「こん……」
――にゃく、とでも切り替えたかったわけではないが、はそこでことばを詰まらせた。
アズリア率いる帝国海戦隊との決戦を目前にしたこの昼前、何か新しい剣など入荷してないかどうか、ついでに、戦闘で使えそうな薬草の詰め合わせセットだかなんだか売ってもらおうと訪れた、メイメイの店の入口で。
は、蒟蒻とも金平糖ともボケれず、当然のようにまっとうな挨拶であるこんにちはも口に出来ず、立ち尽くした。
「……ちゃん」
いつにも増して酒のにおいが充満した店内で、メイメイが仁王立ちしてこちらを見つめて……いや、睨みつけている。
地の底から響いてくるようなおどろおどろした呼びかけに、このまま背を向けて逃げ出してしまいたい衝動にかられた、(偽名)さん年齢マイナス2〜3歳(現在の年代において)。
だが、とてもとても、それが出来そうな雰囲気ではない。
なので仕方なく、は、店主に呼びかけてみた。
「メ……メイメイ、さん?」
「・……」
返事はない。ただの屍でもない。
「……メイメイさ〜ん……?」
数秒の間をおいて、もう一度、呼びかけてみる。
そして、
「ひっ!?」
と、は大きく後ろに飛び退いた。
何の予備動作もなしに、メイメイが手のひらをこちらに向けて突き出したからだ。……あまりの素早さのためだろう、が己の目に捕えきれたのは、その残像だけだった。
どういう身体能力してるんですか、龍のツノ生やしたお姉さん。
そんなツッコミを入れてみたい気持ちはやまやまだったが、それは出来ずに終わる。が口を開くより先に、メイメイが唇を持ち上げたからだ。
「お代はお酒ッ!」
「え、えええぇっ!?」
あたし、別に占いとかしにきたわけじゃないですよっ!?
ちょっぴり悲鳴混じりのの叫び、だが、メイメイは聞く耳持たないらしく、据わった眼をぎらりと輝かせた。
「ぷっ」
恐れおののいたプニムが、びくりと震えての頭上から飛び下りた。そのまま、足元に身を隠す。
それをメイメイは一顧だにせず、広げていた手を握り締め、
「今日はお酒を飲みたい気分なのよう〜! 買い物するなら、お代はお酒! 今日はそれ以外認めにゃい〜!」
ぶんかぶんかと上下左右に振り回し、駄々っこみたいに床を蹴って大騒ぎ。
なにやら、今日のメイメイさんは非常にご機嫌斜めらしい。
素直に酒を調達してくるべきか、と、が心を決めかけたとき、ふと。
――りぃん、
「あ」「にゃ」
彼女が手首に巻いていた銀色が、振り回した弾みで解けて宙に舞い上がった。
とっさに手を伸ばす。
綺麗な弧を描いて、それは、の手の中に落ちてきた。
――りん、
「……」
まるで礼を云うかのような涼やかな音を、懐かしい気持ちで受け止める。
銀色の細工物。
きれいなペンダント。
遠い、遠いあのひとたちに、いつか戻るべきひとつの絆。
ほんの何秒か、それに見入ったの耳に、「メイメイさんだってねぇ……」と、なんとも恨めしげな声が届いた。
泣きの入ったその声に、は視線をメイメイに戻す。そのついでに、あわててペンダントを返した。
「メイメイさん?」
「……メイメイさんだってねぇ……いつもいつもお気楽元気なわけじゃにゃいのよう〜……」
「ぷー……?」
さっきまでの勢いが失われているのがわかったんだろう、プニムが、気遣うような気持ちのこもった鳴き声を発した。
「お酒に逃げたいときだって、愚痴っちゃいたいときだって、誰彼構わずミヅチ喚んでふっ飛ばしたいときだってあるのよう〜」
「……いや、最後のは勘弁してください」
なんとなく薄ら寒いものを感じ、とりあえずそこにだけ突っ込んでみる。
その弾みで、
――りん、
と、また、銀が揺れた。
「ねえ、ちゃん。あのね」
「え?」
ぐしっ、と、大きく鼻をすすって、メイメイは一度だけ、腕で乱暴に目元をこすった。
少し赤くなった目じりを見なかった振りして問い返すを、彼女は手招きで椅子に座らせる。
素っ頓狂な要求はないだろう、そう考えて、は素直にそれに従った。プニムもとことこついてきて、こちらは卓の上に鎮座する。
その間に、メイメイは一旦奥に引っ込んだ。戻ってきたときには、湯気の立つ湯のみがふたつ、小振りの杯がひとつ。満たされているのは同じ、ホットミルク。
――珍しい。
目を丸くしたに、はにかむような笑みを見せて、メイメイは杯をプニムの前に、湯飲みを自分との前にそれぞれ置いた。
「……」
しばし、ふたりと一匹が喉を潤す光景だけが展開される。
湯飲みを半分ほど空にしたあと、ほう、と。期せずして、ふたりは同時に息をついた。一拍遅れてプニムも同じく。
「さっき知ったの。確信した」、ぽつりとメイメイが云った。「誰も、天に恥じるような歩みをしてるわけじゃないって」
「……天に?」
湯飲みを卓に戻し、は先を促す。
「私、それは断言しちゃう。占い師に断言はタブーなんだけど、しちゃってもいい。本当に、みんな、輝いてるもの」
うん、と、はひとつ頷いた。
レックスもアティも、子供たちも、そして島の人々も、みんな、一生懸命に生きている。あの帝国海戦隊だって、主張が相容れないだけで、その生き様は誇れるものだと思う。……一部バカ野郎がいるが。
時代が違っても、いや、違うからこそ。そんな彼らと共に在ることが出来るそれを、とうといと思う。
「……だのに」
ごん、と鈍い音。
メイメイが、卓に勢いよく突っ伏したのだ。
「メ、メイメイさ……」
「ぷ?」
が手を伸ばすより先に、プニムが彼女の頭をちょいちょいとつつく。
されるがままになりながら、メイメイは、くぐもった声でこう云った。
「だのに……兆しが兆しじゃなくなっちゃったのよう」
「きざし?」
ぱっ、と脳裏によみがえるのは、いつか雨の夜。風雷の郷で起こった人質事件のあと、気分を悪くして船の外に出たが、やってきたメイメイと遭遇したときのこと。
――あの日も、たしか、兆しがどうとか云っていた。
しかも、よろしくない、とかなんとか頭についてた気がする。
「よ、よろしくないのがなくなったんなら、それ、いいことじゃないんですか……?」
浮かんだ疑問をそのまま放てば、メイメイは緩慢な動作で頭を持ち上げる。
を見る彼女の眼は、酒ではない理由で熱を帯びていた。
「……メイメイさん、占い師なの」
「はい?」
脈絡の無い展開に戸惑いながら、は頷く。
「だからね、傍観者でしかないの」
「は、はあ」
「もう――傍観者でしかいれない、の……」
「ぷぅ?」
終わりに向かうにつれて、メイメイのことばは少しずつ小さくなっていった。頭もまた、卓に組んだままだった腕の上に落下する。
プニムがまた突っついているけど、彼女はもう微動だにしなかった。
「メイメイさん……!?」
あわや、と、椅子を蹴立てて立ち上がっただったが、
「……むにゃ」
同時に聞こえた小さな寝言に、がくり、その場に膝をつく。
云うだけ云って爆睡か……っ!
やり場のない怒りの発散先をどうしようかと、拳を震わせつつ思考開始。とりあえず、その前に毛布でもかけてやるか、そう気を取り直して店内を見渡した。
ところが、
「ね、ちゃん……」
囁くような小さな声で、メイメイがに呼びかける。
「……寝てなかったんですか?」
振り返ってそう云うの、ことばは果たして聞こえているのか。突っ伏したままの姿勢、頭のてっぺんをこちらに向けたまま云うメイメイのそれは、どこか夢うつつで、寝言めいていた。
「傍観者は……、メイメイさんだけで、じゅーぶんよ」
「え?」
「約束するわ――見届ける。きっと、私は見届けるから……」
声は途切れた。
だけど、
――りぃん、
風も吹かぬはずの室内、微動だにしないメイメイの手首で、銀がまた一度、音を響かせた。
……見届けるから
……突っ走って
……ね、――ちゃん
それは、夢幻から届いた誰かの声。
銀の音に隠れて、声としてはに響かなかった、遠い、遠い誰かの声。
最奥にたゆたう幻影が、ただひとしおに願う声だった。