――――で。
その旧王国の人間が、目の前で爆笑しくさっているわけなのだが。
「……」
顔の刺青を指でなぞり、ビジュは、苦々しい思いでその人間を眺めている。
動作にあわせて揺れる赤い髪、涙をにじませている翠の眼。
雄として単純に見るなら、わりとよく育った身体――とはいえ、男を知っているとは思い難い。軍属ならば、むしろ慰み者にされていてもおかしくないのだが、よほど潔癖な部隊だったのだろうか。
そうなのかもな、と、思う。
さっきのやりとりからして、少なくとも、目の前の女が所属していたろう部隊では、捕虜への拷問がされたことさえないのだろう。
――などと、ぼんやりと考え終えたのと同時、女も笑うのを止めた。
「いや、久々に爆笑。なんかいろいろ共通点があるんだけど、まだまだとか云っちゃ怒られそうだし、たぶん、逢ったら即座に喧々轟々、バトりそうだなーとかなんとか!」
と、実に意味不明な感想を述べ、にまにまと唇を持ち上げている。
それから、
「オーケイ了解。よっく判った。それなら旧王国恨んでも不思議じゃない。これからもケンカ売るなら、わりと高めに買いましょ。ただし手加減はしないけど!」
一気に、こちらの口も挟ませずそう告げると、ちらりと視線を動かした。その先にあるのは、さっき、この女に掴みかかろうとしてビジュが放り出した、彼の剣。
そして、視線の主の手は、己の持つ剣の柄に添えられている。
「行きましょか、第二戦?」
「――行くか。このアホウ」
蹴られ殴られ投げ飛ばされて、身体の節々が軋んでいる。
それを気づいてないわけもないだろうに挑発してくるあたり、よほどいい根性をしていると見た。
目一杯顔をしかめ、罵声で応じて、ビジュは「ケッ」と唾を吐いた。
無意識に刺青へと当てたままだった手のひらに気づき、苦々しい気分でひきはがす。
……それから。ふと。問いかけた。
「理由が判りゃ、いいのかよ。それで」
「あたし的には問題なし。意味不明の難癖が一番困るから」
答える表情には、気負った様子も背伸びした様子も、まったくない。
それどころか、にっこり笑ってこう云った。
「発散することが出来るなら、するべきだと思うよ。溜め込むのが一番良くないだろうし」
その対象となった自分が、真剣で狙われたことも、遠慮なしの召喚術で攻撃されたことを、忘れたわけでもなかろうに。
「……まあ、あたしが相手してるうちに消化してもらえると嬉しいなー、と思わなくもない。他人にとっては、こういうの、わりといい迷惑」
それはまるで、明日の天気でも話しているかのような口調だった。
「アホウ」
そんなにあっさり、消えるわけがねえだろうが――続けようとしたそれは、ことばにならない。
にまにましている女の笑顔に当てられたわけではない、のは確かだ。だが、それでは、この虚脱感は何なのか。
……薄暗い記憶。
……置いてきた肉塊。
……置いてきた、それ以上に多くの何か。
……得たのは、憎悪。そうして、生き延びた己を持て余す。
それは消えず。凝りつづけ。
知ったことではないと、繰り返してきた行為。
そして転々と移動した部隊。その誰もが、彼の行動に眉を潜めた。
陰であれこれ囁き交わし、白い目をこちらに向けつづけた。
恥じる気はない。
悔いる気はない。
――が。
旧王国の人間に、面と向かって己の口から話すのは、これが初めてだと気がついた。
「……」
気がついて。虚脱の正体を、悟った。
「……」
悟って。
「……二十年か」
薄暗い記憶からここに来るまでに、置いてきたものがあった。
「は」
「二十年か?」
睨みつけてそう云うと、
「あ。――あー、はい」
その代わりになるものを提示した女は、にっこりと、極上の笑みでもって頷いた。
「帰ったらダッシュで事にかかりましょう。そしたら、えーと……」
「帝国海戦隊第六部隊」
「そうそう、第六部隊。戦死とかしてたら、お墓に報告に行くからご心配なく」
「してたまるか!」
――その報告を聞くまでは。
薄暗い記憶。
死んでいった同胞。
死ななかっただけの自分。
置いていった、何か。
――――たぶん、それは。
そうして、どちらからともなく、ふたりは踵を返した。それぞれ、別の方向に。
は一応、立ち去る背中に「もういいのー?」と訊いてみたのだが、「再戦は次だ、次」と、なんとも投げやりに手を振られた。
まだ不安定に揺れる背中を、ピコリット喚んでやる義理もないので黙って見送ったが、まあ、一晩寝れば回復もしよう。アズリアやギャレオに何を突っ込まれるかまでは、こちらの知ったことじゃない。
「……ああしてくれりゃ、柄が悪いだけの好青年なのになあ」
などという印象の転換もあってか、慇懃無礼な感の強かった相手への敬語も、さっきはすっぽり抜けてしまった。
柄が悪いなら好青年ではないだろう、と、それこそツッコミ食らいそうな感想を述べ、は、服や身体についたままだった下草をはたき落とす。
さらさら揺れる赤い髪を背中に払いのけ、腰をひねって背中を確認。
そのついでに、踏み荒らされたその一帯を見て、生ぬるい笑みを浮かべてみる。
もし誰か通りかかったら、それこそ何があったかと思われそうだ。
「……うーん」
しばし考えたのち。
地面にぺったり張り付いた草を適当に起こし、抉られた地面をある程度均してから、はその場を後にした。