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【機械兵士】

- 遺品 -



 譲れぬものがそこにあった。
 だから、ぶつけた。
 にとって、機械兵士を喪うということは、腹に穿たれた傷痕を抉る以上の意味を持つ。
 だから譲れないと思った。
 だから、叫んだ。
 ――だけど。
「レックス……」
 彼の叫びは、ぶつけたものは、――の固執するそれにではなくて。
「ぷっ」
 遠ざかる背中。
 反射的に立ち上がろうとしたを止めたのは、プニムだった。一声鳴いて、を押しとどめる仕草を見せると、そのまま身を翻す。
 数歩走って立ち止まり、プニムは一度だけ振り返った。
「ぷい、ぷーぷー」
 任せとけ、と、耳を振って。
 そっちはちゃんとやれ、と、手を振って。
 青い生き物は、赤い背中を追いかけて行った。
「……驚いた」
 その姿も瓦礫の向こうに消えてから、スカーレルがつぶやいた。飄々とした態度はそのままだけど、声には驚嘆が宿っている。
「センセでも、あんなふうに怒ることあるのねえ」
「初めてですね、あのようなレックスさんは……」
 こちらも、驚きを隠せずにいるヤード。
 ふたりと同じく、殆ど置き去りにされていたアルディラとクノンもまた、心なし目を丸くして、レックスの立ち去ったほうを見やっていた。
「……殿」
 同じく忘れ去られていた本来の問題ことヴァルゼルドが、途方に暮れた声で呼びかけてくる。
 手のひらは下ろされていて、目の光は不規則に点滅していた。
 突然目の前で繰り広げられた怒鳴り合いと、その後の展開に、動揺しまくっているのが見てとれる。
「すみません、自分のせいで……」
「いや、違うから――それは」
 謝罪しようとするのを、手のひらを突き出して遮る。
 うん、違うのだ。
 の叫びはそのものだけれど、レックスの叫びは、きっと、違う。

 ――それは、きっと。
 あの日が犯した……結果的には犯さざるを得なかった行為への――

 でもおかしい。
 レックスは云った。アティのゆめは終わってない、と。
 そう云うってことは、彼のゆめは終わっている、ということじゃないのか。
 だけどおかしい。
 レックスは云った。終わりが欲しい、と。
 そう云うってことは、彼のゆめは終わってない、ということじゃないのか。
 “だから、俺はいいんだ”
 レックスは云った。
 “がおかあさんだって気がついて、今生きているひとだって判って……”
 あまりにも呆気なく、何故とも問わず、それを認めた。不思議を追及することをせず、現実を在るがままに受け入れた。

 ねえ。
 おかしいよ。
 それは――どこかが、おかしいよ。

 ゆめをもちつづけてるアティ。
 ゆめを終わらせたいレックス。

 アティは、“おかあさん”をゆめのなかのものだと笑ってる。 
 レックスは、“おかあさん”に現実で逢えると笑ってる。

 それは、つまり。

 ――アティのゆめこそが終わっていて、レックスのゆめこそが、まだ――

 す、と、頭上に影が出来た。
 いつの間にか俯かせていた頭を持ち上げると、原因は、目の前に進み出てきたヤードだった。
「それで……彼は、どうするのですか?」
「……殿」
 すっかりあっちを向いていた思考が、それでそもそもの問題に戻る。
 でも、もう答えはさっきから叫んでるとおりなんだけど。
「ヴァルゼルドを消したくない」
「……」
「バグで暴走するんなら、そのたびにあたしが引っぱたいて止めるよ。苦しまなくていい、だって、あたしの我侭なんだから」
 ヴァルゼルドは、それに付き合わされるだけなんだから。
「……だから、ヴァルゼルドでいてほしい」
 代わりではないのだ。
 ゼルフィルドの代わりだなんて、そんな失礼なことを考えてるつもりではないのだ。
 とても人間くさくておっちょこちょいで、ひとの頭を撫でることに四苦八苦して、猫の苦手な機械兵士。彼が好きだから。
 消えてほしくなんて、ないだけなのだ。
「もう……機械兵士だからって理由だけで、目の前からいなくなられるの、いや」
 自爆なんて。
 消去なんて。
 機械兵士だからって、選択肢に入れないで。
「ですが、それでは殿や皆さんの身が危険になります。自分は、そのようなことをしたくないのです」
「だからって消えてほしくない」
 ――議論は平行線。
 眉根を寄せていたスカーレルが、そこでアルディラを振り返った。
「どうなの? ヴァルゼルドの云い分との云い分。実際問題として、方法は、現状維持か消去しかないのかしら?」
「……」
 アルディラは、少し沈黙した。
 その場全員の視線を浴びて、僅かに瞼を伏せる。
「或いは、ロレイラルでならの願いも叶ったかもしれないわ」
 第一声は、ひどく湾曲した表現だった。
「バグのみを取り除く方法は、たしかにあるのよ。……でも、ラトリクスでそれを行うことは出来ない」
「何故です?」
 ヤードの問いに、アルディラは指をひとつ立てた。
「ここには機械兵士用のメンテナンス設備がない。……いいえ、作業自体は、使えそうな設備をありったけかき集めれば可能かもしれない。でもね、肝心の部品がないのよ」
「部品?」
 ええ、とアルディラは頷いた。
「彼の現在の人格を退避させる場所がないの。聞いたとおり、サブユニットをつけてメインユニットを初めとするすべてのRAMを書き換える。初期化するということよ。接続されているものは選択の余地なくそうなる。これは仕様の問題だから、どうしようもない」
「でも――あなた、さっき、基礎人格データは消えないって」
「random-access-memoryと、read-only-memoryの差」
「え?」
「基本設定が保管されている回路は、書き換えや新規書き込みが出来ないものなの。だから、最低限でも残しておきたいデータがそこにはある。あくまでも初期のものが入っているだけだから……」
「当然、後で派生した、今のヴァルゼルドという人格は、そこにはない、ということなのです」
 云い淀んだアルディラの後を継いで、クノンがそう云った。
「そこで、設備がないということがネックになるのよ。データというのはとかく精密で、形式の違う回路に無理矢理書き込めば破損する可能性もある。……これがロレイラルならば、一時保管用のデータディスクでもあったかもしれないけれど」
「ここには、代用になるものがない……」
「そういうこと。――念のために訊くけれど、ヴァルゼルド?」
 ヤードのつぶやきにいらえを返したあと、アルディラはヴァルゼルドに近寄った。
 以前、機械兵士と聞いて見せていたためらいはなく、真っ直ぐに、よどみなく歩いて目の前へ。あるいはそれが、ここにいる彼に対しての、せめての誠意なのかもしれない。
「はい」
 そうして、神妙に応じる機械兵士へと、融機人たる彼女は問いかけた。
「悪いけど、以前も見ていたの。率直に確認するけど――あなた、コアも紛失しているのよね?」
「そのとおりであります」
 やりとりを聞いて、は、思わず懐に手を当てた。
 そこに感じる存在は、前と変わらない。他人にとっては小さな金属の欠片、でも、ルヴァイドやイオス、にとっては何より大事な彼の遺品。
 ――ゼルフィルドがたったひとつ、残していった、彼の記憶。
「コア?」
 聞きなれぬ単語に、スカーレルとヤードが首を傾げた。
 ふたりへ解説するのは、佇んだままのクノン。
「機械兵士の回路において、唯一独立している思考ユニットです。現存していれば、確率は低いものの、バグに侵されていない可能性もあったのですが」
 故に、退避場所としての代用になったかもしれない、と、クノンは続けた。紛失してしまったのならば、それも叶いませんが。そう付け加えて口を閉ざす。
 ……その代わりというわけでもなかろうが、が逆に、口をぽかんと開けてしまった。
?」
 それに気づいたスカーレル、そして、アルディラがこちらを覗きこむ。
 その声に、促されるように、は、ことばを紡いでいた。

「……ある」

「え?」

 ほんとうに自分の腕だろうか、そう自問したくなるほどに緩慢な動作で、は、懐から小さな巾着を引っ張り出した。
 遠い界の向こうにいる、母がつくってくれたお守り袋。
 そのなかには、

「コア……ここに……」

 ゼルフィルドの遺していった、たったひとつの遺品がある――


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