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【…帝国、海戦隊。】

- 話したいこと -



 先生たちの思うとおりにやってくれ。
 そんな頼もしいことばをくれた海賊一家、それに同じ客人のヤードと、子供たちは、今ごろそれぞれの準備をしているのだろう。
 連絡を走らせた護人たちからも、各々の方法で返答が来た。
 ……皆、時間前にはそこに向かってくれるそうだ。
「いよいよ決戦ですよっ」
 あのオウキーニ人質騒動の日以来、しれっと戦列に数えられるようになったマルルゥ――ヤッファの使いで船に来た――が、勇ましく握りこぶしを作って告げるそれに、レックスとアティは頷きを返す。
「そうですね」
「がんばろうな」
「はいですよ! ぜーったいに負けません!」
 大きな弧をひとつ描いて、マルルゥは、ふたりに手を振りながら飛んでいった。今からユクレス村に帰って、ヤッファといっしょに準備なり何なりするんだろう。
 ――マルルゥもそうだが、誰ひとりとして悲痛な色はない。
 決戦を挑む帝国海戦隊を、ないがしろにしているわけではない。――今日という今日こそは。今回こそは。
 ほんとうに、何もかもの決着をつけるのだと、その意気込みが勝っているだけ。
 命の奪い合いではなく、ことばで、気持ちで、決着をつけるのだ。
 そんなふたりの意志は、全員に伝わっている。
 そしてみんな、認めてくれている。
 “先生たちのやりたいように”……そう、信じてくれている。
「レックス」
 船の甲板――佇んで、潮風に髪をさらわれるままにしていたアティは、ふと、隣に立つレックスを振り仰いだ。
「うん」
 空を見上げていた弟の目が自分に向いたのを見てとって、ことばを続ける。
 みんなが信じてくれている、これってしあわせですよね。そう云おうとしたけれど、それは後にとっておくことにした。
 そう。これはまだ、アズリアたちと手を取り合えてから云うべきことだ。
 後少し。後一歩。
 ……そのときまで、とっておくのだ。
 だから、口にしたのは別のこと。
「これが終わったら……どうしますか?」
「……気が早くないかな、それ」
 なんて返答をしながら、だけど、レックスは「そうだなあ」と、顔をほころばせた。
「ナップたちを、ちゃんと軍学校に送って……家庭教師続行かな」
 予想していた答えに、アティは声をたてて笑う。
「じゃあ、それが終わったら?」
「終わったらか……う、それは考えつかないな」
「……?」
 あら? と、首を傾げるアティ。
 てっきり、暇になったらおかあさん探しにでも行こうかな、なんて云うかと思っていたのに。
「おかあさんは、もう探さないんですか?」
 だから、疑問をそのまま口にした。
「――――え」
 そうしたら、レックスは、豆鉄砲をくらった鳩のような顔になって、まじまじとアティを凝視した。
 だけどアティは、彼がそんなふうに驚く理由が判らない。
 首を傾げた姿勢のまま、答えを待って沈黙する。
 それは何秒もつづいただろうか。
 ――不意に、レックスが息を大きく吐き出した。
「そっか……忘れてた……」
「おかあさんのことを?」
 おかあさんをしてくれた誰かを探すんだ、って、レックス、あんなにこだわっていたのに。
 拍子抜けしたのが伝わったんだろう、「違うよ」と苦笑して、レックスはアティの考えを否定する。それから――笑った。
 何か面白いことを思いついた、そんな、悪戯小僧めいた笑みを浮かべて、弟は姉に向き直る。
「……もう探さなくてもよくなったんだ」
「諦めたってことですか?」
「違うよ」
 もう一度、否定。
 だけど、表情は笑み。
「知ったら、きっとびっくりする」
 嬉しそうに幸せそうに、早く云いたいと顔いっぱいに描いて、レックスはそう云った。
 秘密をちらりと見せて焦らしているも同然のそれに、アティは、む、と頬をふくらませた。
「なにをですか? 内緒はずるいですよ」
「……秘密」
「レックスっ」
 軽く拳を振り上げた姉を見て、弟は、「わあ」と、実に気のない悲鳴を発して数歩下がった。
 逃げられたアティとしては、当然、それを追いかけるわけで――結果として、しばらくの間、船の中にいた人間は天井から落ちる埃に悩まされたとかなんとか。それは、姉弟の知るところではないが。
「――はあ、はあ」
「っ、ぷは――」
 ひとしきり甲板を駆けずり回って、最後にふたりは、その場へどさりと背中から倒れ込んだ。
 まるでそれを待ち受けてでもいたかのように、潮風が彼らの熱を奪っていく。
 数度、大きく胸を上下させて、レックスは寝転んだ姿勢のまま、口を開いた。
「全部終わったら……そう、アズリアたちと話して、そして、碧の賢帝をちゃんと封印出来たら」
「……出来たら?」
 紡がれるそれが、軍学校のことでないのは判っていた。赤い髪を甲板に散らしたまま先を促すアティの耳に、呼気の混じったレックスの声が届く。
「――出来たら――それを、教えるよ」
「む……お預けですか」
「うん。お預け」
 ずるい、とアティが云うより先に、レックスは告げる。
「きっとアティは喜ぶ。俺も……云えると嬉しい。だから、俺にもアティにもお預けで、公平だよ」
「……そ……そうなのかなあ?」
「そうそう」
 疑問符が浮かびはしたものの、嬉しそうなレックスの応えに、アティはそれ以上悩むのをやめにした。
 うん、教えてくれないって云ってるわけじゃないんだし、終わりもきっと近いし。だったら、今ムリして訊かなくてもいいですね、と。
 おかあさんのことで、ふたりが嬉しいことって云ったら、やっぱりおかあさんと逢えることだけれど――
「……」
 でも、レックス。
 もしそうなら、そのことを、あなたはどこで知ったの?
 問いかけようとして顔を持ち上げ、――アティはそれをためらった。
 気持ちよさそうに目を閉じて、吹き抜けていく風を浴びるレックスの表情が、そう、とてもしあわせそうだったから。
 突付けば壊れそうなガラス細工、そんな連想が脳裏をよぎり、結果生まれた空白の間に、レックスが、姉の動いた気配を察して目を開ける。
 自分と同じ蒼い眼が、真っ直ぐにこちらを見た。
 それで、というわけでもないけれど、アティは、問いを諦める。うん、とひとつ笑って、弟の鼻の頭を突っついた。
「……約束ですよ、レックス」
 全部終わったら、全部話してくださいね。
 そう云う姉に応えて、弟も、うん、と笑った。
「ああ。約束する」
 全部終わったら、全部話すよ。

 ――終わりなど、

「え?」

 ――来るはずがない

「……ん?」

「何か云った?」「今なんて?」

 ――……

 くつくつ、くつくつ。
 何かが笑う。

 耳に届く風の音に打ち消されたそれを余所に、レックスとアティは互いを見たまま首を傾げた。
「せーんせー!!」
 そこに、けたたましい靴音と複数の声。
 駆け込んできた子供たちは、甲板に横たわる先生たちを見て、一瞬ぎょっとしたものの、すぐに呆れた顔になる。
「何してんだよ?」
 小走りに駆け寄ってきたナップの顔は、すぐに起きないと蹴飛ばすぞ、と云っていた。
 それはさすがにされたくなくて、ふたりはあわてて身を起こす。
「ちょ、ちょっとね」
「戦い前の鋭気をですね」
「……嘘ですね」
「嘘ですわね」
 まさか、おかあさんの話をしてたなんて云えない。
 しどもど口にした言い訳は、双子によってすっぱり一刀両断された。
 さらに、
「先生……嘘はいけないと思います。ちゃんと、寝てたって云ってください。誰も怒りませんから」
 と、なんだか哀れんでいるような表情で、アリーゼまでもが云う始末。
 ぐうの音も出せなくなった先生たちを、生徒たちは『はあ』とため息揃えて見下ろした。
「え、えーと……あっ。はどうしたの?」
 何か云わねばとことばを探しはしたものの、とっさに出たのはそんなこと。
 その裏事情を察した子供たち、またもや『はあ』の大合唱。
「良物の剣が入ってないか見てくる、って、メイメイさんのお店に行きましたわ」
 顔を見合わせたのち、代表してベルフラウがそう云った。
「あら」「あ」
 勿体無い。
 ついさっき、同じく武器の仕入を確認するためにメイメイの店を訪ねていたレックスとアティは、一緒に誘えばよかったか、と、顔を見合わせる。
 それから、ナップとアリーゼが、レックスとアティの腕をそれぞれ引っ張る。
「ほら、先生。今から腕慣らしするんだからさ、付き合ってくれよ」
「そうです、これも授業の一環として……なんだか、新しいことが出来そうなんですから」
 戦い前の緊張というものは、良かれ悪しかれ何かのきっかけになることがある。生徒たちも、正にそのときなのだろう。
 となれば、見逃すわけにもいくまい。
 目の前に下がる蜘蛛の糸は、見逃してしまえば、次降りてくるのがいつか判りやしないのだから。
 故に、先生たちは飛び起きて、今度は逆に子供たちの背を押すようにして、甲板を後にするのであった。

 ――……

 ……――

 風に紛れたふたつの囁きを聞く者など、だから、そこにはもう、いなかったのである。


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