場は、戦いどころじゃなくなった。
気を抜けば吹っ飛ばされそうな暴風と、叩きつける雨に負けないよう、誰もが自分の身体を支えるだけで手一杯だ。
「ちょっ……なんですかこのすっさまじい嵐はーっ!」
「オレが知るかー!!」
傍にあったもやい綱らしきものにしがみついて叫べば、やはり手近なものにしがみついたカイルが怒鳴る。
叫んだ口にも、容赦なく雨が入り込む。
巻き上げられた海水が、否応なしに頭から降り注ぐ。
ずるり、と、滑りかけた手を必死で持ち直し、は周囲を見渡した。
風や海水にさらわれて、倒れていた水夫や甲板に積んであった荷物やなんかが、どんどん海に投げ出されていく。
まずい。
まずいまずいまずい……!
このままじゃ、遅かれ早かれ海に投げ出される。
自身はこんな目にあった経験などないが、その先に待ち受けているものは容易に想像できた。
「チッ! おい、一旦うちの船に――」
大きな体躯を持て余す客船よりも、まだ、海賊船のほうが小回りが効く。
荒事を想定してつくられた船体は、嵐のなかでも舵を失うようなことはない。
カイルの提案に、は頷くことで返答に代える。
近くにいるはずのアティやレックスにも、声をかけようと振り返り、
「うわー!?」
ちょうど、その瞬間目に映った光景は。
波と風に耐えられなかったのだろう。
子供たちが、立てつづけに海に投げ出されていく場面だった。
そうして、それを追って飛び込もうとしているレックスたち。
いやいやいや、ふたりで4人を追っかけちゃ、手が足りないってば!!
ツッコミ入れるのと、
「おい!! 早くこっちこい!!」
「ごめんなさいっ!!」
カイルの叫びを背に、綱をつかんでいた手を放し、レックスたちの後を追ったのは。……ほぼ同時。
死ぬ気かバカ野郎ー!
そう叫ぶ声が海に飛び込む寸前聞こえたが、返事を返す間はなかった。
ざぶん……
荒れ狂ってるわりに、けれど、海は優しく飛び込んできた人間を迎え入れていた。
波の上の大騒動など知らぬかのように、海のなかは穏やかだった。
だが、それを堪能している暇はない。
っていうか、衝動的に飛び込んだため、まず酸素が足りない。
文字通りの自殺行為に走った理由は、まあ……訊いてくれないほうが、出来れば助かる、というか。
ええええ、どーうせあたしは突っ走るしか能がないですよーだ。
ごぼごぼごぼ。
いい加減息苦しくなって二酸化炭素を吐き出しても、酸素の補給はない。
「…………ッ」
苦しい。
頭痛い。
それでもめぐらせた視線の先に、ひとつ。影を見つけた。
必死に手足を動かして近づき、意識を失った小さな身体を腕に抱え込む。
「――――」
小さな子供。
……為すすべもなく、唐突に海に放り出されたその姿と。
昔、やっぱり前触れもなくデグレアに放り出されて泣き叫んだ、自分の記憶が重なった。
守ってくれた。
あのときは、ルヴァイド様が。ゼルフィルドが。
守ってもらってた。支えてもらってた。
いつも、誰かが傍にいてくれた。
だけど今。
腕のなかには小さな子供。
……守るべき存在。
「――――!」
守らなきゃ。今度は。
誰の助けも望めない。望めるのは自分の力。
人外魔境だとか、出来ればあんまし使いたくないとか、そんな贅沢云ってられるか。
使わなきゃ、あたしは死ぬ。
あたしが死んだら、この子も死ぬ。
てゆーか。
「こんな、ン十年前の全然縁もゆかりもない場所であっさり死んでたまるか――――ッ!!」
叫ぶと同時――いや、海のなか、果たしてそれは声になってたかどうか判らないけれど。
頭痛と、今にも手放しそうな意識を必死にたぐって、道を開く。
リィンバウムに触れる道。
世界の力を通す道。
20年前。まだ、“”もいなくて、当然、彼女の存在もなくて。
そんな時代にこの力を解放して、守護者って勘違いされたりしないだろうな。
そう思わなかったと云ったら、嘘になる。
だけど。
この力しか、もう、使えるものがないのなら。
四の五の云ってる、暇などない。
――応えろ
喚びかける。切羽詰った今の頭、お願いしてる余裕はない。
命令なんてつもりはないけど、これは、有無を云わせぬ要請だ。
――応えろ、リィンバウム……!
“”の、制御を考えぬ喚びかけに。
応えて、リィンバウムの力が集う。
怒涛のように、白い焔が流れ込む。
真っ暗な海のなか、ただ、そこだけが――さながら白い陽炎のように浮き上がり、
そうして次の瞬間。
海も、雨も、嵐も、そしてはるか上空の雲でさえ。
弾き飛ばさんと顕現したのは――白い、白い焔の柱――
いかなる偶然が働いたのだろう。
そのときそこには――その泉には、その四人が集っていた。
「……なんだ、ありゃあ」
木々の向こう、はるか海の向こう。
唐突に立ち上った、白い光の柱を見て、獣人の青年が呆気にとられた声をあげた。
「光の……柱?」
少しくせのあるやわらかそうな髪と、意味ありげな紋様を身体に持つ女性もまた、同じように海を見た。
「…………」
大きな甲冑。果たして中身はあるのだろうか。
どこを見ているか判らない視線は、けれど、今は間違いなく、他の3人と同じモノを見ている。
「――いえ、あれはおそらく炎……」
額にツノを持つ青年が、それをすがめ見てつぶやく。
……忘れられし、その島に。
立ち上った焔はただ、その存在を知らしめていた。