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【彼らは海を往く】

- 紅白餅認定 -



 ぺこり、と頭を下げるのは、濃緑色が基調の服をまとった少年。
 ネスティのご幼少のみぎりが、こんなかもしれないなあ、と、思わず考えてしまった。
「……うちの兄が、ご迷惑をおかけしました」
 そうして、まなじりを下げきった少年の口からこぼれるのはそんなことば。
 “兄”と示された、を船に引きずりこんだ少年は、ばつの悪い顔でそっぽを向いている。
 その頭をはたくのは、上品な赤い服をまとった少女。
「いいかげんになさいっ! あなたが勘違いをするから、この方がこんなことになったのでしょう!?」
 もうどうにもならないのですから、せめてきちんと謝罪なさいな!
「そんなこと云ったってよ! 元はといえば、サローネが延々とそいつらと話してたから悪いんじゃないか!」
 オレが呼びに行こうって云ったとき、おまえたちだって賛成したろ!?
 赤い少女の方を振り返って怒鳴る少年に、小麦色の髪をツインテールにした少女が歩み寄る。
「で、でも……ナップだって、わたしたちが呼んでるのに、どんどん走って行っちゃったし……」
「しょうがねーだろ、聞こえなかったんだからっ!」
「っ!」
「アリーゼに怒鳴ってもしょうがないでしょう!? とにかく私は、この方に謝罪なさいと云ってるんです!」
 眼をうるませた少女――アリーゼの前に出て、赤い衣装の少女が怒鳴る。
「……いい加減にしろよ、3人とも。この人が困ってるじゃないか」
 さらに云い返そうとした少年こと、ナップの前に、先刻頭を下げた少年が割り込む。
 そこでやっと、は話に入る隙を得た。

「あの……とにかく落ち着きませんか」

「「「「そっちが落ち着きすぎなんだ(です)よっ!!」」」」

 ――そんなこと云われたって、起きちゃったもんは起きちゃったもんである。
 子供4人の絶叫に耳を押さえてのけぞって、は、背後に立っていた、本来の家庭教師であるレックスとアティと顔を見合わせた。



 事情はこうだ。
 レックスとアティは、走っていった先の広場で待つことしばし、無事に子供たちと合流したらしい。
 そのときもひと悶着あったそうだが、ま、それはそれ。
 んで、子供たちについてきていたのが、サローネという世話役の女性。
 やはり彼らを預けるについて、少々話があるというため、先に子供たちを乗船させたあと、あれこれ話をしていたそうだ。
 で、子供たち。
 出港間近になっても、家庭教師のふたりが未だにこないため、しょうがないから呼びにいこうってことになったらしい。
「まあ、一応はこちらが雇っているわけですからね」
「なんだか危なっかしい人たちだったし」
 上から、ベルフラウ、ウィルの言い分。赤い女の子と緑の男の子だ。
 ちなみにウィルの名を聞いたとき、は思わず目を見開いた。かつて雪に囲まれた崖城都市で同じ時間を過ごした、そしてもう逢うことのない同胞と、同じ名前だったから。
 もっとも、彼が帝国出身だとか聞いた覚えはない。デグレア生まれのデグレア育ち。単なる偶然なんだろうけど。
 ともあれ、そうして4人は船を出た。
 そこで、よせばいいのに、ナップが一人で先に駆け出したんだそうだ。
 落ち着いて周りを見ていれば、すぐ傍の波止場に、家庭教師と世話役の姿を見つけられたかもしれないのに。
 走り出さなかった3人の制止も耳に入らず、ナップはすったかたったか道を走り――

「……赤い髪と白い服の、あたしを見つけた、と」
「…………そうだよ」

 なんでもこのナップくん、最初にアティとレックスと顔合わせしたときに、嫌がらせのごとくタックルかましてふっ飛ばし、そのまま船に乗り込んでしまったらしい。
 で、覚えていたのが赤い髪と白い服。
 もかつて、この色持ちのとある男性をつかまえて『紅白餅』とのたまったことがあるだけに、ナップのその印象を強く覚えてたことを笑えない。
 それに加えて、
「アティさん……帽子、どうしてました?」
 と問えば、アティ、答えていわく。
「とって、手に持ってました……初対面ですし、こちらが雇われるわけですから、かぶったままでは失礼かなと…・・・」
 丁寧にも帽子をとってみせてくれたアティと顔を見合わせて、しみじみ、嘆息。
「おそろいですねえ」
「おそろいですよね」
 ……と、やるせない笑いが同時にこぼれた。
 上着を脱いでしまえば、その印象はなくなるのだろうけど。
 紫を基調にした、やわらかめの詰襟。ズボンは黒に近い濃紺で、膝下までのリングブーツも同系色。
 こうなると、赤と白ではなくて赤と黒。
 うむ。
 新品だからって喜んで着てないで、他の着替えといっしょにちゃんとしまっておけばよかったのである。
 などと今さら思っても、詮無いことではあるのだが。

 生ぬるい感情の混じったふたりのやりとりに、ナップはすっかりむくれたまま。
 けど、そのままだとまたベルフラウのカミナリが落ちると察したのだろうか。不精不精といった態で、それでも視線をに合わせ、
「――ごめん」
 と、小さく頭を下げた。
「あ。いやいや、そんな深刻になられても。ね? あたしならだいじょうぶだから」
「……でも、さん、本当は別の船に乗ろうとしてたんですよね?」
「それなら心配要りませんわ」
 アティのことばに、つ、とベルフラウが身を乗り出してきた。
「パスティスに到着次第、彼らに船を手配させます。父と懇意にしている貿易商もいると聞いていますし、そうお待たせはしないと思いますわ」
 彼ら、と示されたアティとレックスは、一旦顔を見合わせて。
 うんうん、と笑顔で頷いた。
「えっと……でも、それだと、あなたたちに余計な手間がかかっちゃうんじゃ?」
「いえ、元はといえばサローネの長話と兄の早とちりが原因ですから」
「ウィル! しつこいぞおまえっ!」
「本当のことじゃないか。だから、いつもちゃんと周りを見てくれって……」
「うるさいっ!」
 しれっと云ってのけたウィルに、ナップがつかみかかる。
 いや、正確にはつかみかかろうとしたのだろう。
 が、その襟首を、むんずとつかむ手があった。
「まあまあ」
 ちょっとのほほんとしてるように見えても、さすが元軍人。
 軽々とナップを押さえたレックスが、とアティとベルフラウの間に身体を割りいれる。
 首をかしげてを覗き込み、
はそれでいいかい?」
 にっこり微笑んでの問いに、もやっぱり笑ってうなずく。
「はい。特に急いで動いてるわけでもないので、ここまでしてもらえるだけでも十分です」
「だ、そうだよ」
 だからもう、兄弟でケンカするのはやめような?
 すとん、とナップを地面におろし、レックスはそちらを覗き込む。
 が、諭されているのが悔しいのだろう、ナップは彼を見上げようともしない。
 ぷいっとそっぽを向くと、すたすたと歩いて、部屋に据えつけられたベッドに転がった。
「……嫌われたかな?」
「あ、えっと……ちがいます」
 ひとりごちたに、小さな声が背後から。
 手を口元に当てて、おずおずとそう口にしたのはツインテールの女の子。アリーゼ。
 ナップに聞かれると、また怒鳴られると思ってだろう。小さな手招き。
 応えて耳を彼女の口元に近づけると、それでも小さく思える声がに告げた。
「少し、すねてるんだと思います。明日になったら、普段どおりになりますから……」
 それだけ云って、ぱ、とアリーゼは身体を放した。
 人見知りする性格なんだろうか。
 ちょっぴり頬を赤くして、とととっと小走りに、ベルフラウのところへ戻る。
 そんなアリーゼを迎え入れたベルフラウもまた、小さく息をついてたちを見回した。
「……まあ、それで当面の対応は決まったわけですが」
 改めてお聞きしますけど、それでよろしいですか?
 よろしいもよろしくないもない。
 としては、船の手配をしてもらえるだけでありがたいのだ。
 こっくり頷くその横で、アティとレックスも首を上下させている。
 なんだか子供たちに仕切られている気もするが、それは、ベルフラウやウィルの性格のせいかもしれない。
 なんというか、こう。
 しっかりしすぎている、というか。
 逆に、ナップやアリーゼは実に子供らしいといえばらしいのだが、ちょっぴり加減を知らない、というか。
 何はともあれ、実にバラエティに富んだ子供たちである。マルティーニ家、どんな家なんだ。

「…………」
 しかし。
 話が終わったら終わったで、なんなんだろうか、この珍妙な沈黙は。

 子供たちは、ちらちらとこちらを見ているアリーゼを除き、すでになんでもなかったように、各自の荷物の整理なんぞ始めている。
 ちなみにナップは寝転んだまま。
「えっと……どうしましょうか」
「好きにしていて構いませんよ、あなたは客ですから」
 ぽつりとつぶやいたところ、何やら本を取り出していたウィルからそんなセリフが飛んできた。
「そちらのあなた方も。荷の片付けなど、今のうちにすませてくださいな。昼食がすんだら、授業を始めていただきます」
 あなたがたは教師である前に当家の使用人なのですから、こちらの指示には従っていただきますわ。
「あ……はいっ」
「わ、判った」
 うわー、仕切られてる、仕切られてる。
 あわてて、荷物から教科書や参考書らしき本を取り出し始めたレックスとアティを、ベッドに寝転んだままのナップが軽く一瞥した。その後、また背を向ける。
 ああ、この空気覚えがある。
 初対面の人間が、どこまで相手を懐に入るか、少しずつさぐってるような感じ。
 子供たちはまだ幼いし、レックスもアティも、教師として働くのはこれが最初だって云っていたから、お互い全然不慣れなんだろう。

「あ、そうだ」

「なに?」
 心なしほっとした顔で、のつぶやきにレックスが答えた。
「一応、船長さんにこのこと話しておいたほうがいいのかも」
 あたしってば思いっきり、無賃乗船してるわけですし。
 親指と人差し指で丸をつくって云ってみれば、そうですね、とウィルの声。
「事情を説明しておくなら、早いほうがいいでしょう。船長室なら、廊下に船内図がありますから、それを見れば判ると思います」
 やっぱり少し突き放したような彼のことばに、レックスがあわてて立ち上がる。
「そっか。そうだな。それじゃ、ちょっと行ってこようか」
「あ、それじゃあわたしも一緒に……」
「へ? いやそんな、おふたりともこなくても」
「いーよ別に。いてもいなくても構わねーもん」
 壁の方を見たまま、ナップが切り捨てるように告げた。
 アリーゼが、おろおろと、兄弟とたちを見比べている。
 …………
 いかん。
 とんでもなく気まずい。
 どこに視線のやりようもないまま、アティとレックスに顔を向けると、ふたりもまた、途方にくれた様子でを見ていた。
 ……えーと。
「じゃ、じゃあ、とりあえずちょっと行ってくるね?」
 結局どうしたかというと、は、家庭教師コンビを伴って、船室をあとにしたのであった。
 アリーゼが、ちっちゃく手を振ってくれていたのが、唯一の救いではあったかもしれない。


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