戻ってきたキュウマと共にやってきた少女を、ミスミは驚きながらも迎え入れた。
朝食の途中でやってきたことを聞き、申し訳なく思いながら先刻の騒動で幸いにも無事に残った膳を分けてやると、少女は至福の笑みでそれを片付けだした。つられるように、ミスミも箸を手に取った。
腹が減っては戦は出来ません、と、少女がミスミを促したからだ。
「それにしてもキュウマ、何故をつれてきたのじゃ?」
まさかスバルを発見できなかった代わりなどと、申しはすまいな?
「いいえ」
半ば八つ当たりめいたミスミのことばに、だが、キュウマは淡々とかぶりを振った。
そして付け加える。殿が、ミスミ様と話をしたいと仰られたのです――と。
それを聞き、ミスミは、まだ動かしだして間もない箸を置こうとした。
「……話とは?」
「食べましょうミスミ様。おなか空いてると苛々倍増です」
「……!」
矛先を躱すような少女のことばに、思わず声が荒くなる。
が、思わぬ援護が横手から入った。
「まあ正論じゃな。食事は会話の促進剤という一面も持つものじゃし」
淡々と箸を動かしながら、ゲンジがそう云ったのである。
「……」
なんとなく逆らえぬものを感じ、ミスミは、渋々止めていた箸を動かしだした。
ゲンジの正面、やはりそしらぬ顔で食事を口に運ぶキュウマを恨めしげに見るが、彼の目は閉じられていて、何の反応もない。
……近頃めっきり、したたかになりおって。
やり場のない気持ちをぶつけるように、ミスミは乱暴に箸を使った。
そうして、全員の朝食が半分以上は各々の胃におさまったころ――が、箸を揃えて置いた。
心得たもので、キュウマが、器に茶を注いでミスミとの前に置く。それから、己の食事に戻る。ゲンジもまた淡々と、朝食を――普段よりかなりゆっくりと――食べていた。
そんな男性ふたりを左右に見、ミスミとは向かい合った。
「」
「恩返しをしたかったんです」
「……は?」
こちらのことばを遮る唐突な切り出しに、ミスミは目を点にした。
「あたしがリィンバウムに来たのは、十歳のときでした。それまでは、名も無き世界で戦いも知らずに暮らしてたんです」
それは、キュウマから聞いたことがあった。
海より訪れた一行のなかに、自分たちと同じように、召喚されて帰れぬ者がいるのだと。それがという名なのだとも。
だが、それが今、ミスミとスバルの間で起こったことに、何の関係があるというのか。
問い詰めたくなりはしたが、静かにこちらを見るの目を見ると、何故か断念してしまう。……意味も関係もある、と、その目が云っていた。
「あたしを拾って世話してくれたのは、ある国の、軍の指揮官でした。リクトさんと同じくらいの立場です。当時は小競り合いも多くて、そのひとは、頻繁に戦場に行ってました」
――遠く。
遠ざかる、背中に。
「戦いのたの字も知らなかったあたしは、いつもそれを見送ってました。“いってらっしゃい”“無事で帰ってきてください”って」
そう。
身重の己が身体を抱え……自分もたしかに、そう云っていた。
「だけど不安だった。戦いを知らなくても、それが命のやりとりだってことは知ってたから、そのひとがいつ、自分の知らないとこで死んでしまうか……見送りながら、とても怖かったんです」
それくらいなら、と、は云った。
「傍に行こうと決めました。そのひとが戦場に行くのを止められないなら、せめて同じ場所に立って守れるようになりたい、何かの支えになりたいって」
「……まさか」
「これ、キュウマ」
黙って話を聞いていたキュウマが、いささか愕然とした表情でつぶやいた。差し向かいのゲンジに諌められ口を押さえるが、零れ出たそれが消えるわけもない。
そしてはというと、ちょっとはにかむように笑ってキュウマを見た。
「はい。戦場にもぐりこみました。武勲は立てられなかったけど」
「…………」
微妙な沈黙が舞い下りる。
たしかに、ミスミはスバルに云った。
良人であるリクトが、戦にもぐりこんで武勲を立てたのはスバルと同じ年のころ――つまり、目の前の少女がもぐりこんだという年齢と、これも同じころだということになる。
だが、リクト(もしくはスバル)とには、年の差がどうこう以上の壁があるのだ。
……戦いを知らずに育った、と、は云った。
十歳でこちらに来るまで、訓練らしき訓練もしたことがなかったのだろうことは、それで容易に想像がつく。
対してリクトは、もともと、将となるべく期待されて育った子供だった。それこそ物心つくかどうかの頃から、厳しい訓練に明け暮れていたのである。
「そなた……」
茶を口に運んでいたというのに、ミスミの声は掠れた。
「……何故、そなたの養い親殿は、止めなかったのじゃ。いや、何故そこで、戦いに赴くことを認めたのじゃ」
まさかその養い親は、彼女を疎んでいたのではないかと――そんな懸念さえよぎったミスミのことばを、は笑って否定する。
「実践させてくれたんです。実際の戦場を見て、みんなと同じ訓練をして、ううん、追いつかなくちゃいけないからそれ以上のことをして。――出来れば、どこかで挫けてほしかったのかもしれませんけどね。乗り越えちゃったんで、もう反対も出来なくなっちゃったんでしょう」
そんなこんなで、いまや立派な(元、がつくけど)軍人です。
「……なんと」
「ね、ミスミ様」
そうして、は笑みを消した。
話し出したときと同じように、静かに、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「そのひとは、あたしをとても大事にしてくれています。あたしも、そのひとが大好きです。……それは、ミスミ様とスバルくんも、同じですよね?」
「と、当然じゃ! だから、わらわは……!」
大事な子を、危険に放り込みたくなくて。
大事な子が、戦で命を落とすかもしれないことが、恐ろしくて。
――――でも。
の養い親もまた、ミスミと同じだというのなら。何故、その者は、彼女が戦いに出ることを承服したのだろう。
「今もね」、
は笑う。
「云われるんですよ、よく。……あのとき抑えつけても、どうせ、自分の目の届かぬところでもっと性質の悪いことをしでかして心臓を止められかねんと思ったからな、って」
ひどいですよね、人をなんだと思ってるんでしょう。
細められた翠の双眸には、けれど、怒りも憤りもない。深い思慕、そして信頼。
「それなら、いっそ自分の目の届く位置、信頼のおける軍のなかで成長してほしいって思ったそうです。ひとりで訳の判らないところに行かれるより、ずっとましだからって」
ついさっきのことだ。
あっという間に駆けていって消えた、小さな背中。
「……わらわは」
そんなことにさせたくないからこそ、反対していたのに。
「だから、その。上手く云えないんですけど、スバルくん、ひとりで戦いに突っ込もうとしてるわけじゃないでしょ?」
みんなを守るために、みんなと一緒に戦いたいと。
そう、あの小さな子は云った。
「先生たちもいます、海賊のみんなも、護人のひとたちも。――それに、ミスミ様とキュウマさんがいっしょなんですから。みんながいるんだから、ちょっとくらい危なっかしいところがあったって、ちゃんとお互い守りあえますよ」
「……………………」
「ミスミ様」
茶の器を置き、両手を膝の上に揃えて置いて、は、ぴ、と背筋を伸ばした。
「あの頃、あたしは子供だった。自分の気持ちのいくらも、ことばにすることが出来なかった。――でも、今は、少しくらいそれが出来るようになったかなって思う」
ミスミもまた、手を揃えてを見返す。
親と子。
それぞれの描く相手の違いこそあれど、対面するふたりは、まさにそのものだった。
「信じてください」
あなたの子供を。
そのひとの子供を。
――信じてやれ。
「……」
どんなにスバルが変わろうと、
どんなことが起ころうと、
――あいつは、俺とおまえの子だ。
遠く。
血煙の向こうに喪った、良人の背中。
最後に見たその光景に、音などなかったはずなのに――今、その背は、そう云った。
……こう、云った。
――スバルがおまえを守るから、
――おまえがその心、守ってやれよ。
それは幻なのかもしれない。
それは夢なのかもしれない。
そうあってほしい、と、自分のどこかが願って、当時の記憶に継ぎ足した、ほんとうに都合のいい捏造かもしれない。
……だけど、それは。
優しい――ほんとうに優しい、ゆめだった。