……そんなこんなで、やってきました風雷の郷。
どうしての行き先がここになったかというと、話は簡単。
が参戦を決めた時点でラトリクスと狭間の領域は予約済みだったので、残るはユクレス村かここ風雷の郷。
ヤッファはともかく、以前だまくらかして剣を使わせようとした負い目のあるキュウマにとって、レックスとアティに逢うことは後ろめたい気持ちもあろう。と、そんな話になったのだ。
別に、レックスもアティもそんなこと気にしちゃいないのだが、要はキュウマの心情である。
それに、も、どちらかといえば風雷の郷に行きたかった。
こちらはこれまた何故かと云うと――
「……」
石段をてくてく登っていって、はそこに辿り着いた。
郷の外れにある神社の境内。先日キュウマを捕獲したはいいものの、わけの判らないモノの干渉だかなんだかのせいで、あっさり逃げられたその現場だ。
きれいに整えられた境内に足を踏み入れ、おそらくここだっただろうという記憶に従って、その場所に立つ。
「――――」
腕組みをして見下ろしてみるが、別に、色が変だとか妙なオーラを感じるとか、そういうことはない。
「……何だったのよ、あれ」
数日の間を置いたせいだろうか。
あれほどに強く感じた嫌悪も少しは薄らいで来て、思考をめぐらせることに障害はない。
――が風雷の郷へ立候補した理由が、それだった。
護人の因縁も気にかかるが、あのとき、焔が変質した理由がどうしても気になっていたのだ。
碧から影へ。
鮮やかに変質したそれは、たしかに、強く淀んでいた。
きれいだった、あのひとの、ちから。
遠い誰かが、ずっと欲した、あのひとの。
白から碧へ。
碧から影へ。
――鮮やかに、淀んだ焔。
いや、あれはもはや焔ではなかった。
以前アメルが話してくれていたけど、焔は純粋な世界の力で、使う者によって如何様にも加工できるんだとか。だから彼女は天使の力を増幅させていたし、そのころのは知らず魔力の代用として使ってた。
でも、元は無形。無色。
だから、引き出すそこに何かが干渉してきたら。の意志が及ぶ前に、形を与えようとしたら――
白は碧に。
碧は影に……?
「……いや」
かぶりを振る。
そして、目の前の地面をただ、見据える。
「“島は閉ざされている”」、
あの日響いた、何者かの声。
嘲るように罵るように、嗤っていた声が云っていた。
――島は閉ざされている
――世界になど通じぬ
「……か」
だとしたら。
この自分の持つ道は、閉ざされているというこの島の、どこに通じているのだろう。
そして、これまで引き出してきたモノは、もしかして、あの焔とは全然違う別物だったとでもいうのだろうか――?
「――――」
ドクン、と、一際大きな鼓動が鳴った。
試してみるか、と、僅かに考えただけで、不安と疑念が渦を巻きだした。
「……」
周囲に人の気配がないことを確認し、目を閉じる。
落ち着いて、落ち着いて……
この時代に落ちてからこっち、焔を喚び出すときは、いつも切羽詰ってた。海に落ちたとき然り、ジルコーダにレックスがやられたとき然り、召喚術の集中攻撃を退けようとしたとき然り。
……落ち着いて、落ち着いて。
意識を澄ます。
道を探る。
ここに立つ自分の意識は、その先の、どこに繋がっているのか。また、閉ざされているというのなら、何によって閉ざされているのか。
「……」
閉ざした瞼の向こうから入り込む陽光が、だんだんと、だんだんと薄れていく。
完全に闇となった視界に、ぽつり……小さな灯りが灯った。
――
――――
そこは闇。
そこは道。
そこを辿る。
ついさっきまで肌をなぜていた風、足をつけていた地面、揺れる木立ちのたてる音……五感を刺激する外界のそれは、とうに遮断されている。
潜る。
潜る。
深く、深く。深く――潜る。
そこは闇。
そこは道。
一点灯った光だけが、沈む意識の標。
沈む。
沈む。
深く、深く。深く――己の裡へ。
一点灯った光を追って、意識は深く、その場所へ。
辿り着く場所にあるのは、たぶん、――遠い繋がり。
サイジェントで感じ、そして、今は忘れてしまった遠いうた。
すべての魂は奥深く、己も知らぬ遠い場所、界の意志へと通じる道を持つ。それを通じて繋がっている――
――はずだった。
「……」
潜りつづけ、沈みつづけた意識が止まる。
光は遠い。まだ遠い。それはきっと、生ある限り永劫辿り着けない場所なのかもしれない。
だけど、今止まっているのは違う。はまだ、潜りつづける意志がある。光へと歩く気持ちは強い。
――だというのに。何かが、先に進むことを阻んでいた。
意識に肉体としての機能はないけれど、感覚として告げるなら、は、己を阻む何者かを見極めようと目を凝らし、手のひらを伸ばした。
網のようだと、手のひらは感じた。
凝らした目に何が映ったわけではない。ただ、触れた部位から伝わる感覚は、の前に果てなく張り巡らされた網を伝えてくる。
網は、強靭にして細やか。破るどころか、指一本、蟻一匹さえ通しはしないというように。
なんだろう。
首を傾げて、考える。
まだ遠い光に似ているけれど、それは明らかに不自然だった。
網からは、無数の糸が伸びていた。
それはの後ろ、つまり、今が佇む島へ向けて伸びるものだ。
たくさんの――たくさんの糸が、まるで島のすべてを絡み取るかのように伸びている。そして、それは内側にのみ向かっていた。
網は、島を大きく囲い込むように存在し、内部にあるものすべてに干渉の糸を伸ばしているかのようだった。
それが不自然だった。
サイジェントで感じたものとは違う、そう感じる根拠がそれだ。
あのとき感じたものは、
もっと拡く、
もっと大きく、
もっと、もっと、多くの、無数の、どこまでもどこまでも届くだろう、広大な――例えるなら、何も視界を遮るもののない岸壁や、丘の上に立ったときの感覚を、無制限に大きくしたような。そんな感じだった。
だけど、目の前のものは違う。
たしかに繋がりを持っている、けど、あくまでも内側にのみであり、外側からのものも、外側へいくものも、拒んでいるよう――
――訪れたか
声が、響いた。
網を震わせ、糸を震わせ、明らかにへ向けて紡がれる声。
嘲るような罵るような、昏い嗤いに満ちた声。
――継承者となるか
同時に、無数の光が生まれる。
網に絡みつき、糸に絡みつき、紅や碧、黄色、――数えるのも面倒なほど、無数の光。
――我が意志 我が力 我が呪縛
……その、どれもが淀んでいた。
光が生まれたことで、網が視認出来る。糸が映し出される。
……それは、
――……我が狂気……!
幾つもの、黒いモノたちを絡めとり、逃しはしないと抱き込んでいた――!
「……ッ!!」
顔を上げた瞬間、膝の力が抜けていた。
立ちつづけることもままならず、は、その場に尻餅をつく形で座り込む。
ついた手のひらからは、じゃりじゃりとした砂と小石の感触。
大きく上下する肩、そして身体を撫でていくのは、優しい風の感触。
その、どれもを、
「――――っ」
ひどく薄ら寒く感じ、両腕を己の身体にまわして……それでも、内側から起こる震えは止められない。
「――――、は、……ぁ」
ばくばくと脈打つ心臓を少しでも宥めようと、半ば無理矢理深呼吸。そしてことばを紡ぐ。
口を動かすことに集中しているうちに、この悪寒が消えることを期待して。
「……何よ、あれ」
目の前には、白い砂利。そして石畳。
普段どおりの、境内の光景。
闇も、光も、網も、糸も、――あの黒い何かも、もう見えない。
だけどそれらは、確りと記憶に焼きついている。
「ていうか」、
口の端を持ち上げるだけで、筋肉がきしむ。身体中が強張っていた。
「何よ、この島。本気で」
――閉ざされている?
物理的にじゃない。
結界がどうとかいうレベルじゃない。
この島は、世界のなかに殻をつくり、その中で息吹を紡いでいる。
それを否定する気はしない。
だけど、その殻が、あまりにも異様だった。
網も、糸も、否定はしない。
だけど、そこに走る光、そして、それらが捕えていたものは――
「ファリエルさんが云ってたの、これか……もしかして……」
――“この島で死んだ者は、例外なく亡霊として囚われる”
鈴を鳴らすような声が紡いだ、戦慄を覚えさせる事実。
「あの黒いのが……亡霊なのか」
一度だけ、あの喚起の門で見た。
痩せこけた頬、血の気が失せて淀んだ色彩、落ち窪んだ目の部分。干からびた死体をそのまま操れば、ああなったろうかというような姿だった。
「……レイムさん」
ぽつり、その名を口にする。
かつて……いや、遠い明日、屍人の軍隊でもって聖王国を攻め落とそうとした悪魔王。ただひとつの願いのために、ただひとつの望みのために。
あの軍を遠目にしか見たことは無かったが、ここの亡霊のようなものが集まっていたんだとしたら、さぞ、相対する側の戦意を削いだだろう。生きる者すべてを否定する何かが、死を通過したモノにはある。
「ゼスファ……シルヴァ……――」
喪われる名を、つぶやいた。
デグレアで共に過ごした、黒の旅団の兵士たち。優しいひとたち。
レイムが倒れたことにより、彼らの魂が輪廻に戻ったことは、アメルが確認したという。そして、きっとどこかで新たな生を受けたはずだと。
そうして、
「――――腹、立つ」
は、唇を噛みしめた。
激昂に任せて、立ち上がる。
急激に移動した血流が頭をくらませるが、そんなもの、たかが一瞬のことだ。
「腹、立つってのよ……この、バカ島!!」
怒鳴る。
たゆたっていた静けさを吹き飛ばし、誰も聴く者などいない場所で――声を張り上げる。
「人が、喚ぼうとしてた本命を、遮断してんじゃないっ! 挙句に妙なもんを代替にするなっ!!」
勘違いしてた自分が悪い。それはよく判る。
あの瞬間――キュウマの戒めが砕けたあの瞬間まで、微塵とも疑いやしなかった自分の気楽さが、心底嫌になった。いくら切羽詰ってばかりだったからって、気づける不自然さはいくらでもあったろうに……!
騙しきられた悔しさと、騙された自己嫌悪。
そうして、
「それ以上によっ!!」
それ以上に、怒りを覚えるのは――
「どうして縛る!? 次の場所に行く道、奪う権利なんてあんたにはないでしょ!?」
――……
……――
声、なく。
何かが、嗤った。
何かが、嘆いた。
そして、響いた。
――島は閉ざされている
……島は閉ざされてしまった
二重の声。ひとつの声。
重なって、ゆらゆらと、だけどまったく反対のことを、その声はに届けた。
「……ぷ」
それと同時、小さな鳴き声。そして、足元にやわらかなものが触れる。
「……プニム?」
大きく息をついて見下ろした先で、プニムがを見上げていた。
今朝方朝食を終えて、またラトリクスに行っていたはずなのに、どうして今、ここにいるのだろう。
そんな疑問が生まれたことは生まれたけれど、は、何も云わずに、その小さな青い生き物を抱き上げた。
「なんだか、いつも、いてくれるね」
「ぷ」
「ごめんね。あたしは、いつか置いていっちゃうのに」
「……ぷぅ」
それは、最初に誓約を結んだときに交わした会話だった。
遠い明日に帰るとき、今のこの時代で出逢ったプニムを連れては帰れない。だから、はプニムを置いていく。それは、互い了承済みのことではあるのだけれど。
手のひら、そして、押し当てた頬から伝わるぬくもり。
――それはいつか喪われる。生きている限り、訪れる死を逃れるすべはない。
けれど――生に永遠がないように、死に永劫があってよいわけがないのだ。
「ぷ」
慰めるように、力づけるように、頬に触れる小さな手が、愛しかった。
「……ありがと」
ただその手に心を預けて、ほう、と息をつく。
それから、つぶやいた。
激情が過ぎれば頭は冷える。上昇した分に増して冷却された思考は、普段よりもスムーズに回転し、結論を導き出していた。
そして、自身のペースも、そのときには戻ってきている。
だから笑う。
「…………ふ」
戦いの日々を抜けた、理不尽な時間旅行のひとつを抜けた、その道があるから、は笑う。
「ふっふっふ……ふふふふふふふふ」
――ヤケクソめいたそれは、だが、突き崩せぬ何かを確固と抱いて。
まあ、傍から見ている者がおれば、それはむっちゃくちゃ不気味だったろーが。
「どいつもこいつもどいつもこいつも情報の出し惜しみが激しくてやんなるわ。ちょっと出しちゃ引っ込んでちょっと出しちゃ引っ込んで。心の準備が必要とか云いながら最終的に明かしていくつもりがあるなら玉砕覚悟で全部話してくれたほうがどれほど楽かってゆーのよ」
息継ぎもせずに云い放ち、
「そう思いませんか、キュウマさん」
心なしひきつった顔で赤い髪の少女を眺めていた背後の鬼忍を振り返り、そう、ドスの効いた声で語りかけたのだった。
――、『威圧』取得まであと一歩。