この島の未来を簡単に決めることは、今の自分たちには出来ない。
答えを出すためには、もっと、知らなくちゃいけない。
ずっと昔から、この島が、護人の皆が、背負ってきたもの。
……その重みを知らずに、答えなんて出せるはずがない。
「待っているだけっていうのも、気を揉まされるものよね」
「まあ、さすがに今回はな」
たぶん一度も手入れを怠ったことがないのだろう、そう思わせる手で紅茶のカップを取り上げるスカーレルのことばに、こちらはゲンジさん宅謹製緑茶の湯飲みを手にしたカイルが応じた。
船の一室。
普段からよく全員が集合するようなことに使われている、血染めの海賊旗が最近飾られている食堂だ。
ふと窓の外――すでに日の暮れかけている島に目を移したソノラが、
「先生たち、今、どこにいるかな」
と、つぶやいた。
「さあ……。まあ、遅くなるとは云っていましたけど」
カイルと同じく湯飲みを手にしたヤードが、ソノラの視線を追って応じた。
だな、と、こちらは気だるげに椅子に腰かけて、以前風雷の郷からお裾分けいただいた茶菓子を口に運びつつ、ナップ。
そんな兄に、きっと「行儀が悪い」と云いたいのだろう。ちらちらと視線を送りつつ、双子の片割れがヤードのほうを振り返る。
「時間、かかるんですよね」
「ミュウ……」
「朝帰りするかもしれませんわね、あの方たちのことですから」
「ビ」
傍のテコとオニビが、それぞれ同意するように頷いた。
そうですね、と苦笑してヤードが頷いたのを最後に、会話が途切れる。
別の話題を持ち上げようか、でも、果たして今出していいのか、そんな微妙な雰囲気が静かに流れていた。
「……」
「ぷ」
やはり沈黙したまま、茶を口に運ぶ。その膝の上、小さく鳴いたプニムが、彼女の注意を己にひきつけた。
「?」
小首を傾げるの服の裾を一度だけ引っ張って、プニムは床に飛び下りる。赤く染まる窓の外を指差し、それから、こてん、と床に倒れておねむのポーズ。
「……あ、眠いの?」
「ぷ」
頷き、そして首を左右に。
矛盾してるその仕草に、のみならず全員がプニムを見た。何か、意識を向けるものがほしかったのかもしれない。堂々巡りの思考を、いい加減打ち切りたかったのかもしれない。
……だって、ここで考えていても仕方ないことを考えてるって、それこそ、結構矛盾してる。
どうするのかな。
どうなるのかな。
考えて、心配して、思いを馳せて。
いくら自分たちがここでそうしていても、それは、今、それぞれの集落へと赴いて護人と話している先生たちへ、届いて影響するわけじゃないんだから。
決められない、と、云った先生たちは、その後つづけてこう云った。
“皆が抱えてきたものの重さを知らずに、何を決められるわけもない”って。
だから、先生たちは、それぞれの護人から話を聞くために、それぞれの集落を訪れることにした。集いの泉に全員集合したままじゃ話しにくかろう、だから帰っていてくれ、一箇所ずつ、自分たちがまわっていくから。
すぐに頷いたのは、ヤッファとファリエル。
少々間を置いて頷いたのは、アルディラ。
――数分ほど沈黙を保ったキュウマは、それでも最後には頷いた。成り行き上傍らにいたが、彼に何かをつぶやいていた気がするが、訊くだけ野暮というものだ。ていうか訊いたら後悔しそうだ。
そうしてそのは、プニムとにらめっこして動作の意を悟ろうとすることしばし、
「……寝ろ、と?」
「ぷっ」
「他に何もやることないんだから、さっさと寝てしまえ、と?」
「ぷっ」
「考えるだけ無駄だ、と?」
「ぷーう!」
あ。最後のは判った。誰からとなくそう思う。
“そこまで云ってない!”って意味だ。
そんなひとりと一匹のやりとりに、……やっと、小さな笑いがその場にこぼれた。
――そして。
プニムの提案どおり、少し早い夕食を終え(レックスとアティの分は取り分けて)、一同は早々と就寝に至った。
身体的にはそれほどでなくても、心のほうがやはり疲れていたのだろう、船はあっという間に静かになり――その数時間後。
「……謀った?」
は、実に胡散臭いものを見るような目で、プニムと向かい合っていた。
時刻は、先日喚起の門を調査に出発したより、もう少し早い頃合い。
隣のソノラはいざ知らず、普段よりずっと早く眠ったは、その分、ずっと早く目を覚ましてしまっていたのである。
二度寝してもいいのだが、質実剛健な養い親を手本に育ったにはそれが出来ない。昼寝は別。
故に、上体を起こした姿勢のまま、毛布の上に乗っかって、こちらも目を覚ましているプニムに疑いの眼差しを向けているのだ。
「ぷ」
「うわー、わざとらしいきらきらのお目々」
つぶらな瞳を輝かせて首を左右に振るプニムの頬をひっつかみ、むにーっと引っ張ってみる。
む、伸びっぷりはガウムのほうが上かも。
などと実にどうでもいい比較をし、その空しさで心に北風が吹いた、そのまますとんとプニムを落とした。
やわらかい毛布にやわらかいプニム。ぶつかった両者は、ぽよん、やわらかい音をたてて一撃離脱。
「……ん」
「――」
その拍子だかなんだかで、ソノラが小さく身じろぎした。
そうそう、ソノラの寝相が悪いなんてとんでもない。せいぜい、身体の向きを僅かに変える程度だ。
深かった彼女の呼吸が僅かに浅くなったことに気づき、は少々肩をすくめた。そのままプニムを目で促して、ベッドから降りる。そして、抜き足差し足忍び足――音を立てぬよう細心して扉まで行き、これまた蝶番の軋みが大きくならぬよう気をつけながら、そろりと廊下に脱出した。
通る途中の部屋に眠るひとたちも起こさぬよう、これまた苦労しながら船の外へ。
ささやかに砂浜を吹き抜けていく潮風が、目覚ましのトドメをくれる。
――どうせ、夜明けまで、あと二、三時間。
の朝が早いのはみんな知っているし、早起きして散歩してたって別に不安にもなられまい。
「―――――っん、んー」
大きな伸びをひとつして、深呼吸。足元のプニムも以下同文。
「は――――」
まだ肌寒さの残る朝の空気を吸い込むたびに、まだ弛緩していた細胞のひとつひとつが、活性化していくようだ。
「……空気、美味しいよね」
「ぷ」
なんとなくつぶやいたことばに、プニムがこくりと同意する。
うん。
空気は美味しい。
自然はきれい。
暮らすひとたちは、とても優しい。
そう。それこそ、誰かの願った楽園。
だけど、今は知っている。
その裏に在る、多くの悲しみと戦い。喪われたもの。
その上に、今、この島はあるのだということ。
「……上に、なんだよね」
いつかスカーレルが云っていた。
受け入れることは出来るけど、そこから先に歩き出すひとって意外と少ない。
「しあわせで、蓋してるような感じか」
嘆きを。
慟哭を。
もう終わったことだからと、今の幸せで蓋をする。
……まるで、この間までの自分のようだ。
ぷぅ、と、プニムが小さく鳴いた。
同意してくれているのか、ただの相槌なのか、判別しづらい小さな声。
「――――」
蓋をして風化させるまでの時間を許してくれないのなら、それと向かい合うしかないのだ。
そして、今がきっと、この島の者、護人たちにとってのそのときだというのなら。
「ケリ……つくのかな」
レックスとアティの出す結論が、きっと、それになるんだろう。
ふたりは、島の外からやってきた余所者でありながら、この島の過去とこれからにおいて、深く関るものを手にしている。
そして、島とずっと共にあった護人たちが、ふたりに決断を委ねるのなら――それが、ひとつの決着になるはずだ。
はず、なのだけれど。
「……封印も、解放も、なんか、どっちらけって気がしない?」
未だ白む気配も見せぬ海原に目をやって、はぽつりとつぶやいた。
決着が訪れることを疑うつもりはないけれど、なんだろう。もうちょっと……もうちょっとだけ深く手を差し込んでみたら、別の何かが手のひらにありそうな、そんなもどかしさ。
――――だって、それじゃあ、遺跡の在り方って何も変わらない。
解放したらよみがえる。
封印したら眠りつづける。
どっちにしても遺跡が在り続けるということは、島を覆う網も、糸も、そして囚われたモノたちも、そのままだってことになりはしないんだろうか。
「うーむ」
どうしよう。
「突っ込んでみるべきか、それとも、これもひとつの形ってことで、納得しちゃうか」
どちらかというと、前者に傾いていきそうな天秤の行方を見守っていたとき。
――ざしゃっ、と、背後で大きく砂が蹴散らされる音が耳を打った。
「ぷっ!?」
プニムが大きく飛び上がり、振り返る。
一拍遅れて、もそれを追った。
そして叫ぶ。
「レックス、アティ!?」
四つの集落を回り、護人と話してきたのだろうふたりが、林から身体半分出したほどの位置で砂浜に倒れ伏していた。
――いや、
「ちょ、ちょっと!!」
「……ぐー」
「すぅ……」
「…………をひ。」
眠り、こけていた。