――扉はひとつ
――されども 鍵はふたつ
触れた部分から伝わってくるのは、もはや云い現すことも出来ないような歓喜の念だった。そして、狂喜であり、狂気だった。
だが、怒涛のように押し寄せてくるそれに飲まれることだけは、避けなければならない。
自分が自分であるままに、この力を操るのでなければ意味がないのだ。
「……少しは……っ、遠慮、しろよ……!」
悪態をつきながら、役目を終えた剣を抜こうとする。
だが、装置そのものが、剣をくわえこんで放そうとしない。封印を解いただけでは飽き足らず、書き換えまでも行うつもりらしい。
冗談ではない。
それでは何の意味もない。
それでは望みが果たせない。
「くっ……」
一人で来て正解だったな、と、機嫌とりのためにか、同行しようとした男の申し出を蹴ったことを思い出し、口の端を歪める。
たかだかその程度の動作でさえ、今の状態では重労働。
けれども、己の意志で動く部分を確保するということは、流れ込むものの侵蝕を阻むという点において、多大な効果となる。
半ば剣と同化している腕は、もはや動かない。肘を曲げることさえ出来ない。
残る身体全体を使って装置から離れようとする間にも、腕の付け根からその半身から、と、徐々に喰らわれていくのが判った。
「――――っ」
なおも、それに抵抗しようとしたときだ。
遅滞することなく進行していた侵蝕が、そこでぴたりと静止した。
「……、え?」
あまつさえ、潮が退くようにして、流れ込んできていたものが去っていく。
半身、肩、腕の付け根、肘――
「っ」
残滓が完全に抜けたのを感じ、腕を振り抜くと、今までの苦労が嘘のようにあっさりと、彼は装置から自由になった。
肘まで絡みつく赤いそれは相変わらずだけれども、腕の動作は己の意志のみで行える。他の部分も云うまでもなく。
視線をめぐらせる。
先刻までめくらめっぽうに天井や床を這いまわっていた光もすでになく、しん、とした静寂に、そこは包まれていた。
「……何故」
自由だった方の腕で、触れる。
侵蝕の止まった部分、そこでいったい何が起こったのか――答える者もおらぬ疑問の解は、だが、自身からもたらされた。
「あ……」
触れた指先から伝わる、静かな鼓動。あたたかな感覚。
けして自分のものではない、だけど不快感などない息吹。
そこは、いつか。白い剣で貫いた場所。
冷え切った指先が、瞼の奥が、じんじんと熱を感じ始めた。
「……、っ」
ここでは誰も見ていないから、隠す必要もない。
顔に押し当てようとした手のひらを、だから、途中で止めて凝視する。――そこになにか、もっと、別のものを見ようとするかのように。
「…………」
早く、帰って。
見る者などいないのだから、聞く者も当然いない空間に、零れる声は空しく木霊して消えるだけ。
それでも、衝動に突き動かされるようにことばは零れた。頬は濡れた。
「……、――……っ」
嫌われていい。
憎まれていい。
姉にも彼らにも世界中の誰にでも。
恨まれていい。
呪われている。
奴らにも誰にも世界中の何からも。
……それでも。
「……」
たったひとりだけ。行きずりのまま、笑顔で別れておきたかったひとがいた。
「……早く……」
――帰って。島を出て。
すべてが壊れていく前に。すべてを壊してしまう前に。
……取り返しのつかなくなるものと、出逢ってしまう前に。