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【…帝国、海戦隊。】

- 開戦 -



 結局それきり寝入ってしまったメイメイに毛布をかけて、は店を出、船に戻った。


 出発前にと思った武器の新調は結局出来なかったが、まあ、ある程度手に馴染んできてもいたところだし、今、わざわざ不慣れなものと取り替える必要もないだろう。……モノが良いからって、自分の腕がそれに見合って即上昇するわけでもないんだし。
「でも、気分的にねえ、やっぱり」
 こう、ぱりっと新しモノで、整えてみたかったわけですよ。
 たとえて云うなら、式典に挑む前に軍服正装に袖を通すような気分というか。
 と、今の赤い髪でデグレアの軍服を思い浮かべてしまったは、直後「……似あわなさすぎ」と、遠い目になってつぶやいた。
 いや。赤は赤でも、ルヴァイドのような落ち着いた色合いなら別にいいのだ。だけど、この目に鮮やか系の色だと、どうしても浮く。しかも眼なんか翠だぞ。派手なんだぞ。
 うーん、黒髪黒目の日本人的己の色合いが恋しい。

「何ぶつぶつ云ってんだ?」

 そんなを見咎めて、少し前を歩いていたカイルが、肩越しに振り返ってそう云った。
「あ。いえなんでも。ちょっと物思いに」
「余裕ねえ、このコは」
 今から何しに行くか、ちゃんと判ってる? 軽く肩をすくめて笑うスカーレル。
 ……あなたも十分余裕かましてらっしゃると思いますよ?
 そう茶化そうとしたけど、やめた。
 彼のやり返しが怖かったというのもあるが、程よい緊張感の保った他の面々の気持ちを削ぐのは、得策ではないと感じたからだ。
「まあ、殿は大物でありますから」
「……蹴るよヴァルゼルド」
 今回もしっかり同行してくれている青色の機械兵士を、軽く睨む。
「褒めているのでありますが」
「とてもそうは思えないのよね」
「ぷいぷーぷー」
 ちょっぴりうろたえるヴァルゼルドへ、さらに突っ込む。プニムは……どっちの援軍なんだか。
 緊張感もへったくれもないその一角を、周囲の数人が呆れたように見やる。
 おまえら、今から大事な戦いに行くの、ちゃんと覚えてるんだろうな?
 そんな無言の圧力もなんのその、ひとまずヴァルゼルドに適当な裏拳を繰り出したは、何事もなかったかのように歩みを進めるのだった。
「ほれスバル、ああいうのを大物というのじゃぞ」
「えぇ? そうなの?」
 間を置かず後ろから聞こえた、笑みを含んだミスミの声と、胡散臭そうなスバルの声、
「そうですね。殿はリクト様によく似ておられる。……大味なところなど特にそう思います」
 おまけにキュウマの追い打ちで、つんのめることになるのだが。
 あまつさえ、それを目撃した全員から、指さして笑われることになるのだが。



 ――それでも、足を進めるうちに、一行の口数は自然と少なくなっていく。
 暁の丘が視界に入るころには、もう、雑談など一言も出なくなっていた。


 そうして、レックスとアティの斜め後ろを歩いていたは、いつしか最後尾に移動していた。
 林から丘へと抜ける先頭ふたりの姿をたしかめて、その場に足を止める。
 少し前にいたヤードが、小さく振り返った。
「……だいじょうぶですか?」
「はい」
 こくり、頷く。足元のプニムも、同じように。
「何かあれば召喚してください。……皆さんのことだから、だいじょうぶだと思いますけど」
「ええ」
 短いやりとりのあと、ヤードも足を進め、林から抜けた。
 きっと、木々の向こうに見える丘からは、進み出た全員の姿がとらえられることだろう。――以外の。
 ……帝国軍の目標は、魔剣。それを持つ、レックスとアティ。重要度で云えば、海上で奪っていった海賊たちと、与する島の者たちは、ふたりに遥か劣るだろう。
 ひとり、いないところで、どう追及が来るとも思えない。
 だから、白羽の矢はに立った。いや、立たせた。
「…………」
 一行の姿が遠ざかるのをしばらくの間見届けて、はプニムを見下ろした。
「じゃ、行こうか」
「ぷっ」
 ――出発前、船で交わした会話があった。
 先日、遺跡から立ち上った赤い光の柱。それを成した、何者かの存在。その何者かが、遺跡の破壊を知らなければ、こうして総力戦が展開されている隙をついて、再び遺跡に近づく可能性があるかもしれない。
 そこを狙えば、捕獲できはしないかと。
 ……提案したのはだった。遺跡の斥候に、名乗りを上げたのもだ。
 姿の見えない何者かへの不安は、装置を破壊しても消え去ったわけではない。それになら、いざというときはヤードによって長距離を越えることが出来る。
 この理由も、挙げたのはだった。
 決戦に水を差すようで申し訳ないとは思ったが、にもの理由があるのだ。――いや、この場合は、
「ぷ」
 急ごう、とばかりに走り出した、青い相棒が、メイメイの店からの帰り道、相変わらずのらくがきとジェスチャーで、懸命にそれを訴えたからだった。





 林を抜けて、すぐにその一団は目に入っていた。
 答えは誰もが知っていたが、あえて、誰も口にしなかった。

「……いた」

 一団の色彩、そして輪郭がようやくはっきりと見える位置にまで進んだ頃、沈黙を打ち破って、先頭を進んでいたレックスがつぶやいた。
 そのことばで、数名が、手のひらを日よけ代わりに額へ当てて、ゆるやかな起伏を描く暁の丘をすがめ見る。
 古びた遺跡――かつて実験場だったころの名残か、はたまた、それよりももっと旧い時代の残滓なのか――が点在する、草原。
 その只中、もっとも高く、進軍する相手を迎え撃つには絶好の位置に、すでに彼らは陣を展開していた。
 最前線、そして指揮官たちを囲むように配置され、武器を構えた、名も知らぬ帝国兵士。
 要所要所には、将校服を着た数名が見受けられる。
 前線の兵士に混じって投具を弄んでいる、初対面のときと同じ卑しげな笑みを浮かべたビジュ。
 中ほどには、抜き身の長剣を手に下げたイスラ。
 そこを突破すれば、兵士たちの壁が厚く存在する。その向こうにギャレオがいて、――その先に、彼女はいた。
「……アズリア」
 ぽつり、アティがつぶやいた。
 万感の念が込められているようだけれど、その詳細なところまでは、他の誰にも判らない。
 下方の相手を狙える位置に配された弓兵、その攻撃が届かない位置ぎりぎりのところで、誰からとなく立ち止まった。
 それを待っていたのだろう、全員の足が止まるまでを見てとって、彼女もまた、足を踏み出した。
 その剣はまだ、剣帯にさげられたまま。
 けれど、彼女の雰囲気自体がすでに、抜き身の剣といって差し支えないほどに研ぎ澄まされている。
 そうしてその雰囲気をそのまま形にしたかのような、そんな声で、帝国海戦隊第六部隊を率いる女性は、こちらに向けて云い放った。

「――まずは、臆せずに来たことを褒めておこう。ここへ来たということは、我々との戦いを承諾したととって間違いないな?」

 戦いを避けつづけていたレックスとアティを、――揶揄するのではなく、からかうような。
 かつて、共に在籍していたという軍学校。その日々を、思い起こさせるかのような。
 ほんの一抹ではあるけれど、そんな親しみが、彼女のことばのなかには含まれていた……そう思えたのは、果たして、誰かの感傷だけが理由だっただろうか?




 ふと、イスラは眉を寄せた。
 いつも彼らとともにいたはずの、三人目の赤い髪の少女が、向かい来る一団のなかにいなかったからだ。
 今朝、宣戦布告に出向いた折に逢ったばかりで、てっきり、この場にも出てくると思っていた彼女の姿がなかったことに、彼は拍子抜けした気分になる。
 けれど同時に、僅かな安堵が胸に浮かんだ。
 帰ったのだろうか?
 そしてすぐに、それを打ち消す。
 そんなことはない。
 船は直っていないと云っていたし、そもそも、今朝の様子を見る限り、帰る気など全然なさそうだった。
 ……それでも、安堵は残る。ほんの、ほんの僅かにだけれど。

 うん、君はいないでいい。
 そう、君は来なくていい。

 これから始まる宴に、君だけは、どうか、参加しないで。

 眼前では、アズリアとレックスたちによる口上が展開されている。
 判りきってはいたことだが、どこまでも平行線を描くやりとりだ。
 あくまで話し合おうとするあちらに対し、こちらはあくまで戦いを挑む。
 今回ばかりは、アズリアが退くことはなかろう。
 慣れない島暮らし、敗北の続く戦闘、奪還出来ぬ魔剣。――疲弊しきったこの軍では、作戦行動ももはや限界なのだ。
 この一戦にすべてをかけ、勝利か敗北を決めねば、どちらにせよ、ずるずると軍は崩壊する。
 それを、隊長であるアズリアは誰より理解している。そして、イスラもまた理解している。

 ……だからこそ。今日のこの場が、この戦いが、好都合なのだ。

 舞台は整った。
 あとは、すべての役者が揃えば幕が開く。

 ――宴の幕は、もうすぐ開く。

 服の内側、胸にひやりと触れるペンダントの存在を感じながら、イスラは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 耳に届く周囲の轟きは、戦いの始まりを告げる、ときの声――


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