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【彼らは海を往く】

- 再会劇、その3 -



 一瞬。
 状況がつかめずに、周囲も自分も硬直したのは、たかだか一瞬も……刹那さえ、あったかどうか。
「おわっ!?」
 実に女の子らしくない悲鳴をあげると同時、倒れ込むのを防ぐべく、は手近にあった壁に身体を押し付ける。
「イスラさん!」
 ついでとばかり、少しだけ硬直の解けるのが遅かったイスラの腕も引っ張って、壁にときめきラブアタック。
 いや違うから。
 などとしょーもない解説が入ってる間にも、事態はずんぞん進む。
 ほどなくして、水夫たちが武器を持って甲板に走り出てきた。
 中のひとりがたちを見つけ、足を止める。
「海賊だ! 中に戻ってな!」
 戦えない一般人だと見たのだろう、ふたりに向かって投げられるのはそんなことば。
 再び彼が走り出した先――海の向こうには、視認できる距離に一隻の船。あれが海賊船だろうか?
 マストの上でばたばたはためいている黒い旗――細かい意匠までは見えないが、なんとなくそう思わせる。

 そこまで見てとったとき、イスラがを引っ張った。
「とりあえず、中に。――君、自分の船室は覚えてる?」
「あ、はい」
 先ほどの笑み混じりのやりとりはどこへやら。
 一転して緊迫の混じったイスラのことばに、はこっくり頷いた。
「そう。よかった。一人で戻れるね?」
「はい。――イスラさんは?」
「僕はちょっと、船底の方を確かめてくる。大事な荷物を預かってるんだ」
 万が一海賊に踏み込まれたらまずいから、場合によっては持ち出せるようにするつもり。
「お手伝い、しましょうか?」
 すでに身を翻したイスラに、連続して響く砲撃音の合間を縫って呼びかけた。
 なんとか声は届いたらしく、彼の足はその場に止まる。
 そうして振り返るイスラ。その黒い双眸。
 何の感情も浮かべていない、だけど、ひどく心を苛まれるような眼。
 ――何故か、息を飲んだ。
「…………
「は、はい?」
 ふわり。
 穏やかに。優しく。向けられたそれは、たぶん微笑。
「さよなら」
 そうして、唐突なことばに。
「イスラさん――?」
 返すことばも思いつかず。
 手足を動かすことさえ忘れて。
 は、その場に立ち尽くした。
 その間にイスラは再び駆け出して、あっという間にの視界からその姿を消し去る。
 ……我に返ったのは数秒後。けれどその数秒は、手の届かない距離をつくるに充分。
「え……っと」
 逡巡は、視線ひとめぐり。
 結論は、直後。
「と、とりあえず中に――」
 イスラは中に駆けてった。
 レックスたちも、中にいるはずだ。
 少なくとも、どちらかとは合流する必要がある。
 ひとまずそれだけを決めると、再び足に力を入れて走り出す。
 そうして、先刻イスラが身をくぐらせた扉に、手をかけようとしたときだ。

 ――ゴゥン……!

「……っ!」

 衝撃。
 震動。
 さっきの砲撃の非でないそれと、またたくまに接近した船影が、船が接舷したことを知らせていた。

 またしても倒れかけた身体を、なんとか両足踏ん張って支えた。
 接舷されたのは、どうやら船の横っ腹のほうらしい。喧騒も剣戟も、そちらから響いている。
「……なんでこんな民間船を襲うかな、海賊……!」
 届きもしない悪態をついて、それでも。
 今やるべきは戦いではなくて、同行者であるレックスたちの無事を確かめることだ。
 イスラは待ち合わせた人がいると云っていたから、一人で危険な目に遭うようなこともないだろう。彼の向かった船底にまで戦いが届くようなことがあれば、それはおそらく、船の制圧される寸前くらいだろうし。
 対して、レックスたちは子供たちをつれている。しかも、戦いなんてたぶん知らない幼い子たち。
 どちらにしても行きずりの相手だが、この場合気にかけるべきは決まっていた。
 今度こそ、扉を開けようと手を伸ばす。
 ――と。
 まだ水夫が残っていたのだろうか。の手が触れる一瞬前に、内側から誰かが扉を開けた。
 引き戸でよかった。押し戸だったら、顔面にブチ当たってるところだ。
 ほんの一瞬よぎったその思考は、だけど、すぐにたち消える。

「レックスさん!」

! よかった、無事だったんだ!」
 大声で無事を確かめ合い、あわてて声を殺す。
「とにかく、こっちへ!」
 レックスの後ろにいたアティが、子供たちを促して、たちを手招いた。
 さっきとイスラがいた、入り口からの死角。乗り込んでくる海賊たちも、まず、こちらを通って大回りしようという者はいないだろう。
「どうしたんです? 甲板は危険ですよ?」
 やっと一息ついた間も惜しく、はレックスに問いかけた。
「そうなんだけど――脱出するための小舟は、外に出ないとないからさ」
「脱出?」
「ええ。様子は見るつもりですけど、万が一制圧されそうなら……」
「――そうです、ね」
 大勢の客を。船員を。
 見捨てていくことになるかもしれない。
 が、先に脱出しておけば、制圧された船から投げ捨てられる客たちを拾ってやったりも出来る。
 何もせずに船室で震えているよりは、いくらか建設的だ。
 なにより、子供たちを守って狭い室内で戦うには、いくらふたりが軍人出身であったとしても分が悪すぎる。
「あの、これ」
 そう頷いて同意すると、横から荷物が差し出された。
 小さなその手は、ウィルのものだ。
「あ」
 船室にほっぽりだしてきた、の手荷物である。
 礼を云って、はそれを受け取った。落とさないよう、腰にしっかりと括りつける。
「ありがとう」
「いいえ。――貴重品があったりしたら、困るでしょう?」
「ウィルくん、一度取って返して持ってきてくれたんですよ」
 ふふ、と微笑んでアティが云う。
「べ、別にわざわざ云うことじゃないでしょうっ?」
 指摘されたのが恥ずかしいのか嫌だったのか、少し頬に朱をさして、ウィルがアティにくってかかった。
 そのやりとりに、少しだけ、張り詰めていた心が落ち着きを取り戻す。
 ……そうだ。
 状況が状況だけど、こんなちっちゃな子たちは、守らなきゃ。
 もう二度と、あんなこと、繰り返させ茶いけない。
 向ける視線は、レックスとアティ。
 目の前で誰かが死ぬ光景を見るには、このふたりは早すぎた。そうして、目の前の子たちにも早すぎる。
「でも、本当にありがと。これがないと、すごく困った」
 港町で買い物をしてたときから荷袋に入れっぱなしだった剣を取り出して、これも腰に。
 サイジェントでウィゼルがアヤに託し、に“返され”た剣だ。……自身は、ウィゼルにこんなもん預けた覚えもないのだが。
 それでも、とっ捕まっていたときになくした剣の代わりとしては――いや、代替なんて云えないほど。
「……さん、戦えるんですか?」
 ちょっと目を丸くして、アティが問いかける。
「ええ、まあ」
「そっか。……それじゃ、悪いんだけど、もし戦いになったら手伝ってくれるかな」
 この子たちを、守るためにさ。
 云って、レックスが子供たちを示した。
 なんとか自分の足で立ってはいるものの、彼らの身体は小刻みに震えている。
 さもありなん。海賊なんてもんに遭って平静でいれるお子様なんぞ、そうそういてたまるか。
 ましてや彼らは、豪商の子供だというから。こんな殺伐とした空気でさえ、初めて感じるものなのだろう。
「だいじょうぶですよ」
 微笑んで、アティが子供たちを振り返った。
「さっきも云いましたよね? わたしたちが、あなたたちを守ります」
「だから、俺たちに任せてくれ」
 ――な?
「……はい」
 こっくり、アリーゼが頷く。
 他の3人も思い思いにことばを返して、ぐ、と手を握り締めていた。
「よし、それじゃ――」
 ひとまず、救命ボートのある場所まで……
 そう、レックスが云いかけたときだ。

「どいつもこいつも、だらしがねえ! もっと骨のある奴はいねえのか!」

 その声が。
 にとっては、浅からぬ聞き覚えのある、声が。
 ――剣戟の響く、甲板側から響き渡ったのは。


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