「それだけはッ! それだけはなりませんッ!!」
「ええいやかましい! 襲いかかって申し訳ないって思うなら、あんたはあたしに借りがある! それを返したいとは思わないの!?」
「思いますがッ! それとこれとは別問題ッ! いわば電柱でありますッ!!」
「字が違う! 変なこと思い出すから云うなッ!!」
――喧々轟々。
スクラップ置場にこんな調子の怒鳴りあいが響き始めて、どれくらい時間が経っただろうか。
空にある太陽の位置はそう大きく動いていないから、さして経過しているわけでもないのだろうが、怒鳴りあう本人たちと、特に周囲の観客にとっては、体感的に何時間か経っていてもおかしくないのかもしれない。
観客ことスカーレル、ヤード、アルディラ、クノンは、うんざりやら困りきったやら呆れ返ったやら冷静に観察したりやら、とヴァルゼルドのやりとりを見物していた。
見ていて楽しいものでもないのは明らかだが、これがどーにかならぬことには彼らも動けないのである。
とっととどうにかしてくれというのが本音、だけどは譲る気などないし、ヴァルゼルドもまた、意志の堅いこと堅いこと。外野が口を挟んでどうにかなる問題ではなさそうだ。
そうなると、事態はやっぱり平行線なのだった。
「……あのね」
乱れた呼吸を整えて、はとくとくと語る。
「これはゼルフィルドが遺してくれたの。あたしにくれたの。すなわちあたしのものであって、その如何を決めるのはあたし」
そのあたしがいいって云ってるんだから、神妙にとっとと使ってバグ除去しやがりませ。
「それを手放してしまわれたら、殿とゼルフィルド殿の絆がなくなってしまうではありませんか」
自分は、同胞と殿のためにも、そんなことはさせたくないであります。
――平行線は伸びるよどこまでも。
またしても怒鳴りあいが始まるか、と、観客一同が鼓膜ダメージを受ける心の準備をしたときだった。
これまで“使え”“結構です”の主張一点張りだったヴァルゼルドが、つと手を伸ばして、怒鳴るために息を吸い込んだを止めた。
「げふ」
反射的に呼吸を止めた、そこで大きな咳をひとつ。
「……なに」
今度は切々と来る気か、と、対抗心満載の視線に、けれどヴァルゼルドは動じない。少なくとも、外に出した感情の揺らぎはない。
――機械兵士って、こういうとき便利だ。
「殿。何故、あなたは自分のためにそこまでしてくださるのでありますか?」
「ヴァルゼルドが好きだから」
問いに対するの返答は、速攻。
その語尾に重ねる形で、ヴァルゼルドは問いを連ねる。
「ですが、ゼルフィルド殿のことも」
「好きだよ」
「……殿」
もしヴァルゼルドが人間なら、彼はため息でもついていたろうか。そんな声音だった。
「本機にコアを使用した場合、中にある情報はすべて、本機のものに置き換えられます。つまり、ゼルフィルド殿の遺品として成り立たないことになるのであります」
「それ、さっき聞いた」――怒鳴りあいながら。
「つまりそうなると、ゼルフィルド殿の存在した証拠というものがですな、消滅してしまうことになるのではないかと思う次第でありますが」
「えっと……要するに、お守りがなくなるってのを心配してたわけ?」
「はい」
きょとん、と目を丸くした。
何かおかしなことを云ったろうか、と、首を傾げるヴァルゼルド。
ようやっと、両者の間に漂っていた空気が和らぎ始めた。
「あはは」
と、が破顔したからだ。
「なんだ、そうか。――あたし、てっきり、バグだから消えるってヴァルゼルドが意地張ってるのかと思った」
「それもありますが……」
ごにょごにょ。
両手の指をがしょがしょと突付き合わせ、ヴァルゼルドがごちる。シュールなんだかかわいいんだか。
けれど、ヴァルゼルドがことばにしなかった部分はちゃんとに伝わったし、観客一同にも伝わった。
うん。
生きてみたくなったんだよね?
バグだからと受け入れようとしてた消滅を、仲間とケンカしてまで引き止めようとする女の子。家族と云っていた機械兵士(名前がゼルフィルドだっていうのは、観客たち、今初めて知ったわけなんだが)の遺品を持ち出してまで、本気も本気でやろうとしてる彼女。
……うん。
そんな真っ直ぐなものぶつけられちゃ、留まってみたくもなろうってもんだよね……?
そしてまた。
女の子ことは、真っ直ぐに笑う。
「気にすることないって、そのへんは全然」
自分の胸に手を当てて、笑う。
「あたしが――あたしと、あたしの仲間が生きてること。あたしがここにいること。それが、ゼルフィルドがいた証拠だから」
そして、こう付け加えた。
「そのあたしが見る何もかも、誰も彼も。全部。当然ヴァルゼルドも、その証拠」
そう思うきっかけをくれたのは、ヴァルゼルドじゃない?
てらいのない、蔭りのない、木漏れ日どころじゃおっつかない、――本当に、真っ直ぐな笑顔で、少女は機械兵士に告げた。
そして、機械兵士は沈黙する。
のことばが強がりでもなんでもなく、本当の本音なのだと、ちゃんと彼に届いたから。
自分こそが、自分の立つ今こそが、大事な家族のいた証。
物じゃない。
遺された物品なんかじゃ、その代用にさえなりはしない。
この場所。
このとき。
この瞬間。
その家族がいたからこそ、こうしているのだと。――それは、その家族が喪われたからこそここにいるのだと認めているに、等しい台詞……だけど、そこに悲痛な気持ちや悲壮な色を、探すこと自体が侮辱だった。
問いかける。己に。
その笑みをもって、同じことが云えるか。
喪失を越してここにいる、それを、真っ直ぐに伝えられるか。
……答えは、問いかけた者と問いかけられた者しか知らない。
ただ、アルディラはそっと胸に手のひらを当て、スカーレルは目を伏せ、ヤードは天を仰いだ。
クノンだけが、微動だにせずたちを見つめていた。
――そうして、ヴァルゼルドは、ひとつ大きく頷いた。
千切ったケーブルの残骸を丁寧にはたき落とし、上体を持ち上げた。そのまま立ち上がるかと思いきや、彼は膝をつくような姿勢になって、と向かい合う。
その手が、ゆっくりと、に向けて伸ばされた。
うん、とひとつ微笑んで、は自分の手のひらをそこに乗せた。
両者の手が離れたとき、少女の手にあった小さな機械の塊は、青い機械兵士の手に移っていた。
感嘆の一語に尽きるわ。
スカーレルは、そう云って微笑んだ。
柄でもなく声に篭る熱を自覚して。
「え、うん?」
ラトリクスは中央管理施設の一室、ヴァルゼルドの補修作業が終わるまでの待合室にどうぞ――と、クノンから提供された小さな部屋。
ここにいるのは、そのスカーレルとレックス、あとはヤードとプニムだけ。
アルディラとクノンは施術者だし、は傍で付き添ってるはず。
だから、誰もスカーレルの話を止めようとはしなかった。がいたら、真っ赤になって止めたろうが。
あの後、レックスが戻ってきたのは、ヴァルゼルドを連れて中央管理施設へ行こうとしていた途中。とりあえず結果だけを告げて、一行はそれぞれに別れ、今ここにいる。
故に、レックス不在の間に起こったとヴァルゼルドのやりとりは、自然、スカーレルとヤードから語られることになったのだ。
冒頭の台詞は、その途中で零れたものだった。
「そうですね」
幼馴染みのことばに同意して、ヤードが頷く。
「ぷー」
相方が褒められたのが嬉しいのか、プニムが大きく背伸びした。
だけど、レックスの表情はあまり芳しくない。
「……そう、かな」
「あら。センセは何かご不満?」
まさかヴァルゼルドを消去したくてたまらなかった――なんて云っちゃう?
僅かに揶揄の混じったスカーレルのことばに、レックスは、あわてたようにかぶりを振る。その仕草も表情も、そんなことを考えていたのでないことは明白だ。
救えるものは救いたい、救えなさそうでも救いたい、それが彼と、彼の姉の信条なのだから。
それを、ここにいるふたりと一匹もまた、よぅく知っている。
スカーレルがあえてそんなことを云ったのは、レックスの本音を引き出そうという腹づもりだっただけ。
そして彼の目論みは、見事に成功する。
「そういうわけじゃ、ないんだ……でも、ひとつだけ、気になってる」
「なにがですか?」
首を傾げた弾み、顔の前に落ちてきた灰色の髪を払って、ヤードが問いを重ねた。
応えて、レックスは、隣とその向こうに座る、同席者ふたりを改めて見やる。
「……もともと設定してあった、ヴァルゼルド本来の人格のことなんだ」
そう。
今のヴァルゼルドがバグだというのなら、アルディラたちの称していたような基礎人格、というものが他にあったはずだ。
のとった行動は、その、そもそもの人格を押し込めて――封印しようとしているようなもの。
ヴァルゼルドは救われるかもしれなくても、型式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-XE-LDという機械兵士は救われないのではないか。
「そうなると、が、そのもともとの人格を殺すことになるんじゃないかって……それを、はちゃんと知っているのかって」
……それが、レックスの懸念だった。
が、
「知ってるに決まってるじゃないの」
実にあっさりと、スカーレルによって一蹴されてしまった。
「……」
その、あまりにもなんでもなさそうなことばに、レックスが目を丸くした。
そんな彼を見るスカーレルの目は、どこか面白がっているようであり、どこか残念がっているようでもある。
「……センセも、もう少し早く戻ってくればよかったのにね?」
の表情を見てたら、きっと、そんな心配吹き飛んだわよ。
かすかに口の端を持ち上げてそう云うと、スカーレルは目を閉じた。――思い出しているのだろうか、その、の表情というものを。
そうして、付け加える。
「知っているから、あのコは笑ったのよ」
自らの選択。
引き寄せた結果。
得られたもの。
喪われたもの。
そのすべてが、自身の歩みに帰依するもの。
「……」
無言のままでいたヤードが、スカーレルのことばに同意するように頷いた。
「……」
レックスは無言のまま、曖昧に首を傾げた。
それはエゴだと誰かが云う。
あのうっとうしい声かもしれないし、自分のどこかなのかもしれない。
だけど、そんなの知っている。
「では殿。行って参ります」
「うん」
まるで、これから戦場にでも赴くんじゃないかってくらいの直立不動っぷり、しゃちほこばった敬礼っぷりに、は笑いながら頷いた。
青い機械兵士の横に立つアルディラとクノンが、「じゃあ、行きましょう」「それでは、失礼します」と、歩き出す。
「いってらっしゃい」
すぐ目の前の扉に吸い込まれていく三人の背中に手を振って、は、扉脇に設置してある椅子に腰をおろした。
パタン、と、予想したよりやわらかい音をたてて、扉が閉まる。
付き添いの名目でここまでは来たが、に、機械兵士の本格的な調整やら修理やらを行う技術があるわけもない。今の心境としては、手術室前で待機する、患者の家族といった感じだろうか。
……とは云っても、特に不安も心配もない。
アルディラとクノンも、成功する確率は80%を優に超すと保証してくれたし、ヴァルゼルドだって、そうと決まれば緊張はあっても不安を見せたりはしなかった。
だから、は笑って彼らを見送った。
だから、彼らも笑ってそこへと向かった。
――だから。
うん、……だからね。
「型式番号名VR731LD……、――強攻突撃射撃機体VAR-XE-LD」
そっとそれをつぶやいて、は、静かに目を閉じる。
「……」
それをエゴだと誰もが云うだろう。
そんなの、誰より自分が知っている。
……それでも、それを選択した。
だから、これは、一度だけ。
届こうが届くまいが、ほんの、一度だけのことば。
「ごめんね」
手放した、ゼルフィルドの欠片。
引き戻した、ヴァルゼルド。
――通称もなかった機械兵士。
喪った以上に、この手に抱く重みは増える。
それを、ちゃんと知っているから。
その重みを何と受け取るか、それはこれから、心が決める。
それならば、礎にしてみせよう。
遠い明日の養い親が、戦場でそうしていたように。
もまた、拳を胸に押し当てて、目を閉じた。