ところ変わって、こちらは船のなか。
と別れたアティとレックスは、子供たちのいる船室の前で、深呼吸を繰り返していた。
「よし。行くぞ」
「はい」
レックスが、ノブに手をかけてアティを振り返る。
アティもまた、弟に負けず劣らず緊迫した表情で頷いた。
――けれどもそのとき。
「別にオレは、淋しくなんてないっ!」
「!?」
扉の向こうから聞こえた少年の声に、ノブをまわそうとしたレックスの手は、ばね仕掛けの玩具よろしく、跳ね上がってしまったのである。
「「…………」」
そうして、ふたりは顔を見合わせた。
少しばかり鼻にかかった声、それは、さっきまで活発にやってた子のもので。
ぴた。
ぺと。
――端から見れば、実に不審人物全開な行動だが。
空気を読めずに入っていくのもためらわれ、レックスたちは、気配を絶って扉に耳を押し付けた。
軍人出身、こういうときに便利である。
そうして扉のこちら側、つまり船室のなかでは、マルティーニ家の子供たちが睨みあっていた。
いや、睨みあっているという云い方は正しくないかもしれない。
他3人はともかく、約1名――アリーゼはおろおろと、兄弟たちを見渡しているばかりだから。
はあ、と、わざとらしいため息をつくのはベルフラウだ。
「別にナップが寂しがっている、なんて云ってないでしょう? ――ただ、いつまでも、泣きじゃくったあとの子供みたいに拗ねていないでってお願いしただけですわ」
「…………うー」
とたん、長男はむくれる。
そんな兄を、呆れたように眺めるのは弟兼次男兼ベルフラウの片割れのウィルで。
「あの人に後ろめたいって思ってるのはわかるけど、向こうも気にしてないみたいだし……いじけてるだけ損だよ」
「ナップが、嫌ってるかもしれないって、気にしてたし……」
「わ、判ってっけどさ」
おずおず。
そんな感じのアリーゼのことばに、ベッドの上に仁王立ちしてたナップは、短い髪を乱暴に掻き毟ると、すとんとベッドに腰を落とした。
挑発した本人であるベルフラウが、してやったり、とばかり、もう一度息をついた。
普段からぎゃいのぎゃいのやってる兄が、いつまでもうだうだ寝転んでいるのは、見ていてどうにも鬱屈がたまるのである。
そんな彼女の横で、ふと、アリーゼがつぶやいた。
「あの人は、パスティスについたらお別れ……なのね」
「ん? そうじゃねーの?」
工船都市に着いたら、トンボ帰りの船、あいつらに手配させんだろ?
“あいつら”――と。
そんな形容のされ方をして、当の本人達が扉の外で苦笑しているのを彼らは知らない。
「当然でしょう? 急いでないとは云っていても、予期しないことに巻き込んでしまったのは本当ですもの」
「だから、ベルフラウ。いちいちオレを見んなよ!」
「ナップが、未だに後ろめたいって思ってるからじゃないか?」
「あーもーっ! おまえらほんとーにヤなトコ息ぴったりだなっ!!」
じだんだ踏むナップだが、本気で悔しがってるわけではない。
なんだかんだ云っても、4人はそれなりに仲がいい。
父とはめったに逢えないし、世話役でサローネがいたものの、いちばん身近な肉親といえばやはり、目の前の彼らだから。
……ただ。
場所が変われば環境も変わる。
各自理由はそれぞれあれど、軍学校に行くと決めたときから、こうして家を離れることは頭にあったけれど。
それが現実になったからって、心がそれに、素直に追いついてきてくれるってわけでもなくて。
ナップがいつになく過剰に反応してるのも、ベルフラウとウィルのことばがちょっぴりつっけんどんなのも、アリーゼが普段に輪をかけて口数少なくなっているのも。
「――さみしいなんてこと、ないぞ。ホントに」
ひらりと落ちた沈黙のなか、ふっと窓の外を見たナップのことばの。
その裏側にある気持ち故だから。
潮風が、向かい合うふたりの髪をなでていく。
きょとんとしている少女の赤い髪と、瞠目している少年の黒い髪を。
まとまりもなく巻き上げて、落として舞わす。
ちょっとうっとうしくなってそれを払えば、相手も同じように髪を手でおさえていた。
「…………なんで……君……ここにいるの?」
かなりひきつったイスラのことばに、は、えっへら笑ってみせた。
うむ、これは相当驚かれているようである。
聖王都行きの船の手配にまで付き合ってもらってたんだから、それも当然か。
本来ならは、何をどう間違っても、ここにいる人間ではないのだから。
「それがですね、話せば長いことながら」
「……2分以内でどうぞ」
「うわ。イスラさんひどっ」
とりあえず我を取り戻したらしく、昨日と同じ、掴みどころのない笑顔を浮かべたイスラのことばに、とりあえずは苦笑した。
それから、朝置いてかれてからのことを適当に話す。
長くなると称しはしたが、実際まとめてしまえば数言で説明はすむ。
「えーと、この船に乗ってるとある人と待ち合わせしてた人が、あたしとその人を勘違いして船に引っ張ってきたんです」
で、まあ、あれよあれよと呆気にとられてる間に出港しちゃって、後戻りも出来なくなった、というわけで。
「……何、それ」
額に手を当ててイスラがつぶやくが、気持ちは判らないでもない。
だって、これが自分の身に起こったことでなかったら、何の喜劇だろうとか思ってたに違いないから。
だがまあ。
起きたことは起きたことだ。
大事なのはその後どうするかだし、それについては目途が立っている。
「で、ですね。一応その人たちと話して、戻りの船も手配してもらえることになったんですよ」
だから、この際パスティスってところでも少し観光しようかなーなんて思ってみたりして。
ほら、全然困ったりしてませんよー。
などとアピールするために、両手をぱたぱた振って笑顔をつくってみる。
別にムリしてるわけでもないし、自然にそれは出来た。
イスラにもそれが伝わったのか、
「そうなんだ……良かったね、原因はともかく、その人が親切で」
額から手を放し、くすくす笑ってそう云ってくれた。
「はい」
だから、もにっこり笑う。
うん。
こんなことくらいで、途方に暮れたりなんかしない。
もっともっと大事なことで、もっともっと厄介なことが、今あるんだから。
魔力を得ること。バルレルがそうしたように。
時間を渡るための魔力――界の狭間の、その先にある空間へ、自らの意志で飛び込むだけの力を、見つけること。
自分の力だけじゃ、たぶん足りない。
“”と、出逢う人出逢う人に名乗りつづけている今では、たぶん、使える分量もタカが知れている。
それに、どっちみち。
全開したとしても、リィンバウムの純正であるこの力だけでは、四界の混ざる狭間に手を伸ばすことは出来ないだろう。
魔力が要る。
思い出すのもちょっと忌まわしいが、あの儀式に匹敵するくらいの、大規模な召喚を行えるだけの魔力が。もしくは、その媒介が。
今はまだ、どうすればそれが手に入るのか判らないけど――
帰りたいし。(あの場所に)
謝りたいし。(バルレルに)
……文句云いたいし。(ミモザさんに)
だから、困ったり挫けたりしてる暇なんてないんだ。
?
疑問符のついたその呼びかけに、はた、とは我に返る。
「どうかした? 急に考え込んで」
目の前で、ぱたぱた振られる手。
そうしてその持ち主が、やっぱり笑いながらを覗き込んでいた。
「わわわ、すいません。ちょっとぼーっとしてました」
「日にあてられたかな? 中に戻る?」
僕も、そろそろ戻ろうかと思ってたんだけど。
「あ、そうですか? それじゃ――」
一緒に行こうか、との言外の問いかけに、断る理由もなく。
むしろ、途方に暮れて座り込んでいたところを立ち上がらせてもらった、という――実に生命の危機っぽいものだったが――経緯もあって、イスラに接するの態度は、割合気安い。
そんなこんなで、ふたり並んで船内への入り口に足を向けようとしたときだ。
どおん、と、腹の底に響く重低音と。
ぐらり、と、波のせいだけじゃない震動と。
「海賊だ――――!!」
そんな、切羽詰った水夫の叫び声とが。
立てつづけに、たちを――そしてこの船を、襲っていた。