連れだって風雷の郷を後にした、最近とんと忘れそうな関係なのだが召喚主と召喚獣は、続いて狭間の領域を訪れた。
真っ直ぐ船に帰るにはまだ早い時間だし、それならマネマネ師匠にでも逢いに行ってみよう、そうしよう、という次第。特には、先日師匠が尋ねてきた折、速攻風雷の郷に向かって、まともに話もしていなかったし。
うん、人生いつ何がどう転ぶか判らないのだから、やろうと思ったことは思ってすぐにやっておこう。
「というわけで、こんにちは師匠」
「何がというわけで、じゃ。こんにちは」
「いらっしゃいませ。今日はおふたりですか?」
「おや、フレイズ殿もこちらでしたか。こんにちは」
双子水晶には今日もマネマネ師匠が鎮座しているかと思いきや、いや、たしかにしていたんだけど、珍しいことにフレイズがそこに同席していた。
「ファリエル様が、遺跡で少々張り切られすぎたそうで……祠にてお休みいただいているのですよ」
それで、つきっきりも逆に負担だろうと思って散歩に出たところ、師匠に捕まったんだとか。
「前のおまえなら、それこそ目を覚ますまでつききりだったろうにのう」
「……だから嫌なんですよ、貴方と話すのは」
何かと過去を知られていますし、と、仏頂面になるフレイズだが、以前は見られなかった気安さが、ほんの少しだけどそこには含まれていた。
今日は黒髪さんの姿のままでいる師匠と交わすことばと表情は、至極和やか。
サプレスではこんな感じだったのかもしれないな、師匠が下手におちょくりすぎなければ、という条件付で。
「ははは、そうそう。昔はこいつもわんぱく小僧でなー」
「師匠ッ!!」
と、思った傍からこれだ。
嬉々として過去話を始めようとした師匠を、フレイズが火を吹いて止めた。
けれど、時既に遅し。
「ほう、フレイズ殿にもそんな時代が……」
「わんぱく小僧だったんですかー。へー」
何故か真顔で頷く召喚師とにんまり笑う召喚獣を見て、金髪天使さんは苦々しい表情でため息ひとつ。
それに重ねて、師匠が首を傾げた。
「んで。今日は何か用かな?」
「あ、いえ。ちょっと顔を見に。こないだの朝は、あたし、ばたばたと行っちゃいましたから」
「ああ、そか。そうだったの。朝食ごちそうさま」
「いえいえどういたしまして」
胸の前で律儀に手を合わせて礼をする師匠に、もぺこりと頭を下げた。
同時に顔を上げたふたりは、目を合わせてにんまり。あはははは。
そんな様子を眺めていたフレイズとヤードはというと、片や苦笑、片や微笑、と、まあ笑みには違いない表情を浮かべる。
そうして、ふと思い出したようにヤードが云った。
「そうそう……随分前の話ですがよろしいですか、フレイズさん」
「はい、なんでしょうか?」
機会があればと思っていたのですが、伸び伸びになってしまって……そう前置きして、ヤードはフレイズに問いかける。
「以前――初対面の日です。殿が悪魔と勘違いされたときなんですが」
「うわ、また懐かしい話を」
「そんなこともありましたね」
鬼気迫ってたフレイズの顔を思い出してが云えば、当人は申し訳なさが先に立つのか、ちらりとこちらを見てから苦笑した。
「なんじゃなんじゃ、こいつまた何か変な勘違いしたのか?」
わくわく、と、顔に書いて師匠が身を乗り出す。
「えっとですね。あたし、初対面の日、悪魔の力が周りにあるって云われてフレイズさんに怒られたんですよ」
「ははははは、早とちりさんめ」
「爽やかに笑わないで下さい頬をつつかないで下さい」
周囲にお星様を飛ばして微笑む師匠の指先から、必死こいて逃げる天使。うむ、笑える光景だ。
どうにか吹きだすのをこらえたの横、一度だけ喉を鳴らしたヤードが、「まあまあ」と話を進めようとする。
「そのとき、ポワソやペコたちと話されたあと、さんに触れておられましたよね。あれで何を確かめられたのですか?」
ことばの途中で、は記憶の戸棚をひっくり返す。
……あった、あった。
そろそろ納戸行きになりそうな位置に、うん、たしかに。ポワソたちに顔面張り付き攻撃を受けた後、フレイズはたしかにの手をとって、何事かを確かめていた。
「ああ」
同じように記憶の棚を捜索していたらしいフレイズも、そこで頷く。
「そのことですか……いえ、失礼な話なのですが、魂を確かめさせていただいたのです」
「「魂?」」
期せずして、とヤードの復唱が重なった。
目を丸くしたふたりの代わりに、師匠が、ちろりと弟を見やる。
「……おまえ……ほんっとーに失礼なやっちゃのう」
「しょ、しょうがないでしょう! 私もあのときまで、信じきれなかったのですから!」
「信じるのが天使の商売じゃろうに。この不良天使ー」
「年がら年中人様の姿を映しておちょくる貴方に云われたくはありませんッ!!」
「……いやまあ……別に気にしてませんから、とりあえず、ブレイクブレイク」
今にも剣を抜いて切りかかりそうなフレイズと、それでもにまにま笑ってる師匠の間に身体を割りいれて、は金髪さんのほうを振り返った。
「で、魂の確認て、何をどう見たんです?」
どうせそのうち話すつもりだからいいけど、あの時点で例の道とか知られてたんなら、ちょっと落ち込むぞ。
と思いはしたのだが、フレイズはそんなとこ見てなかったらしい。
「ええ……その、魂というのは人間と悪魔では明確に在り様が違います。本来は外から見るだけで判るのですが、貴方のような状態では、触れねば見通せないのです」
「そだな。着ぐるみ着てるようなものじゃしな」
そう師匠が頷いて、あれ? とは首を傾げた。
「でも、師匠、初対面のとき別に確認とかしてなかったじゃないですか?」
問いかけて、師匠答えて曰く、
「だってワシ、別に悪魔でも人間でも天使でもいいもん。ノリが良くて楽しければ」
「そ……それは……実に豪快ですね」
ことばに窮したらしいヤードが、ちょっぴしひきつった笑みで無難に応じる。
そんなヤード以上にひきつっているのが、フレイズだ。
「あ……貴方というひとは……ッ!!」
他にも山ほど云いたいことはあるのだろうが、ことばに出来たのはそれだけだったらしい。
拳を握りしめて震える金髪さんを、黒髪さんは、「んー?」とにやにや笑って眺めてる。
「ま、要するに、悪魔の気配ってだけで厭で厭で仕方なかったんじゃろ。それが実際確かめてみて、やっと事実を受け入れた、と」
「……悪魔と天使は仇敵です。貴方のようなひとが珍しいんですよ」
仏頂面で腕組みしてそっぽを向き、フレイズは抗議。
だけど、師匠はやっぱり動じた様子もなしに、いたずらっぽく笑ってみせた。
「だってほら、ワシ、天使じゃないし」
「……あ」
「え?」
「そうなんですか?」
兄弟兄弟連呼してるから、てっきり同じ天使なのだと思ってた。そんな疑問符を頭上に出現させた来客組とは正反対に、フレイズは、しまったとでも云いたげな表情になって口をおさえる。
「もともと、実体なんぞないただの霊体だったんじゃ。けど、こいつの誕生現場に行き会ったんでな。こりゃちゃんと天使に育ててやらなきゃいかんと思って、頑張ってみた」
「……マネマネ師匠は、フレイズ殿の育ての親だったのですか……」
その事実を知らなかったヤードが感心したように云うが、フレイズは渋面のまま――というのも、少し違うか。どこかばつの悪そうな、気まずそうな、そんな表情で小さく頭を上下させた。
以前のやりとりを見ていたなど、彼がやけにあっさり頷いたことに驚いてしまったくらいだ。
「じゃあ、マネマネ師匠が一番最初に真似したのって?」
「そ。フレイズの、コレ」
今じゃすっかり馴染んじまって、真似というか、これでワシってことになるがの。
にっこり笑って己を示す師匠を見て、とヤードは、うん、とそれぞれ頷いた。
他の姿をとってるときの、どこかひっかけたように変質してる声より、今の師匠のしゃべり方はずっと流暢。何より彼のことばのとおり、そうして佇んでる今の光景は、見ている側からも自然に思えるのだ。
「そうなんです」
フレイズがつぶやいた。
「おかげで、私は長いこと、師匠を同族だと信じていましたよ」
握りしめた拳に、ますます力を込めて、
「その事実を明かされたときの私の驚きを見た、このひとの喜びようといったらありませんでしたね……!!」
『……』
実直な金髪さんのことだ、きっと、その瞬間まで師匠の正体なんて疑いもしてなかったに違いない。
喉を震わせる黒髪さんの斜め前で、とヤードは生ぬるい笑みを浮かべて顔を見合わせた。
そんな反応を見て、我に返ったのだろう。
ごほん、と大きめの咳払いとともに、フレイズはちょっと無理矢理に話を引きずり戻す。
「ともあれ、そういうことです。……あの節は、本当に失礼いたしました」
今さらですが……申し訳なさそうに付け加えるフレイズに、はにっこり笑ってみせる。
「いえいえ。紛らわしいことしてる、あたしも悪かったですから」
「私には判りませんが……それは、今も継続しているのですか?」
ふと横からヤードが問う。
勿論、フレイズの答えは応だ。
「そうですね、今も感じますよ。さんの魂に触れた今では、その輝きを感じられますからあまり嫌悪感もないですが」
「……輝き?」
思わず背中を振り返る。
一瞬、背後に広がるきらきらお星様を想像したのは秘密。
そんなを「ははは」と笑い飛ばして、マネマネ師匠が正面に向き直らせた。
「魂じゃ、魂。元々、天使っていうのはな、生き物の放つ生命の輝きに、強く惹きつけられるものなんじゃよ」
「ふーん……?」
いまいち、その輝きとかいうものが判らないの生返事とは反対に、
「そうなんです!」
と、意気込むフレイズ。
あっけにとられる周囲を余所に、なにやら恍惚とした表情で語りだす。
「生きとし生けるものすべての輝きは、我々にとって貴いものです。なかでも、人の魂から生み出される輝きは特に美しく――」
「……」
「そう、時には夜空の星がまたたくように、時には激しい炎が燃えさかるように――」
「……」
「いいえ、その美しさはもはや例えようもないのかもしれません。本当に美しい……美しすぎる……」
「……」
「とまあ、こんなふうにトリップする奴も珍しいがな」
マネマネ師匠は、他人が盛り上がっていると、逆に水を差したくなる性分なのかもしれない。
やけに冷静な声でとヤードに注釈を入れる声を聞き、フレイズ、はたっ、と、どこかに行ってた焦点を取り戻した。
「あ……、と。いえその……」
少々慌てた素振りで、意味不明の単語を繰り返し、
「と、まあ。天使にとっては、こうして魅了されることが人間でいうところの恋に近い状態だという説もあります。それを例にしたおとぎ話は、こちらにも伝わっているとか」
「強引な話題転換しくさるのう、おまえ」
などと茶々を入れてはみたものの、あまりいじくると爆発することを、ちゃんと判っているのだろう。
「天使に限らず、サプレスの住民は精神生命体じゃからな。限りなく不死に近い存在故に、種の存続に起源する求愛行動っつうもんがない。だからこそ、こういった形のものがあるんじゃろ」
と、茶々どころか補足するような師匠の台詞に、フレイズも少しだけ安心した表情で後を続けた。
「――とはいえ、これが果たして恋愛感情なのかはっきりしていません。むしろ、一種の夢想なのかもしれませんけどね」
「ふむ……ありがとうございます。勉強になりました」
サプレスの召喚術を扱うヤードが、感心した様子で頷く横、はアメルのことを思い出していた。
彼女は天使アルミネの魂の欠片、という存在だったはずだけど、やることなすこととても人間めいていた。云われるまで証明されるまで、誰も、彼女がそんな存在だったなんて気づかなかったのだから。
そんなアメルだけど、彼女にはそういった恋愛感情はあるんだろうか? 一応人間社会で育ってるんだから、知識はあるんだろうし……リューグやロッカにも、何かと何かをけしかけてた覚えがあるけど、本人は、そのへんどうなのか。
帰って、覚えてて、機会があったら訊いてみようかな。
そう考えながら、口にしたのは別のこと。
「ねえ、フレイズさん、師匠。おとぎ話って――」
けれど、ことばの途中で、ふわりふわり、やわらかな感じの小さな光が、一行の間を横切っていった。
「あ」
「おや、もうそんな時間ですか」
周囲を見渡せば、ついさっきまで薄暗く静まり返っていたはずの狭間の領域に、明かりがぽつぽつと灯り始めていた。耳に届く、さわさわとした小さなささやき声。何かが笑っているようでもあり、ただの風の音のようでもあり。
眠っていた集落の住民が、起きだしてきたのだ。
つまり、もうすぐ夜も近いということ。
「心配をかけてしまってはいけませんね。さん、お急ぎでなければ、また機会があるときに」
「あ、はい。またそのうち、遊びに来ますんで」
帝国軍とか遺跡とか、何かと物騒だったこのごろだ。
要らん心配をかけるのも申し訳なく、はこくりとヤードのことばに頷いてみせた。
「ん。また今度な」
「お待ちしています」
微妙に受ける感じの違う、似通ったふたりの笑みを受け、退去の挨拶を交わした後、ふたりは、双子水晶を後にした。
だんだんと賑やかになる――目に見えて明らかなのは、光が増えていく現象だけだが――集落を見るのは、そういえば、これがはじめてだった。急ぎ出入口に進みつつ、そんなことを思いながら、はその光を眺めて通る。
……次、いつ、これるかな。
それは、特に何の含みもなく、考えたことだったけれど。
何故か妙に、胸が騒いだ。
――次、いつ、はここに来れるだろう?