声がする。
優しい、穏やかな声がする。
……来てくれたんだね
声がする。
……つれて、来てくれたんだね
声。
誰?
……お願いがあるんだ
何?
……僕のようなことにならないよう
どんなこと?
……彼らを見守ってほしいんだ
無茶仰いますね。
……碧と紅が、どうか絶望に呑まれないよう
人の話を聞いてください。
……――――
問答無用ですかこら!
ザァァ……ザン……
……ザァ……ザザアァ……
波の音。
寄せては返す、波の音。
それは、まだ母親の胎内で丸まってたときのまどろみの音。
あたしは――なんでこんなところにいるんだっけ?
身体の下に砂の感触を感じながら、ぼんやりとした頭で考えた。
浮かんできたのは、ルヴァイドとイオス。トリスやマグナ。ネスティにアメル、バルレルに――みんな。
……あ。そうだ。
たしか、アメルのおばあさんちに行くために……大平原でルヴァイド様たちから逃走……
「――――してない! っていうか終わってる!」
……ザァァ……ザ……
「…………」
叫んでがばりと起き上がり、相変わらず夢にツッコミを入れる生産性のない自分に自己嫌悪。
潮まみれ、砂まみれの頭を振って、霞がかった思考をとりあえずはっきりさせる。
「――そうそう。あたし、今、タイムトラベラーなんですってば」
今は、ン十数年前で。
サイジェントから帰るとき、バルレルとはぐれて。
一人でどうにかして、元の時代に戻らなくちゃいけなくって。
で、とりあえず聖王都に行こうとしたら――
「……そだ。あの子たちは?」
船に引き込んだナップの顔を思い出した瞬間、本格的に霧が晴れた。
海のなかで引き寄せた手。
あれはたしかに、子供たちのうちの誰かだったとは思うんだけど。
慌てて周囲を見渡してみるも、それらしき人影は近くにない。
離れた場所に打ち上げられたのだろうか?
それとも、途中で手を放しちゃったとか?
立ち上がろうとしたとき、腰で、しゃりんと音がした。
「……あ」
見下ろして、驚嘆。
よくもまあ、あの嵐のなかで無事だったものだ。
普段のように剣帯に通していただけの剣は、いかなる奇跡が起こったのやら、燦然とそこに鎮座していた。
とりあえず抜いてみると、これまたびっくり。
さぞかし錆びてるだろうと思っていたら、錆も刃こぼれも、ひとつもない。
白、としか表現出来ないその刃は、最初に抜いたあのときと変わらず、真白き光を零してその存在を主張していた。
「…………」
まあ、とりあえず。
「武器があるのは何よりですね、ハイ」
前向きにそれだけを考えることにして、は、再び剣をおさめ。
「あ」
手に触れた懐のふくらみに、またも驚愕。
あわてて手を突っ込んで、取り出だしたるは小さな巾着。――大事な大事なお守りは、剣と同じように、あの嵐のなかでも零れたりしないで傍にいてくれた。
「……良かった……!」
ぎゅ、っとそれを握りしめる。
中にあるのは、ぬくもりなんてない金属体だけれど、今はなにより強い勇気をくれた。
慎重に中をたしかめたところ、ロレイラルの特殊技術だかなんだかなのか、特に錆びた様子はない。巾着も、懐に入れていたおかげで痛みは見当たらないし、ということで、お守りはそのまま懐にしまいなおされた。
そうして、改めて周囲を見渡す。
さっきと違って、丹念に。
あの嵐が嘘のような上天気の下、目の目に広がるのは青い海、それから砂浜。ついでにプニム。
受ける印象は、ここが島なのではないかということ。
まさか莫大な距離を流されたわけでもないだろうから、おそらく、帝国領内の海域であることは間違いないだろうけれど……
「って、プニム!?」
「ぷぅいっ」
一度は素通りさせた視線を、ぎゅるいっと引き戻せば、そこにはメイトルパ産の軟体動物こと絶大なぷにぷにっぷりを誇るプニムがいた。
本人は召喚師ではないとはいえ、召喚師の知り合いなら何人もいる。
第一、ミモザやトリスがたまに喚び出してみせてくれたこともあるから、間違いない。
ぷにぷにボディにくりっとしたお目々、耳に見えるアレは実は3・4本目の腕ではないかとの噂も高い、プニム種そのものだ。
「……ってことは、この島、召喚師がいるってこと?」
目の前のプニムはどう見ても、はぐれのようには思えない。
暴れるような様子も、嘆いてる様子も、途方に暮れてる様子もない。
ちょこーんと。
の歩幅にして10歩ほどの距離をおき、ちんまり首を傾げてこちらを見上げている。
……
…………
どうしようかと少し迷って、はその場にしゃがみこんだ。
「そこにおわしますプニムさん、あなたのご主人はどこですかー?」
「ぷぃ?」
「ご主人です、ご主人。あなたを召喚したひと」
「ぷぅい……ぷーぷぷーっ」
あいにく、にプニム語はわからない。
が、プニムはこちらのことばが通じるようである。
ぷるぷると顔を横に振り、「ぷ」と否定の意を示す。
「は? 召喚した人いないの?」
「ぷぅ」
「……死んだとか?」
「ぷぷーう」
「違う? じゃ、最初からいないの?」
「ぷっ」
「え……っ、ちょっと、それじゃ君、どーやってリィンバウム来たの!?」
や、アヤたち。
そんな特殊なケースを除いて、召喚された者が真っ先に見るのは、自らを召喚した相手だと思う。
召喚獣は喚び掛ける声に応えて界を渡るのだ。
当然、辿り着くのは、喚びかけた声の主のところ。
だっつーのに。
このプニムさんは、召喚主なんぞ知らん! とばかりに首を左右に振ったのだ。
「ぷ」
目をまわしかけたの前で、プニムは、その耳で傍に落ちていた枝をからめとった。
太陽の光でほんのりあたたまった砂浜に、何やら絵のようなものを描いていく。
まる。
なかにまる。
まるとまるのあいだに、ちっちゃなまるがいっぱい。
ぎざぎざのせん、はっしゃ。
やじるし、プニムへ。
「……なんじゃこりゃ」
「ぷぷぷっぷーう!」
「いや、ムリ。わかんない」
思わずつぶやいたに、プニムの盛大な抗議がくるが、ムリなもんはムリである。
こげな幼稚園児のらくがきで、何を察しろと仰いますかプニムさん。
保育士さんにでもなれってか。
「えーと……とりあえず、君の身元はおいといて」
「ぷぃ、ぷー」
ぺちぺち、プニムの耳が絵をたたく。
はずみで撒き散らされる砂が、ぴしぱし、脛に当たってちょっと痛い。
「おいとかせて。お願い」
両手を合わせて誠心誠意頼み込むと、やっと、砂攻撃が止まった。
「ぷ」
「えっと……他にさ、人間見なかったかな?」
「ぷぅ?」
「あたしみたいに、砂浜で倒れてるような人とか」
「ぷ……?」
「んー、わかんないか」
どこから来たのか判らないが、唐突にここに降ってわいたのでない以上、どこかしらを経由してここに来たはずである。
だったら、道中、誰かの姿を見てないかと思ったのだが……期待は徒労に終わったようだ。
「しょーがない……っ、か」
しゃがみこんでいた身体を伸ばし、気合いを入れるために大きく伸び。
まだ血の巡りが遅いのか、ちょっとくらっときたけれど、動く分には問題なし。
というよりも、あんな嵐に巻き込まれて砂浜に打ち上げられて、よくもまあ、傷らしい傷が見当たらないものだ。
……ちょっと力放出しすぎたせいかもしんないけど。
源が源のおかげで、枯渇の心配はしなくてもいいが、別の不安がないでもない。
何せ、あの白い焔は、リィンバウムの守護者が持っていたものだ。
いつか見た光景のように、守護者のいない今の時代、世界が焔に気づいたら、手を伸ばしてくる可能性は決して低くない――
……心配要らないよ
……共界線は、島と外界を覆う薄膜
……この島は、この世界に在りながらこの世界とは隔離されているんだ……
それはささやき。
風とさえいえない、小さな小さな、一瞬のゆらめき。
だけど、それは確実にの心に届き、そうして不安を払拭した。
「……まあ。うだうだ考えててもしょうがないし」
まだ赤いままの髪を手早くまとめなおして、はもう一度あたりを見渡した。
ゆるいカーブを描いて、砂浜がつづいている。
誰かが打ち上げられてるのだとしたら、潮の流れを考えても、そう離れたところではないだろう。
「よし、それじゃまず砂浜を――」
誰に聞かせるわけでもなく、強いて云うなら自らを鼓舞するために、はそうつぶやいて。
「く、来るなぁっ!!」
「は?」
唐突に、カーブした砂浜の向こうから響いてきた幼い声に、入れようとした気合いは見事空回り。
「……今の声」、
だけどそれは、聞き覚えのある声。
どこかで聞いた、どころではない。
ここ数日のうち――というよりも、時間の経過が判らないけれど、間違いなくつい昨日か今日かに聞いた声。
かなり切羽詰ったそれは……
「ナップくんっ!?」
それに思い立った瞬間、は砂を盛大に蹴り上げて駆け出していた。