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【昔日の残照】

- 結論までの過程 -



 日が随分と高くなった。
 昼食も先刻終えたし、そろそろここを出ねば、約束の時間に間に合うまい。
 まだ、ほんの少しだけひりひりとしている頬を押さえ、アルディラは、腰かけていた椅子から身体を浮かせた。
 昨夜の狂態が嘘のように、今の気分は晴れやかだ。
「クノン」
 ちょうどやってきたクノンを呼ぶと、彼女は一瞬立ち止まり、ほんの数秒躊躇したものの、それでも応えてやってくる。
 その仕草の理由に心当たりのありすぎるアルディラは、苦笑して、近寄ってくる彼女を手招いてみせた。
「別に怒ってなんかいないわよ。――それどころか、いくらお礼を云っても足りない気分なのよ?」
「……し、しかし……いくらなんでも主を引っぱたく看護人形というのは……」
 まなじりを下げまくってどもるクノンが、ひどくかわいらしく思えて、アルディラは笑う。
 人形めいたものへの感情ではなく、今そこに生きてくれている者への気持ちだった。
 その気持ち、そのままに、アルディラはクノンの頭に手を置いた。
「胸を張りなさい。あなたは、あなたの主の心を守ったわ」
 ――それは、昨夜。遺跡の封印を告げに来た彼らとの間に起きた、やりとりだった。
 遺跡を封じるのなら自分を壊せと迫ったアルディラの目を、クノンは。彼女に出来る精一杯のやりかたで覚まさせてくれたのだから。



 黙って経緯を聞いていた一行だったが、話が進んだとある地点で、とうとう耐え切れなくなるものが出た。
「それじゃあ何か!? あんたら、いっぺん話のためにまわった集落を、封印するってこと伝えるためにもう一巡してきたってのか!?」
 悲鳴、というか、呆れの色が濃いカイルの叫びに、ベッドに腰かけたままのレックスとアティは頷いた。
 もう眠気はないから、と起き上がり、いつもの食堂に移動して話をしようとしたふたりを、別にこのままでもいいでしょう、と説き伏せた結果だ。
 木で出来た硬い椅子より、ふかふかのベッドのほうが疲れも吸い取ってくれるだろう、と、単なる気休めレベルではあるが。
 おかげで、全員勢揃いの寝室は、ひどく狭苦しい。
 面積の都合上、部屋からはみ出して廊下に追い出されたひともいるのだが、それが誰か言及するのは避けてあげよう。
「……そりゃ、遅くもなるわな……」
 ちょっぴりやさぐれたらしいが、こめかみに手を当ててつぶやいた。
 砂浜に倒れたふたりの発見者第一号となった心労が、それでさらに増したらしい。共に一号の座を争うプニムと顔を見合わせて、「はあ」「ぷぅ」と、それはそれは盛大な、ため息ダブルアタックだった。



 ひとつ、またひとつ、満ちていた気配が消えていく。
 世界を明るく照らし出す太陽の光も、この集落の民にとっては、ひとときの休息を伝えるもの。
 それは彼女も例外ではなく、本当なら、とっくに眠りに落ちていてもおかしくなかった。
 が、彼女は起きている。
 いつもの白い鎧姿ではなく、楚々とした少女、彼女本来の姿で、ファリエルは祠の入口に立っていた。
「じゃあ、行ってくるね、フレイズ」
「ええ。どうかお気をつけて」
 不在の間、集落のことは任せる。その意を汲んで頷く天使を見
彼女は少しだけ首を傾げた。
「どうしたの?」
 なにか悩み事?
「――え。……いいえ、その……」
「ふふ、心配? だいじょうぶよ、私は遺跡を封印するために行くんだもの」
 そうしたら、もう、何も心配することなんてなくなるわ。
 微笑みながら告げられるファリエルのことばに、フレイズは、曖昧な笑みを返した。
「……そう……ですね。今日をもって、遺跡の封印が成る。ですが……」
「ですが?」
「貴女はそれでいいのですか? ――遺跡を封印するということは……」
「――いいのよ」
 フレイズのことばを途中で遮って、ファリエルは笑んだ。
 その、煩悶を殺ぎ落としてすっきりとした笑顔を見た眼前の天使が、僅かに眉宇をひそめたことに、彼女は気づかなかった。
「じゃあ、行ってくるね。私だけ、遅れるわけにもいかないし」
「……はい。いってらっしゃいませ」
 くるりと身を翻し、一度だけ振り返った彼女に、天使もまた、告げたのはただそれだけ。
 遠ざかる小さな背中を、彼は、何事かを思うように、じっと佇んだまま見送っていた。――その姿が木立ちの向こうに消えてもなお。



 ファリエルとヤッファは、元々遺跡の封印をするほうに賛成だった。
 なので、レックスとアティが結論を告げに行ったときも、あっさりと頷いてくれたらしい。むしろ、喜んでもくれたそうだ。
「俺たちだけの問題なら、もう少し迷ったかもしれない」
 キュウマの望み、そして、放棄すると云ってはいたものの、アルディラの望み。
 ――門を復活させれば、ふたりの願いは叶うのだ。
 出来るならば叶えてやりたい、そんな気持ちを、誰もが僅かも持っていないとは云いきれない。
「……継承したら書き換えられるって判ってても?」
 ム、とした顔でウィルが云った。
「そのときは、またみんなが呼んでくれますよね?」
 宥めるでもなく、確固とした事実であるかのように、アティが応じた。
 それを聞いて、発言したウィルをはじめとする子供たち、照れた素振りでちょっぴり挙動不審。
「ですが、門を復活させた場合、影響があるのは貴方たちだけではない……」
「そうなんだ。――島のひとたちを巻き込む危険がある以上、門の復活は選べない」
 そうか、と、全員が頷いた。
「……選んでくれないでください」
 切実に。そう付け加えて、がつぶやいた。
 両腕を身体にまわし、どこか薄ら寒いものを思い出しているような表情で。
?」
「ううん、なんでもない」
 呼びかけるソノラをちらりと見、は、レックスとアティを振り返る。
「そう、決めたんですね?」
「ああ」
「ええ」
 揺るぎない答えに、だけでなく、全員が笑んだ。



 こんな時間から起きているなんて、珍しいですねぇ。――本人にそんなつもりは微塵ともなかろうが、云われた当人は、それは皮肉かと少しだけ悩んだ。
 悩んで、こいつにそんな芸当が出来るわけもないか、とつぶやいた挙句、鬣をしっちゃかめっちゃかにひっかきまわされてしまった。
「あいつ、ひとをなんだと思ってやがる……」
 シマシマさんはシマシマさんですよぅ!
 ――とか、さっき、ぷんすか腹をたてて飛んでいった妖精がいれば応じただろう。
 だが、妖精ことマルルゥはここにはいない。庵の周辺にはもとからあまり人気が無いし(そういう場所を選んで建てたのだから当然だ)、入口に立つヤッファのことばは、必然的に独り言になる。

 ――…… ……

 そうはさせじと何かの囁き、けれどそれは遠い。
「吠えてろよ」
 クク、と、喉を鳴らしてヤッファは笑った。
 ふと足元に落とした視線を持ち上げて、空を見上げる。
 ――吹き抜ける風を、空渡る雲を。こんなふうに晴れやかな気持ちで見送るのは、随分久しぶりのことのように思えた。



 アルディラも相当ごねたらしいが、キュウマも凄かったらしい。
 どうしても遺跡を封印するのなら、自分を殺してからいけとか云ったとか。
「……リクトさんの遺言を果たすために生きてきたらしいから、果たせないなら死んでしまおうってトコ?」
「そうです」
「殴ってきていいですか?」
「いや、ミスミ様とスバルがもう殴ったから」
 握りこぶしをつくる数名を、レックス、慌てて諌めた。
 殴ったというのもいささか御幣があるが、結果としてキュウマを止めたのは自分たちでなく、そのふたりだ。――アルディラも、クノンがいなければどうなっていたか。
 詳しく話をする時間もないし、概要だけの説明だけど……いつかこれを、恥ずかしさにのたうちまわるふたりの前で、みんなに明かせたらいいなとかなんとか、そんなことを思うほど、レックスとアティの性格は悪くない。

 ともあれ、四人の護人へ伝えた彼らの意向は、こもごもあったことはあったけれど受け入れてもらえた。
 ――それで、いいではないか。
 繰り返しになるけれど、今、それ以上を話す時間もとれないし。

「さて……それじゃあ、そろそろ行かないと間に合わないか」

 立ち上がるレックスとアティを、数人がきょとんとした顔で見上げた。
 どこへ? と、その視線が問うている。

「遺跡――喚起の門へ」

 問いが発される前に応えると、全員が、寸も間を置かず立ち上がった。



 地面に出来る影は、もう随分と短い。
「……では、行って参ります」
「うむ」
「おう! 待ってるからな!」
 草鞋の紐を硬く縛り、立ち上がって振り返るキュウマの目に映るのは、大事な主の忘れ形見。
 降り注ぐ太陽の光に負けじと笑うふたりの目は、だが真っ赤だ。
 夜を徹したのもあるのだろう、だが、その原因の大半は自分にある。
 昨夜、レックスとアティと話していた境内に、夜半だというのにやってきたふたり――なんでも、どうしても胸騒ぎがして、御殿を出てきたという。
 そうして神社の下に差し掛かったところ、あのふたりに向けて話していたキュウマの声を聞き取って、階段を駆け登ってきたらしい。

 ――わらわたちが、いつ、シルターンに帰りたいと云った!?

 そうして、投げかけられたことばがこれだ。
 挙句にスバルも、キュウマが死んでしまうのは嫌だと泣いてしまうし。

 ……赤く腫らした目で笑うふたりを見て沈黙するキュウマを、とうのふたりはどう思ったのか。
 ミスミが、ふっ、と微笑んで手をひらひらと振る。
「ほれ、はよう行け。時間に間に合わぬぞ?」
 スバルが、勢いよく両腕を持ち上げる。
「おいら、いい知らせ、待ってるからなっ!」

「……」

 笑みに笑みを返し、キュウマは歩き出す。
 ――喚起の門、今は眠る遺跡へと。
 けれどその心中にはまだ、あのことばが木霊している。

 “頼むぜ”

 ……頼むと。
 そのことばを果たすために生きてきた己を、まだ、彼は捨てきれずにいるのだけれど――


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