――ぷはあ。
船室から離れて、少し歩いたところで。
とレックスとアティが息を吐き出すのは、同時だった。
「……気まずい」
とてつもなく真面目な顔で、何を云っているのかこの家庭教師は。
「……どうしましょう、レックス」
「どうしようか、アティ」
「どうしようじゃないでしょう、ふたりとも」
がっくり。
肩を落として、は、真剣な顔で『どうしよう』とつぶやきあう姉弟にツッコんだ。
お約束のように裏拳を繰り出してみたものの、いまいち力が入らない。
別にふたりの不甲斐なさを責めてるんではなく、とっつきようのないあの子たちに、も、多少は疲れていたんだろう。
「だってさ」、
とりあえず船内図で船長室の場所をたしかめ、歩き出しながら。
口火をきったのは、レックスだった。
「出会い頭に云われたんだよ、俺たち。『教師として認める気はありません』って」
「ベルフラウちゃんからは、『教師である前に使用人です』ですし」
「「おまけに、パスティスにつくまでにあの子たちと信頼関係作れなかったら、家庭教師の話は立ち消え」」
「うわ厳しい」
「だろ?」
「ですよね?」
さすがに、これにはも呆気にとられた。
まなじりを下げたレックスが、少し乱暴に自分の髪をかきむしる。
「最初から真っ直ぐいけるって思ってたわけじゃないけどさ、なんか初っ端から暗礁に乗り上げた感じっていうか」
「……本当に、これからうまくやっていけるのかなあ……って」
はあ。
ダブルため息。
いや、ふたりの気持ちも判らないでもないが、頭上でため息同時にこぼされると、なんとことばをかけていいものやら。
だけどこのふたり、にとっては浅くない思い入れのある人たちだ。
出来れば気持ちを上向きにしてあげたいし、そもそも、落ち込んでいる人を見るのはあまり好きじゃない。
ので、
「まあまあまあ」
ちょっとわざとらしいかな、と思いつつも、はにっこり笑顔をつくってふたりの背中を叩いてみた。
「不安になっちゃうのも判りますけど、あたし出来ることあったらもお手伝いしますから。がんばりましょ、“先生”」
ね?
そう云って見上げたふたりの表情の変化は、おもしろいほど如実。
さがってたまなじりが元に戻って、目はちょっぴりまん丸くなって。
しばしきょとんとしてたかと思うと、またたきひとつした次の瞬間には、ぱぁ、と晴れやかに笑ってくれた。
「」
「はい?」
「も一回云って」
「……へ?」
何をだ何を。
「せ、先生って……」
今なんだか、わたし、とっても感動しちゃいました。
胸元に手を当て、きらきらお目々でアティが覗きこんでくる。
うんうん、と、横で大きく首を振ってるレックス共々、やけに幼く見える。
えっと……この人たち一応、もう成人とかしてるんだよね?
あたしより年上なんだよね?
なのになんだろう、この、胸の奥からわきあがる、ちっちゃい子をみてるよーな感情は。
――それは、たぶん。
にとってはまだ、ふたりの幼い姿がそこに重なっているからというのもあるんだろうけど。
何はともあれ、
「おあずけでーっす」
にんまり笑って、はとっとと駆け出した。
全力疾走なんて船のなかで出来るわけもないから、小走りにふたりから距離をとっただけだったが。
「えー?」
「どうしてですか?」
とたんにむくれたふたりが、やっぱり小走りに追いつこうとする。
壁に設置された船内図をちらりと見て、は、追いつかれまいと距離をとる。
「あたしなんかより、あの子たちにそう呼んでもらえるよーにがんばってくださいっ」
そう云って、前方に向き直った。
後ろから、レックスとアティの声。
それは、さっきみたいな、戸惑ったような途方にくれたようなものじゃなくって、
「そういうのはずるいですよ!?」
「もう一回だけでいいからっ!」
――という、とっても元気な声だった。
その後。
そのままのノリで船長室に突っ込んだ3人は、船のなかでは静かにしてくれとお説教くらったことは、いうまでもない。
そうして船長との話し合いだが、これが意外にあっさり片付いた。
海の男というものは、基本的に豪放磊落が身上なのか。
マルティーニ家の名前を出す前に、二つ返事で頷いてもらったほど。
ただ、一区画奥にある船室には、帝国にとって重要な人物が乗っているから決して近づくな、と、強く要求されてしまったけど。
普通なら好奇心ホイホイが仕掛けてあるかのごとく足を向けかねないだが、今回ばかりは無賃乗船している後ろめたさもあって、要求は強く頭に叩き込んだ。
レックスもアティも力強く頷いていたし、そもそも重要人物なるもの、一般庶民には無関係と相場が決まっているのだ。
下手に薮蛇つついて、揉め事は起こしたくない。
そんなこんなで数分後。
なんとか子供たちとコミュニケーションとってみる! というふたりを暖かく見送ったは、不人情にもひとり、甲板に出てきていたのであった。
いや、『鬼』とかいうなそこの人。
ウィルとかベルフラウとかアリーゼはともかく、ナップには、に関して大小なりと負い目がある。
そんな自分がついてったら、結局気まずさ倍増だろう。
てなわけで、まずは、なんのてらいもなしに彼らから親睦を深めてもらおうという、我ながらナイスな親心なのですよ。
……一時期ホントに親代わりやってたけどな。
「それになー」
人の多い場所を避けた裏っ側、それでも日当たりのよい場所を確保して、はひとりつぶやいた。
潮風にさらされる赤い髪と、それを映す翠の眼。
「あんまり、かかわっちゃまずいだろうし……ね」
もともとの時間においても帝国領に馴染みなどないが、いつ、どこで何が繋がっているか判らないのだ。
ちょっと距離をおいたくらいの接し方のほうが、たぶん、ちょうどいいのじゃないだろうか。
船がパスティスに着いたらお別れだし、それまでなら、少し余所余所しい人、っていうのを装っておけば、下手にボロ出すこともないだろう。
どうですか、ルヴァイド様。イオス。ついでにさんざん、突っ走るしか能がねェ、とか云ってくれたバルレル。
あたしはこれでも、いろいろ考えてたりするんだぞー。
フ、と無駄にカッコつけてみて――
「――――」
「ん?」
わりかし至近距離から聞こえたささやき声に、は首をかしげた。
日当たりがいいとは云え、ここは船室の出入口から死角になっていて、まず一般の客は足を向けなさそうな場所である。
こんなところに好き好んで来るのは、自分くらいだと思っていたが、はてさて。
ひょっこり顔を覗かせた先で、は、予想外の人物を発見したのであった。
「あ、イスラさん」
「っ!?」
そう。
が思わずあげた声に、やけに過敏な反応を示して振り返ったのは。
今朝方、人を宿において一人さっさと発ってくれた、行きずり同士って間柄だったはずの吐血お兄ちゃんだった。
……その認識、いい加減改めてやれ。