてないわけだ。
 本当なら会話さえ交わすのも惜しいほどの勢いで、出所不明の軍隊どもは波状攻撃を仕掛けてくる。ひとりが退いてもひとりが出る。ひとりが倒れてもそれを越えてひとりが来る。あまつさえ、その仲間を巻き込むことさえ厭わず唱えられた召喚術が、立てつづけに炸裂する。
 息をつく間もなく出現する新手に梃子摺り、呼吸を整えることも出来ない。
 荒い息のまま繰り出す攻撃など、決定的な一打に程遠い。
 呼吸など関係ないヴァルゼルドが奮闘しているが、彼ひとりですべてを覆すほどではない。
 ……避ける回数よりも避けられる回数が、当てる回数よりも当てられる回数が、徐々に、徐々に増えていく。
 比例して、傷が増えていく。疲労が蓄積していく。
 そしてまた、攻撃が――出口の見えない悪循環に陥りかけている、それを誰もが察しながら、誰もどうにも出来ないでいた。

「……喚べばいいのに」

 ぽつり、つぶやく声は、血煙のあがる戦場には届かない。
 隣に立つ女性が、ちらりと一瞥する視線を感じたが、彼は、そちらに目を向けもしなかった。
 ただ、繰り広げられる惨劇を、どこか虚ろな眼差しで見つめたまま――もう一度だけ、つぶやいた。

「喚べば、いいじゃないか。……早く、喚んじゃえよ」

 そうでないと、君たち、本当に死んでしまうよ――?


 深く。
 深くから声がする。

 ――我を喚べ

 深く。
 深くから声がしていた。

 ――喚べ

 深く、深く。深くから……ずっと、その声は囁いていた。

 ――生きるために……我を喚べ!

 判っている。
 そうすれば、この窮地を切り抜けられるだろうということは。
 今までの戦い然り、経験然り、裏づけはある。
 だから判っているのだ。
 この声に応えれば、身を委ねてしまえば、みんなを助けることが出来ると。
 だけど、あのひとは云ったのだ。
 ハイネル・コープス。
 たったひとり核識となり、剣に囚われてしまった、優しい笑みを浮かべたあのひとが。
 二度と、剣を抜くなと。
 抜けばもう、君たちという存在が消えてしまうと。

 ――抜け

 出来ない。

 ――抜くのだ

 出来るわけがない。

 ――解き放て……!

 強く、強く。
 念じながら、剣を振るう。
 だけど、彼は忘れていた。
 その声を聞いたのは、自分だけだったということを。


 ……深く。
 深くから、声がする。

 ――我を喚べ

 ……深く。
 深くから、声がしていた。

 ――喚べ

 ずっと、この声を、聞いていた。

 ――生きるために……我を喚べ!

 それはいつも、自分たちを助けてくれた力だった。
 だけど同時に、この島にこんな危機を呼び込む発端になった力だった。
 知らないうちならば、応えただろう。
 だけど、今となっては、安易に応えることなど出来ない。

 ――抜け

 出来ません。

 ――抜くのだ

 だって、抜いたら、遺跡が目覚めるかもしれない。
 そうしたらまた、争いのもとになってしまう。

 ――解き放て……!

 そんなこと、出来るわけがない……!


 けれど。
 このままでは、じわじわと押し切られるのが目に見えている。
 それを察した誰かの視線が、願うように、赤い髪の姉弟に向かったとして……果たして、それを責めることが出来ただろうか。

 だけど俺は。
 だけどわたしは。

 こんな戦い、したくなんかないのに――!


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