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【港街を走りぬけ】

- 初めての×× -



 で、それで話がすめば、世の中はもうちょっとストレートに動いていたのではなかろうか。
 少なくともに関しては、ここ一年とちょっと、物事がスムーズに流れた覚えが本人にはない。
 そしてそれは、時代がン十年ズレてようと、パブロフのわんちゃんのよーに変わらない事実になりつつあるらしい。

 カフェでの片づけを手伝い、お詫びとしてテーブルクロスの交換まで終えたころには、ある程度時間が経過していた。
 それでも、今日一日は暇決定のにとってたいしたロスではない。
 むしろ、ある程度の時間つぶしが出来たことに感謝しつつ、はカフェをあとにした。
 ――のと同時。
「おい!」
 元気な、いかにもわんぱく盛りといった感じの少年の声が、背後で発生。
 当然には聞き覚えなどなく、故に、どっかのお子様が仲間を呼んでいるのかと思ったものだが。
 だもんで、そのまま、またあてどなく歩き出そうとしたものなのだが。
 そうは問屋が卸さなかった。
「おい! あんただよあんた! そこの赤い髪と白い服!」
「…………」
 駆け寄ってくる足音がして、さっきより間近でその声はした。
 ふと自分の格好を見下ろし、は首を傾げる。
 たしかに色的には少年のことばのとおりだが、そもそも、そんな声の主に覚えはない。
 二度目も無視して歩き出そうとしたところ――とうとう、声の主が行動に出た。
「だからあんた! オレたちの家庭教師だろーが!」
 その叫びと同時。
 背後に迫る気配を感じて、は横に二歩ステップ。
「うわぁっ!?」
 タックルをしかけてきた声の主――予想どおり少年だった――が、そのまま前に突っ込んで、地面にスライディング。ありゃ痛い。
 ……にしても。
 そこまでしようとしてたってことは、やっぱり、呼びかけてたのはあたしにですか?
 首をひねって考えて、とりあえず、少年を助け起こす。
 ――と、手荒くその手が払われた。
「あんたなぁ! サローネと話があるっつって、何こんなところまで来てるんだよ! もう船が出るんだぞ!!」
「は?」
「は、じゃない! わざわざオレが迎えにきてやったんだよ! いいから行くぞ!!」
「え、ちょ、ちょっと!?」
 突然の少年の主張、またその思いもよらない内容に、何の備えもしていなかったの頭は真っ白けになった。
 力任せに腕を引っ張られるまま、少年について走り出す。
 え、えーとえーと。
 家庭教師って、なんかどっかで、っていうかたった今聞いたような。
 機械的に足を前後に動かしながら、は懸命に頭を回転させた。
 とはいえ、パニクってる脳みそが順序良く情報を吐き出してくれるかというと、これがまたしっちゃかめっちゃか。
「早く早く!!」
 急かす少年のことばも混じり、もはや、頭のなかはうずまきぐるぐる、お花畑がらりぱっぱー。
 元々、カフェ自体がそう港から離れていなかったこともあって、少年とはさして時間もかけずに港――船へ辿り着いた。
「あー!」
 そこでようやく、は急ブレーキ。
 つんのめりかけた少年が、こちらはすさまじく険悪な顔でを見上げる。
「なんだよ!」
「違う! あたしそれと違――」
 たしかに赤と白だけど、君の云う家庭教師って云うのはたぶん

 ボ――――

 の声をかき消して、目の前の船が汽笛を鳴らした。
 とたん、足を止めていた少年が再び、を引っ張って走り出す。
「後でいいだろ! 行くぞ!!」
「ちょ、ちょっと待ってお願いだから人の話を」
 聞いて、ということばは、

 ボ――――

 またしても汽笛で遮られた。
 おいこら水夫。狙ってやってるんじゃないだろうな!?
 怒涛の勢いで駆け込む少年の顔を、乗船券チェック中の係員は覚えていたらしい。
「ご兄弟様たちは、あちらでお待ちですよ」
「そうか!」
 そんな少年に連れられたも、なにやらノーチェックでスルーされた。
 ひ、引き止めてください……!
 などという願いも空しく、はひたすら腕を引かれ、少年の後についてただ走る。
 一度でいいから冷静に頭を冷やす暇があれば、腕を振り払ってユーターン、などという手段が講じれたかもしれないが、もはや彼女の脳みそはお花畑どころかひまわり畑にフクロウが飛んでいるという、わけのわからない状態になっていたのであった。
 そもそも、もう船に乗ってるんだから走らなくてもいい、という事実に気づかなかったあたり、少年もも、かなりテンションが上がっていたといえよう。
 そうして。
「待たせたな! つれてきたぞ!」
 と、音高く少年が船室の扉を開け放ったときには。

「え?」
「あら?」
「どなたですの?」

 ……という、お子様3名のおことばと。

「――――へっ!?」
さん!?」

 ……という、ついさっき別れたばかりの家庭教師2名のおことばが、待ち受けていたのであった。

 ボ――――

 ぽかんと立ち尽くす少年と、もはや気力の尽き果てたの耳に、のどかな汽笛が鳴り響く。
 ……ゆらり、
 足元が揺れた。

 船がとうとう、港を離れて出港したのである。


 ……ねえ、ルヴァイド様、イオス。怒らないで聞いてください。
 あたしとうとう、無賃乗船なんて犯罪をかましてしまいました――


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