TOP


【機械兵士】

- 与言 -



 ざぁん、ざぁぁん、波が寄せては返す音。
 それを横に聞きながら、レックスは、ひとり、砂浜を歩いていた。
「ぷ」
 失礼。ひとりと一匹は、砂浜を歩いていた。
「……」
 ここが島のどのあたりになるのか、レックスにはわからない。ラトリクスを後にしてから、気の向いた方向へ適当に歩いて辿り着いたのが、ここら一帯に伸びる砂浜だった。
 海に囲まれたこの島だから、沿って歩けばいずれ一周、船に戻ることだって出来るだろう。
「……」
 だから、それに思い至った瞬間、レックスは足を止めた。
「ぷ?」
 ちょこちょこ、小走りについてきていたプニムが、あわやぶつかりかけて急停止。
 疑問符混じりに見上げてくる丸い瞳をちらりと見て、レックスはその場に腰を落とした。
 佇んだままのプニムを手招きして、膝に抱え上げる。
「ごめん。心配かけちゃったね」
「ぷい、ぷぷ」
 小さく鳴いて、プニムはかぶりを振った。気にするな、と云っているようだ。
 うん、と微笑んだレックスだったが、すぐにまなじりが下がるのを自覚した。
 ――はあ、と、ため息ひとつ。
「駄目だなあ、俺……を困らせたかったわけじゃないのに」
「ぷ」
 人のことばを解しはしても、それを人語として伝えることがない。目の前にいるのが、そんな存在だからだろうか。
 普段は務めて出さないようにしている、愚痴めいたつぶやきが零れだす。
「昔からそうなんだ。何かに気をとられると、すぐまわりが見えなくなってさ……アズリアなんかにも、よく注意されたんだよ」
「ぷぅ」
「……でも。今日のはさすがに……あんまりだったよな」
 限界まで見開かれてた、翠の眼。
 思い出すと同時にわきおこる感情は、酷い自己嫌悪。
「困らせたいわけじゃないんだ。……本当に」
 ヴァルゼルドも云ってたように、は笑ってるのが似合うと思う。だけじゃない、誰だって、笑っているのがいいと思う。
 けっして、あんな表情、させたかったわけじゃない。
 でも……止まらなかった。
 がヴァルゼルドに拘るほど、胸が熱くなった。痛くなった。
 手を離そうとしないほど、心臓がきりきりとした。締め上げられた。
 それを、表に出した結果がこれだ。
「……」
「ぷぅー……」
 俯いた頭を、小さな手が、ぽんぽんと叩いた。
 慰めてくれるそれに、ちょっとだけ、口元がほころぶ。――ああ、それなら、まだだいじょうぶ。
 ほら、俺は笑っていれる。
 ――だいじょうぶ。
「……おかあさんって呼べれば、もういいって、思ったんだけどなあ」
 それは叶った。
 あの休日に、一度だけ、呼びかけて――彼女はそれに反応してくれた。だから、それでもういい。
 もういい、はずなのだ。
「うん。俺が、何も云わなければいいんだよな」
「ぷ?」
だ。……そうだよな?」
「ぷーぅ?」
 首を傾げるプニムに、にこりと笑いかけてみせた。
 笑える。――俺はまだ、今、笑える。これからも、笑える。だから――だいじょうぶ。
 今までどおりアティの話に付き合って、と笑いあって……うん、今までやってきたことを、これからもやっていけばいい。
 ただ、それだけのこと。

 ――そうかな

「え?」

 じ、と見つめてくるプニムから、レックスは視線を外した。膝の上からおろして、立ち上がる。
 何も気まずくなったわけではない。
 どこからか、声が聞こえたのだ。
 さっき響いてきた、変な笑い声ではないと思う。あれは自分の内側から迫ってくるような感じだったのに対して、今のそれは、ちゃんと耳から入って届いた感じ。

 ……哀しみを止めない限り、すべての終わりは来ない

 そしてまた、声がした。
「……あ……っ?」
 そうして、そのひとが現れる。
 ファリエルに似た、蒼白い光を身にまとった青年が、レックスとプニムから少し離れた場所に佇んでいた。
 白銀色の髪は、鎧をまとって戦っていた少女を、どことなく連想させる。ゆるやかなシルエットの衣装は、彼が武闘系でないと思わせた。静かに本を読むとか、そういうのが似合いそうな印象。
「こんにちは」
 ふわり、と、彼は笑った。
 やわらかな笑みに、レックスも、つられるようにして笑う。彼の表情には、そんな力があるようだった。
 見ているだけで、ほっと心が安らぐ、そんな優しい笑顔だ。
 現し身を持たないことから受ける儚い印象がなければ、もっと、戸惑いもなく受け止められたろうに……それが残念といえば残念。
「こんにちは」
 ぺこり、と会釈。
 それから、首を傾げて問いかける。
「……今の声は、あなたですか?」
「ああ、そうだよ。……今のだけじゃない、ずっと前から、君たちは話しかけられていたはずだけど」
「え?」
 傾げていた首が、真っ直ぐになる。
 彼の発言から連想できる“話しかけ”なんて、ひとつしかないから。
「じゃあ、――あなたは」
「うん」
 淡い笑みを浮かべたまま、彼は、ひとつ頷いた。
「僕の名は、ハイネル・コープス。……そう、はじめまして、だね。レックス」
「え、俺の名前……」
「知ってるよ」
 はじめましてなのに、どうして。
 そんな疑問はお見通しらしい。笑みを浮かべたまま、ハイネルはそれに答える。
「剣を通じて、君たちのことはずっと見ていたから……」
「……碧の賢帝」
「そうだよ。――遺跡の意志が沈黙している今なら、こうして話も出来るだろうと思って、逢いに来たんだ」
 と、そこまで告げて、ハイネルはふと、レックスの足元にいるプニムへと視線を動かした。まなざしに含まれているのは、僅かな疑問符。
 なにが疑問なのか疑問だという――そんな、微妙な印象。
「……ぷ」
 それが気に入らないのだろうか、プニムはさっさとレックスの足を盾に見立て、後ろに回りこんでしまった。
「プニム?」
「……」
 きゅ、と、小さな手でズボンの裾をつかみ、青い生き物はますます隠れようとする。
 どうしてそんな対応をするのかは気になったけれど、とりあえず、今は。と、レックスはハイネルのほうへと向き直った。
「話って、何ですか?」
「うん。アルディラたちから、僕のことは聞いていると思うけど……」
「――はい」
 無色の派閥の召喚師であったこと。
 島を本当に愛していたこと。
 そのために、唯一の“核識”となって戦ったこと。
 ……敗北し、封印されたこと。
「碧の賢帝、紅の暴君、そして喚起の門。あの戦いで、僕の意識は三つに別れて存在することになった。そのどれもが僕であり、そのどれもが僕でない、歪んだ在り方なんだ」
 淡々と、ハイネルは語る。
「君たちに語りかけていたのも、僕であって僕ではない。――分かたれたことで暴走した僕の心の闇が、遺跡と融合して生まれたものだ」
 それが、剣を通じて継承者に語りかけていたものの正体。
「――正体?」
 おうむ返しにそうつぶやいて、
「……え?」
 レックスは、思わず手の甲で目をこすっていた。
 そんなに疲れてるのかな、と、自問。今、目の前の光景が――つまり、ハイネルが、一瞬ぶれて見えたのだ。
 だが、ハイネルは、レックスのそんな行動には何も云わなかった。何かに急かされてでもいるかのように、早口に続ける。
「……その暴走を、止めたかった。なんとしてでも。けれど、僕にはもう、力がなくて……この僕であるようにするだけでも、精一杯だったんだ」
「それで……俺たちを喚んだ……?」
「それしか方法がなかった。同じ輝きの魂――核識になり得る可能性を持つ者なら、封印を解くことも封じなおすことも出来るはずだから」
「…………」
「……だけど、もういいんだ」
 一度。たしかに頷いたあと、ハイネルは、すぐにそれを打ち消した。
「え?」
「もう十分だ。君たちは君たちに出来る限りのことをしてくれた。だから、もう、これ以上剣を喚んじゃいけない。あれを最後にしてほしい」
「どうし……」
 また、目をこする。
「僕にはもう、君たちの心を守るだけの力は残されていない」
 視界のぶれは、止まらない。――違う。周囲の砂浜、林、海ははっきりと見えている。
「受け容れつづけたことも、阻みつづけたことも、危険なことに変わりはないんだ。君たちの足場は同じほど危ないんだよ」
 ハイネルだけが、その輪郭をどんどんと薄らがせている――
「まして、君はその分……」
「ハイネルさん!?」
 ことばの途中で遮る真似はしたくなかったが、そんな普段の心がけも忘れて、レックスは叫んでいた。
「だから、もう、あんなことを繰り返してはいけない。また同じことが続くようなら」、
 手を伸ばす。
 真っ直ぐに、目の前のひとへ向けて。
「今度こそ」、
 笑みを消し。
 真っ直ぐに、目の前のひとはこちらを見て。

「君たちという存在は、確実に……」

 指先が、その輪郭に届こうとした瞬間、そのひとは消えた。

 空しく宙をかいた腕が、力をなくして戻ってくる。
「……」
 触れたのは、光の残滓。
 いや、それももしかしたら錯覚で、そよと薙いでいった風の手触りをそう思っただけなのかもしれない。
 とにかくもう、そこには、何も残っていなかった。
 会話したという事実、足にしがみついているプニムの感覚がなければ、夢でも見たのかと疑っていたかもしれない。……正直、今でさえ疑いそうだ。
「ぷーぅ……」
 木偶のように突っ立ったままのレックスへとよじ登ったプニムが、ぺしぺしと頬を軽く叩いた。
「……うん」
 ちゃんと起きてるよ、と、肩の生き物を手で引き寄せて、頬に当てた。

 ――もう遅い

 なんだろう。ぼんやりとそう思う。

 ――確在れと培った壁は崩れた

 初めて聞く……感じる、これは。なんだろう。

 ――受け継ぐのだ

 声。
 声、声。
 声、声、声。

 ――我が意志 我が力 我が呪縛

 声、声、声、声、声――――

 ――我が狂気……!

「……煩いね」
「ぷ?」
「うん……煩いな、これ」
「ぷーぅ?」

 片側の手のひらを耳に当てても、それは響きつづける。
 内から、外から。
 唱和し響き鳴りたてる、声、声、声――
「……ぷ! ぷぷぷ、ぷーっ!!」
 肩の上で、プニムが何か一生懸命に鳴いていた。
 風も潮騒も唱和しているなか、その鳴き声だけが、叩いてくる小さな手だけが、別のことを訴えている。
 そうして、それに打ち消されるかのように、響いていた声は遠ざかっていった。
「も、もういいよ。俺はだいじょうぶ」
 それでもまだ、懸命に引っぱたく小さな手を、レックスは慌てて止めた。
「ぷ」
 涙目で覗き込むプニムに、うん、と笑みをつくってみせる。
 それから、足を踏み出した。
「ぷぃ?」
 歩いてきた方向へと――ラトリクスへ向かう道の選択に気づいて、青い小さな生き物が首をかしげた。
 その身体を、ぽん、と叩いてレックスは云う。
「……に謝らないとな。それに、ヴァルゼルドのことも気になるし」
「ぷ」
 うん、と頷くプニムと笑いあうレックスの笑みは、いつもと何も変わらなかった。


←前 - TOP - 次→