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【…帝国、海戦隊。】

- 終戦、 -



 ――戦いは終わった。
 随分と位置を傾かせた太陽が、丘を赤く染め上げている。
 ところどころに建っている、白い建材で作られていたはずの柱の残骸も、今や鮮やかな橙色に染まっていた。

 空は赤く。
 世界は赤く。

 ――ただ、そこに倒れ伏すいくつもの人影には、太陽による以外の赤は微塵と付着してはいなかった。

「俺たちの、勝ち。だね?」
 それ以上に赤い髪を、そよと吹く風に揺らして、その男は微笑んだ。
「結局、剣がなくてもこの有り様か」
 その笑みから逃げるように、アズリアは視線を逸らす。
 横たわり、または膝をつく部下たちを眺め、少し離れた場所からこちらへやってくる、もうひとりの赤い髪の主を追う。
 そうして、レックスとアティはアズリアの前に並ぶと、そのまま膝をついてこちらを見つめた。
「だが悔いはないな。――おまえたちの勝ちだ」
 ふたりが唇を持ち上げるのを見、そこから何かのことばが零れるより先にアズリアは云った。
「決着をつけろ。他でもない、おまえたちの手で」
「……アズリア」
「隊長!!」
 叫ぶギャレオの声は、聞かなかった振りをする。
 敗軍の将としては当然の道だ、だが出来れば、彼以下の者たちの命は保証してほしいところ――このふたりならば、頼まれずとも頷くだろうが。
 そう思うということは、私は、こいつらを信用しているということか。
 少しおかしくなったためか、次に紡いだことばには笑みが混じった。
「まさか、それまでも拒もうという気ではあるまいな?」
 レックス。
 アティ。
 順を追って視線をぶつけ、最後に、レックスが握ったままでいる、抜き身の剣に焦点を合わせる。
「まだ、そんなこと云ってるのか!?」
 その目から隠すように、レックスは慌ただしく剣を鞘におさめた。
 近づいてくる、彼の仲間――海賊、そして島の住人たちの気配を感じながら、アズリアは頷く。小さく、だけど確りと。
 この意志、眼前の相手に伝わるべしと。
 けれど。
 目を合わせるということは、相手の目を見るということだ。自分の意志を視線に乗せるということは、相手の意志をも受けるということだ。
 ……ふたりにあるのは疑問だった。
 どうして、そんなことを云うのかと。
 どうして、命を投げ出すようなことをするのかと。
「まったく……」
 わからずやどもめ。
 つぶやいて、アズリアは口の端を歪めた。
「これ以上、生き恥をさらさせて、どうしようというのだ?」
 紡いだ瞬間、

 ぱん、

 乾いた音が、アズリアの頬で鳴った。

「生きることが恥ですか!?」

 じん、

 と。
 生まれかけた熱は、すぐさま、じんじんと、痛みとともに騒ぎ出す。
 反射的に押さえた頬は、やはり熱を帯びていた。
 それは己の熱なのか、それとも、たった今手のひらを打ちつけた相手から移された熱なのか。
「生きていく以上に大切な、何があるって云うんだ!?」
 ――叩いたのはアティ。
 けれど、ぶつけられる熱は二人分。
 ああ、熱いわけだな。
 放心したのはほんの数秒だ。けれど、その放心をどうとったのやら、レックスが、ずい、とアズリアに詰め寄った。
 蒼い双眸。
 こんなに間近で見るのは、どれくらいぶりだろう。
「生きようとするのがみっともないなんてこと、あるわけない」
 怒鳴りつけられたわけではない、けれど、だからこそ。声に込められた強い感情が、ダイレクトに彼女へ届く。
「生きるために必死になれないなら、何に必死になるんですか」
 ……おまえたちが、それを云うか?
 自分の命はほいほい投げ出すくせに、いざ他人にはそれを説くか。そんな反抗心が生まれはしたが、ふたりの気持ちに嘘偽りがないことは、アズリアとて判っている。
 だからこそ――腹立たしくて。だからこそ――
「一緒に」、手が差し伸べられる。「一緒に探そう」
 剣のことは、諦めてもらいたいけれど、
「島のみんながしあわせになるように」、もうひとつの手が、間を置かず隣に並ぶ。「アズリアたちが帝国に帰れるように」
 協力するから。
 一緒に。

 ……一緒に行こうよ、アズリア。

 空は赤い。
 大地も赤く照らされている。
 そして、――いつか見た青い空を、思い出す。
 共に並んだ。
 共に在った。
 突っかかっていった自分を、いつも、彼らはこんなふうに並んで笑って待っていた。
「だから! おまえたちは甘すぎるというんだ!!」
「そうかなあ?」
「そうでしょうか?」
 怒る自分。
 笑うふたり。

 ――そのくせに、やってられるかと背を向けて立ち去る自分を、追いかけてくるのだ。

 一緒に行こう、と。
 笑って、手を差し出すのだ。
 ……ああ。
 自分は、その手を、どうしていたっけ――?

「ふ……」

 肩を揺らした弾みに、髪が一筋、前に零れた。
 むずがゆさを覚えたものの、アズリアは、それを退けようともせずに俯いた。
 いくつもの思考が、脳裏で暴れる。
 心を熱くする。
 その熱が瞼の奥に届く前に、呼気に乗せて吐き出した。
「……かなわんな、おまえたちには」
「アズリア!」
 云った途端、自分以上の熱を込めた声が、耳朶を打つ。それに突き動かされるようにして顔を上げると、満面の笑顔がそこにあった。

 ああ、そうだった。
 最後にはいつも、この笑顔を見ていた気がする。
 ならば。
 私はきっと、奴らの手を――

 すとん、と何かが落ちた。そんな気がした。
 さきほど以上の熱が、みるみるうちに競りあがってくる。それを押し隠そうとはしてみたが、果たして成功したかどうか。
 それでも、これは精一杯の強がりだ。
 ……たぶん、こいつらにはお見通しなのかもしれないが。
「勝者からの和平だ。従わぬわけにはいくまい」
「アズリア……!」
 ほら、な。
 さらに輝く笑みを見て、アズリアは、小さく息をついた。

 ……瞬間、

「ははっ」
 聞き慣れた声が、笑い出した。

「あははははっ!」


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