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【機械兵士】

- 静寂 -



 救援の要請が入ってから、その場に駆けつけるまで、そう時間がかかったとは思えなかった。
 正確に計ったわけでもないが、5分もあったかどうか。
「――」
 乱れて、前に落ちてくる髪をかきあげて、アルディラは絶句していた。
 ひゅうぅ、吹き抜ける風が、せっかく後ろにやった髪を、またしてもふわりと巻き上げる。だが、今度はそれに頓着せず、彼女はこめかみに指を押し当てた。
 そうして目を閉じる。
 次に開けたときには、目の前の光景が夢であればいい、と、ほんのわずかに期待しながら。そしてそれ以上に、そんなことありえるわけがないと確信しながら。
「……アルディラ」
 ぽん、と、そんな彼女の肩を叩く手のひら。
 クノンに本を貸す約束をしていたのだと、ついさっき、はるばるラトリクスへやってきたスカーレルだった。
 彼の手のひらは云っていた。――現実を直視しなさい、と。
「はは……」
 乾いた笑い。これはスカーレルではない。アルディラでもない。
 片割れであるアティが、スバルたちのことにかかりきりになっているため、午前の家庭教師業が午後に繰り下げになってしまい、急な暇を持て余してスカーレルのお供をして(させられて)きたレックスである。
 ちなみに、お伴二号がヤード。こちらも表情が引きつっていたりするが、生活を共にしているためか、アルディラよりは立ち直りが早いようだった。
「……あまりロレイラルでは見られない光景、のようですね」
 ちらりとアルディラを見、フォローのつもりなんだろうか、会話の糸口を紡いでいる。
 とりあえず、それに小さく頷いてみせて、アルディラは手のひらを顔に押し当てた。その指の隙間から、「あまり、どころか」ということばと共にため息が零れる。
「ありえない、のよ」
 人間が、機械兵士を倒してしまうなんてこと――
 ことばにしなかった部分を悟った周囲の男性三人は、視線を明後日に飛ばしたり、苦笑いしたり、思い思いの反応を見せた。
 そんな四人の足元では、ラトリクスにいくなら、とばかりにくっついてきたプニムが、きょとんと身体を傾げている。こちらはこちらで、どうしてそんなに驚いているのか判らない、といった類の疑問符が浮かんでいた。
 んでもって。
 スクラップ置場の入口に佇む、そんな四人と一匹の目の前では。
「見事な速攻でありました、殿。これならロレイラルで機械兵士キラーになれるであります、自分が保証いたします!」
 ですから、その、そのへんにあったケーブルで簀巻きにするのはご勘弁いただきたいのですが!
「いや。また暴れられたら困るし。――クノン、そっち結んで」
「はい、かしこまりました」
「そもそも、もう動けないのでありますがー!!」
 所狭しと散乱する、ぴくとも動かない攻撃機体に囲まれて、おそらく主要関節の駆動系をがっつりぶった切られたのだろう、地面に伏した青い機械兵士を、赤い髪の少女と従軍看護用機械人形がふんじばっている光景が展開されていたのであった。


 簀巻きにされたヴァルゼルドは、しょげかえるかと思いきや、神妙な調子で一行と向かい合った。
 とクノン、それに増援要請で駆けつけてくれたらしいアルディラ、レックス、ヤードとスカーレル、おまけにプニムを前に、ケーブルでぐるぐる巻きの姿のまま、謝罪する。
「すみません……不覚であります。適応に失敗して、暴走してしまいました……」
「ヴァルゼルド――」
「ほんとうに……っ、すみません……!」
 不自由な上体を動かして、そのまま瓦礫にぶつかってしまうのではないかというくらい、彼は深く頭を下げた。
……」
 気がかりそうなレックスの声に、は苦笑い。
「いや、別にヴァルゼルドが悪いわけじゃないですし」
「だよね?」
 ことばの途中で振り返れば、先ほどの声とは一転、ほっと安心した笑顔のレックスがいる。
 です、と一度頷いて、はヴァルゼルドに向き直った。
「そういうわけだから、別に気にしないでいいよ。あたしもクノンも、怪我してないし。ね?」
「……それは事実ですが」
 が、視線を向けた先……クノンの表情は、あまりかんばしくない。傍らに佇むアルディラをちらりと見上げ、そのまま口を閉ざしてしまった。
 そのアルディラも、いまいちはっきりしない表情で、ヴァルゼルドを見つめている。
 機械兵士と融機人の確執は、こうも大きいものだろうか。ネスティとレオルドは、わりと仲良しなんだけどなあ。エスガルドに逢ったときも、これといった動揺見せなかったし。……たしかに、あっちのふたりは暴走歴ゼロだけど。
殿」
 懐かしい顔を思い出していたを、ヴァルゼルドが呼んだ。
 彼に目を向けると、青い機械兵士は、身体が自由ならの肩をわしづかみしていたやもしれぬほど、懸命に上体を傾げながら訴える。
「未換装のサブユニットを、装着していただけませんか」
「え?」
 反射的に問い返して、そういえば、と思い出す。
 この間取り付けたのはメインの電子頭脳。それに適応するからと、ヴァルゼルドは眠ったのだ。今日暴走したのは、その適応に失敗したから。
 そのサブユニットは、ヴァルゼルドの腰まわりにある幾つかのポーチめいた部品のうちひとつのなかに入れている。ここなら安全だろう、と、あの日話して決めたのだ。
「……でも、メインの適応っていうのに失敗したんだろ? それでサブをつけて、上手く動けるの?」
 レックスが、の横から身を乗り出して問いかけた。
「可能ではあるわ」
 答えたのは、ヴァルゼルドではなくアルディラ。
 どこか硬い表情のまま、彼女は、機械兵士を眺めて云った。
「サブを取り付けることで、メインの書き込みミスをデリート……消去するのよ。ただしこの場合、すべての学習データがクリアされることになってしまうのだけれど」
 消去とか、クリアとか。あまり聞いて嬉しくない単語の入った説明のあと、はアルディラに向き直った。
「……それじゃ、今のヴァルゼルドは?」
 懸念するところを悟ったのだろう、彼女は、ほんの少し目を細める。
「設定された基礎人格データの在り処は、電子頭脳とは別の回路よ。その心配はしなくていいわ」
「あ、そうですか……」
「いいえ」
 けれど、ほっとしかけた、そしてレックスを否定するように、ヴァルゼルドがそう云った。
「ヴァルゼルド?」
 きょとん、と。
 振り返ったと視線が合う前に、彼は俯いた。
 その肩が僅かに震えたような気がしたのは――どこまでも人間くさい彼を見てきた幻影か。そうではない、そう思いたかったけれど、そんな気持ちは直後にぐらついた。
 俯いたままのヴァルゼルドが、こう告げたからだ。

「今話している自分も、消え去るのであります」

「なんで!?」

 思わず詰め寄っていた。
 さきほどヴァルゼルドがしようとして出来なかったことを逆に――彼の肩に手をかけ、覗き込む。と、また、ヴァルゼルドは視線を逸らした。
 今まで、こんなことはなかったのに。
 半ばムキになって追いかけようとしたの肩に、レックスが手を置く。引き離されるかと身構えたけれど、彼もまた、しゃがみこんでヴァルゼルドと視線を合わせようとしていた。
「どういうことだい? 今アルディラの云ったことは――」
「嘘ではありません。ですが、今の自分が消えるというのも、嘘ではないのです」
「なんで!」
 矛盾している。
 アルディラのことばがほんとうなら、ヴァルゼルドの人格は消えなくていいはずだ。
 けれど、当のヴァルゼルドが、自分は消えるといっている。嘘ではないと云いながら、嘘にしかならないことを云っているのだ。
 肩揺さぶって、メインユニット攪拌してやろうか、と。そんなことを考えたのが判ったわけでもないのだろう、が、やっと、ヴァルゼルドはと目を合わせてくれた。
 静かに輝く、眼の光。それが、昂ぶっていた神経を落ち着かせる。
 そしてその光は――僅かに薄くなった。
 微笑んだように、には思えた。どこか陰のある、寂しげな笑みのようだと。
 そうして、それを証明するように、ヴァルゼルドがことばを紡いだ。
「今の自分は……バグなのであります」
「……」
 バグ?
 動かしたはずの口から零れたのは、ただの呼気。音声など出なかった。
 だって、バグって、つまり……その。
「本機は以前、戦いにて破壊されております。そのとき偶然に生じた、ありえざる人格が自分なのです」
 そう。
 ありえないもの。
 余分なもの。
 それどころか、存在するだけで誤動作を引き起こす――
「ですから、自分が消え去れば、本機は正常に動作いたします。サブの電子頭脳さえ装着すれば、書き換えもそう時間はかからず……」
「やだっ!!」
 合わせていた視線を、今度は、自分から引き剥がした。
 俯いた目に見えたのは、足元に転がる瓦礫。そして、こぼれてきた赤い髪。
殿」
「やだ!」
「お願いします」
「いや!!」
「このままでは、いつまた暴走するか……」
「それでもいやだっ!!」
 ぎこちなく伸ばされた、硬い手のひらを跳ね除ける。じん、とした痺れがそこから広がるが、瞼の奥から、胸の奥から、生じる熱はそのせいじゃない。
 だって、笑ってた。
 だって、話してた。
 だって、触れてた。
 初対面で突き飛ばした。次に逢ったときには、たすけてくれた。そして名前を教えてくれた。その次には寝ぼけてた。笑った。触れた。開けて、潜って、内部にも触れた。
「……やだ……っ」
 ――ヴァルゼルドは、ここにいるのに。
「なんで……消さなくちゃいけないのよ……」
「ですから、元々バグ――」
「でもあたしの知ってるヴァルゼルドはヴァルゼルドだよっ!」
 ことばを叩きつけるのと同時、俯いてた顔を跳ね上げた。
 同時に聞こえたのは、何かの紐を引きちぎるような音。
「!?」
 そして、その目の前にあったのは、こちらを覗きこんでいたヴァルゼルドの顔じゃない。手のひらだった。ケーブル、引きちぎろうと思えば出来たらしい。
 このときまでそうしなかったのは……なんというか、彼らしいというか……
 大きくて、硬くて、戦闘以外はてんで不器用な手のひら。うん、これも彼らしい。
 いつか、頭をなでようと伸ばしてくれて、うまく出来ないからと引っ込めた手のひらを、ヴァルゼルドは、の目を覆うようにかざしていた。
「……殿」
 ひどく、あたたかい声で、彼は云った。
 の視界を塞いだまま――の表情を見ないようにしたまま。
「出来れば、その……泣かないでほしいであります。殿は、笑ってらっしゃるのが似合います」
 頬を伝うそれを、拭えば、手のひらを退けてくれるのか。確りと目を見て、話して、消したりなんてしたくないってことを、正面から云えるのか。
 ゆっくりと、腕を持ち上げる。
 少なくとも、こんなふうにされたままでは話せない。そう思ったから。
 だけど――それは途中で止まった。

「出来るなら、殿の記憶は笑ってらっしゃるものを持って行きたいと思うであります」

 思考も――止まった。

 またたく間にそれはよみがえる。
 それは遠い記憶、それは薄れぬ痛み、それは消えぬ慟哭。

 ――笑っていて。泣かないで。
 遠ざかる黒い背中。

 いつでもどこでも……笑っていてね。私たちの大事な子。
 赤く染まったやさしいひと。

 笑っていた。みんなが。
 緑あふれる丘。珍しく私服のルヴァイドとイオス。それから、旅団兵のみんな。
 笑っている。みんなが。
 笑っている。
 この視線の主に呼びかけているのか、大きく手を振り回した形で。が。

 笑っていた。みんなで。
 望めばいつでも伸ばされた手のひら、大きなそれと、やさしいそれ。
 手伝いをして転げまわり、軽く頭を叩かれ、また笑った。
 風に吹かれる赤い髪。
 大きなふたり、小さなふたり。
 お父さんとお母さん、お姉ちゃんと弟。
 笑っていた。
 お父さんとお母さんが。お姉ちゃんと弟が。
 小さな、だけどそのときの世界すべてが、優しい笑顔に満たされていた。

 ……笑っていた。
 緑あふれる丘。光に満ちた世界。
 一緒にいた、優しい人たち。大好きな家族。

 ……笑っていた。
 小さな村。優しく、あたたかだった世界。
 一緒にいた、優しい人たち。大好きな家族。

 笑っていた。
 笑っていて。

 ……これからは。もう。 ……笑っていて。泣かないで。


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