――――あなたが、そう、云うのなら……
ネジの切れた人形のように、その背中は硬く強張っていた。
後ろから見ていたスカーレル、それにヤードもアルディラも、彼女にかけることばを見つけられなかった。
ただひとり、動いたのはレックス。
「……」
驚かさないように、出来るだけ、ゆっくりと、やんわりと、その手のひらを肩に触れた。
ぴくり、と、その肩が震えた。
かざされたままのヴァルゼルドの手から視線が剥がされ、ゆっくりと、はレックスを振り返る。
そこに滾る強い感情に、レックスは息を飲んだ。
――なんだろう。これは。
――なんだっけ。これは。
その名を何故か思い出せないまま、レックスはゆっくりと笑みをつくる。
そうして、
「……。辛いだろうけど、ヴァルゼルドは――」
云いかけたそれを、
「――」
飲み込まざるを得なかった。
「…………」
背後の三人、そして一匹が、息を飲むのがわかった。
ああ。どうして思い出せなかったんだろう。
ことばを途絶えさせたもの、の双眸に輝く強い光から目を逸らせぬまま、レックスは思う。
それが怒りというのだと、どうして、俺は判らなかったんだろう?
でも、どうして?
どうして、悲しむより先に――君は怒るの?
「……レックス」
迸る感情そのままに、の声は熱を帯びていた。
「本気?」
「――」
真っ直ぐに自分を貫くそれに、嘘はつけない。
もともと嘘は得意じゃない、とか、それ以前の問題。本気をぶつけてくる相手のことばを躱すのは、何にも増して失礼だ。
そう考えたとき、ふ、とアズリアの顔が浮かんだ。
島に来てから、いや、軍学校のころから、いつも怒ってばかりいた彼女の顔が……何故か浮かんだ。
どうして怒るのか、と、一度訊いたことがある。そう、そのときは、たしか――
「本気で云ってたとしても」、思考はのことばで途切れた。「そんなの、聞かない」
「……」
「あたし、そんな聞き分けのいいこと出来ない」
「でも、このままじゃ、またいつかヴァルゼルドは暴走するんだろ? そうなって苦しいのは、俺たちじゃない。ヴァルゼルドだよ」
手をかざした体勢のまま、微動だにせずやりとりを見守っている青い機械兵士を見上げ、レックスはそう云った。
仮にこのヴァルゼルドのままで在ってもらったとしても、彼自身がバグというのであれば、いつでも暴走の危険はつきまとう。いざそうなったとき苦しむのは、被害の及ぶ周囲ではなく、こうして戻ったときのヴァルゼルド自身なのだ。
それならば――と、レックスは思う。スカーレルたちも同じではなかろうか。
だけど。
それでも――そう、は答えた。そして叫んだ。
「それでも生きててほしいのよ!」
レックスも叫ぶ。
「ヴァルゼルドが笑えなくなっても!?」
滅多に見ぬ彼の怒声に、他の面々は目を見張った。
だが、向かい合うふたりは、周囲にいる者たちのことなど、とうに頭からすっ飛んでいた。
が叫ぶ。
「バグだからって消えなくちゃいけない理由なんてない!」
レックスが叫ぶ。
「存在しつづけて一番苦しむのは本人なんだよ!?」
ふたりは、叫ぶ。
「だからってそこで消える? そこで消す? そんな権利が誰かにあるなんて、あたしは認めない!」
「認める認めないの問題じゃないだろう!? これは、ヴァルゼルドが決めることだよ! その彼が、消してくれって云ってるのなら――」
「消してやるのが優しさだとか云うつもり!? 幸せだとか云うわけ!? そんなの、ただの我侭じゃない! 消すこっちのこと、全然考えてないじゃない!!」
「だって、このままになったときのヴァルゼルドの気持ちを考えてないんじゃないのか!!」
……なんで、こんなにムキになってるんだろう。
怒鳴りながら、どこか、頭の冷静な部分がつぶやいた。
いつもナップたちにそうするみたいに、ゆっくり、諭せばいいのに。こんなふうに感情のぶつけ合いなんかしてしまったら、相手も自分もただヒートアップしていくだけ。余計に混乱してしまうだけ。
こんな、ただ衝動のままの、ことばの投げつけあいなんて――
否。
もっともっと。
どこか深い部分のレックスが、今、のとろうとしてる行動を否定したがっている。
「死んだらそこで終わりだよ! でも、生きてたら何かが変わるかもしれないじゃない!!」
離された手は、そこで終わった。
傍にいてくれたら、何かが変わっていただろうか。
「それまでずっと、ヴァルゼルドを苦しんだままにしておくつもりなのか!」
だって、おかあさんは自分たちを置いていった。
あんなにあっさり、手を離して行ってしまった。
だのに、どうしてヴァルゼルドにはこだわるの。
繋いだ手を離すことを、どうしてそんなに嫌だと云うの。
俺たちは――
「苦しんだらその分笑わせればいいじゃない! 百面相でも漫才でもやればいいじゃない! そうすることさえ出来ないようになんて、あたしはしたくないの!!」
――あなたに、
「そうさせてなんか、くれなかったじゃないか!!」
その途端、翠の眼がまん丸になった。
鳩が豆鉄砲を喰らったように、という比喩が、よく似合う表情。
そのときになって、やっと、吟味するより先に叫んだことばの意味が、思考回路に到達した。
「――あ」
血の気が引くのが判った。
内緒にしてくれって、自分で云ったのに。
はでいてくれって、頼んだのに。
おかあさんと自分の秘密だったのに。
――くすくす、笑う。これは誰?
――壊れた。
――零れた。
――脆いな。
――くすくす、笑う。声がある。
――守りが消えた。
――壁は失せた。
――ゆめを壊そうとして、自分のぶんを先に壊した。
――くすくす、笑う、声はなに。
「レックス……」
「っ」
なんとも云えない顔で見上げてくるから、視線を逸らした。
自分こそが機械の身体になってしまったのではないかと思いながら、立ち上がる。
「センセ?」
いぶかしげに問いかけるスカーレルには、どうにか笑うことが出来た。
「……ごめん。ちょっと、ムキになりすぎたみたいだ」
ことばはに、だけど背を向けたまま、レックスは告げた。
そのまま、一歩、スクラップ置場の出入口に向けて歩き出す。
「レックスさん?」
「レックス?」
ヤードとアルディラ、ふたりの重なった呼びかけに、そっと振り返った。……を視界に入れないようにしながら。
そうしたら、プニムが見えた。
まん丸い目で、精一杯にレックスを見つめている、小さな青い生き物が。
――行ってしまうの?
そう云っているような気がした。
「ごめん」
だからもう一度そうつぶやいて、首を小さく上下させる。
「頭冷やしてくるよ……ヴァルゼルドのことは、納得出来るようにみんなで話し合ってくれれば、俺はいいから……」
その後は、もう、振り返りもせずに足を進めた。
背中に幾つもの視線を感じながら、振り返ることもせず、ただ歩いた。
……少しだけ。
ほんの、少しだけ。
視線ではなく手のひらを感じたい、と、思わなかったと云えば嘘になる。
「ぷ」
「……あ」
けれど。
ラトリクスを抜け、森を歩くレックスに追いついてきたのは、その手のひらではなくて、小さな青い生き物だった。