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【…帝国、海戦隊。】

- それは、現われた -



 時間的にはとっくに戦いが始まっていてもおかしくないが、さすがにここまで離れてしまうと、音も声も聞こえはしない。
 静まり返った森を抜けて、は、プニム共々喚起の門に辿り着いていた。
「さて?」
 ここまで黙ってついてきた、青い背中を見下ろして、は腰に手を当てる。
「いい加減説明してもらおっか。なんで、あたしが黙ってついてきたか、判ってるよね?」
「ぷ」
 プニムの訴えに、は素直に従った。
 何を問うこともなく、船に戻るなり遺跡の現象を起こした何者かの存在を皆に告げ、目が逸れた一瞬に入り込むかもしれない可能性を示唆した。
 ありえない話ではないが、は、その可能性が低いこともまた、よく判ってはいたのだ。
「ずっと、あたしを、ここに連れてこようとしてたね」
 砂浜で初めて逢ったとき。
 ジルコーダが出たとき。
 その他にも、何回か。
 目の前の青い生き物は、を、この場に連れてこようとしていたのだ。
 大きな丸の周囲に、小さな丸がいっぱい。――それは、プニムがはじめてに見せたらくがきであり、喚起の門を描いたものだった。
 だが、いつも何かの要素が重なって、プニムは、だけをここに連れてくることは叶わなかったのだ。今日、いま、このときまで。
 ……誰も目を向けぬ隙。それをついて遺跡を訪れる何者か、が、自分にすりかわってしまったおかしさを思いながら、はプニムをただ見つめる。

 ……すべての、

 そして、声がした。
 ゆっくりと目を閉じたプニムから、蒼白い光が浮かび上がる。

 ……すべてのはじまりが、ここにある

 それは、ファリエルに似た在り方だけれど、全く違う存在だった。

 ……すべてのおわりもまた、ここにあった

 やわらかな微笑。レックスに似ている。
 たなびくローブのような衣服。ヤードを思い出させる。
 周囲に漂う燐光。ファリエルのものと同じ。
 年は、二十代半ばか。もう少し上か。

 ……先日ぶりだね、

 このうえなく優しく、友好的な笑みを浮かべた青年に、は、
「え――、と。とりあえず名乗っていただけませんか」
 ひとまず低姿勢に、そう云ってみた。
 とたん、青年の細められていた瞳がまんまるになる。笑みが消え、うろたえた表情になる。

 ……名乗ってなかった?

「ええ」

 ……そ、そうだったっけ……、そ、それなら、ごめん

「…………」
 なんかレックスに似てるな、そのうろたえかた。
 実に他愛のないことを思いつつ、ふと視線を動かした。宙に浮かぶ青年の足元付近、目を閉じるプニムを見る。
 眠っているようだが、見慣れた鼻ちょうちんもないし、なんだか、透明な石膏で固められてしまったような、そんな印象。
「プニムに何したの?」
 む、と顔をしかめて云うと、青年は、あ、と苦笑した。

 ……何もしていないよ。だいじょうぶ、これが終われば元に戻るから

「それが、何かしたってことじゃないの?」
 半眼になってツッコミを入れてみたものの、はすぐにかぶりを振った。
「いや、いいです。じゃあ、あなたがあたしをここに連れてきたがってたっていうこと?」

 ……ああ、そういうことになる

「何故?」

 ……君にお礼を云おうと思って

 …………
 ……………………

「はあ?」

 えーと。
 今、なんて仰いましたかこの兄ちゃんは。

 思わず耳に指を突っ込んでみるが、それで鼓膜を震わせた音が消えるはずもない。
「お礼? なんであたしに?」
 消えぬ現実を痛感したは、仕方なく、話を進めるほうを選んだ。
 いつかの海発言よりも、今のそれのほうがよっぽど素っ頓狂だ。いったい何がどーなって、あたしはこの兄ちゃんに礼を云われなくちゃならないんだ。
 そもそも、こないだの夜が初対面だというのに、お礼も何もあったものではないんじゃなかろうか?
 の頭上に発生した、数百個もの疑問符が見えたのだろうか。青年は、楽しそうに、だけど、少しだけ申し訳なさそうに笑う。

 ……いつか納得してくれればいいんだ、それが今でなくても

「――――」
 その発言には、何かひっかかる。
 ひっかかりはしたものの、は、詰め寄ろうとして踏み出していた足を、元の位置に戻した。
 仕草の意味に気づいたらしい青年は、どことなし安心したような笑みを浮かべる。

 ……ありがとう。正直、もう、今が限界だったから

 それは、見れば判る。
 届くものも、いつかの夜のように音としての声でなく、思惟としての声。外界に働きかける力が失せているのは、でなくても判るだろう。

 ……彼らには云えたんだ

 お礼を、だろうか。
 声なき声で、青年は云う。

 ……けれど唯一、君にだけは云えなかった。それが気になって……君と出逢ったとき、だから、目覚めたのかもしれない

 そう云って、すぐ、彼はかぶりを振った。

 ……いや、それがなくても必然だったのかもしれない。でも、僕は君にお礼を云いたかった、それが理由なんだと思うんだ

 青年のことばが紡がれるたびに生じる、感覚。
 それを、どこか――そう遠くないいつかに、感じた気がする。
 謎かけのような、いや、無限ループのような。そんな、堂々巡りの思考を。
 生じかけたそれを打ち切るようにして、は口を開く。
「じゃあ、わざわざこんなところまで連れてこなくても良かったんじゃないですか?」
 礼を云うだけなら、別にカイルたちがいたところで何の問題もないはずだ。それをわざわざ、こんな危険――今もそうかはまだ不明だが――なところまで、初対面早々連行しようとしていたなんて、何を考えているのか。
 云うと、青年は苦笑い。

 ……それは出来ない。僕は、君の前だから姿を現せるんだ

 また謎かけ。

 ……この僕が逢っていいのは、君だけだ。だから、ここに来るしかなかった

 つと動かされた青年の視線を追って、も、すぐ間近にある喚起の門に目を移す。
 もう少し歩を進めれば、ぽっかりと開け放しになっている入口が見えるだろう。あの深遠はもう、誰かを飲み込むために待ち構えているわけではないはずだけれど。

 ……灯台下暗し、って云うのかな

 青年は云う。

 ……ここまで近づけば、あの日より力の弱った僕でも――短時間だけれど、今の核識をごまかしきることが出来る

「は?」
 なんだかそれ、ちょっと、きな臭いんですけど。
 共界線だかなんだかを束ねて、島全体を把握してるとかいう、核識をごまかしきるなんてそんな芸当、護人たちでさえ可能かどうか。
 の、そんな胡乱げな視線に気づいていないわけはないだろうに、青年はどこまでも穏やかだった。

 ……お礼の前に、助言を、と考えたことがある

 突っ走れ、とかですか。

 ……何かの助けになれるなら、と、思ったりもした

「ちょっとストップ」
 手のひらを真っ直ぐに突き出して、は青年のことばを遮った。
「プニムは、それじゃあ……?」
 目の前の青年に操られていた、そういうことになるのか?
 傀儡戦争――今でこそそう称される、聖王国を揺るがした戦いの記憶が、苦味を伴なってよみがえる。
 険しさを乗せたの声に、けれど、青年はかぶりを振った。

 ……でもね、出来なかったんだ

 残念そうに、それ以上に嬉しそうに。

 ……今を生きている、この子の意志のほうがずっと強くてね

「そう、ですか」
 だから、と、青年は云った。

 ……僕が時々、こうして主導権を借りているも同然なんだ。そして――それも、これが最後だ

 ゆら、と、プニムの身体が揺れた。

 ……だから

 青年はもう一度繰り返した。

 ……だからやっぱり、僕は君にお礼を云いたかっただけだと思うんだ

 ことばを挟む余裕もない。
 プニムの身体が揺れたのを皮切りに、その輪郭はどんどん薄れていく。
 届く思念ももはや随分と弱々しくなっていた。

 ……すべてが終わったら、この子のことも、よろしく頼む

 意味の読み取れないことばに問いを返す代わりに、ただ、強く頭に叩き込む。

 ……この子も本当は、本来の時間から――

 ひとつ性急に頷いて、はただ、沈黙を保った。

 ……だから、

 最後に青年は繰り返した。

 ……ありがとう。君に、君たちに、何よりの感謝を――

 そうしてそれが最後になった。
「ぷ」
 ぱちっ、と目を開けたプニムが、虚空を凝視するを見て、首を傾げて一声鳴いた。
「……このために?」
「ぷぅ」
 疑問符に含まれた問い、すべてに対して、プニムは大きく頷いた。
 ここで彼と逢わせるために、プニムは、をいざなおうとしていたのだと、その仕草と声が答えた。
 ただひとつ、に何かの礼を云うためだけに、プニムも彼も、いざないの手を伸ばしていたのだ。
「気づくの遅かった……かな。ごめんね」
「ぷ、ぷー」
 気にするな、と、プニムはかぶりを振った。
 それから、いつものように、よじよじと登って簡易トーテムポール。
 すっかり馴染んだその重みとぬくもりに、は小さく破顔した。
 そうだね。
 かなりぎりぎりになってしまったけど(ついでにまだ理由は判らないけど)、あのひとの届けたかったっていうことばは受け取った。
 そう、それでいい。
 ことばの意味は、考えつづけることが出来る。きっといつか、彼の云っていたように、納得出来るときも来る。
 うん、それでいいじゃない。
「ね……?」
「――ぷ!?」
 頭上のプニムをそっと撫で、ひとつ頷こうとしたは、直後、その動作を取りやめた。間を置かず、大きく後ろに飛び下がる。
「――!」
 その目の前を。
 一条の、細い、糸にも似た針が。
 音もなく、過ぎ去っていった。

 タン!

 響く、高い小さな音。
 針が手近な木に突き立った音だ。
「――シャアァァッ!!」
 その残滓が消えるか否かという瞬間に、針の飛んできた方向から奇声が複数。
 そして飛び出してくる、黒い影。それは、声と同数――!
「な……ッ!?」
 突き出される細い刃。すんでのところで身をねじり、喉笛めがけた一撃を避ける。
「あんたたち、何者!?」
「シャァッ!!」
 問いには、意思疎通の意味をなさぬ奇声だけ。
 それと同時に左右と正面から繰り出される斬撃を、大きく後方に跳んで回避した。そのまますぐに腰を落とす。地面に手をついて、下草を蹴散らしながら横に移動した。背後に迫っていた殺気からも距離を稼ぎ、ようやっと、襲撃者全員を視界におさめられる立ち位置の確保に成功する。
 そうしてようやっと、影の姿を正面から見極めたは、
「……は?」
 どこかで見たような、頭の上から足の先まで真っ黒い衣装に包んだ男たちの外見に、ひどく間の抜けた声をあげていた。

「あんたたち、まさか――」

『シャアアァァァッ!!』

 誰何さえ、黒ずくめたちはさせてくれない。
 の声を遮るように奇声を発し、一斉に、獲物をひらめかせて飛び込んできた――


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