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【旧王国VS帝国?】

- レッツバトル -



 勘弁してくれ、というのが、実に正直なの感想である。
 護人たちが引きこもり、こちら側もこれといった行動に出れぬまま、慢性的にそれまでの日々を繰り返して、数日。
 はっきり云って、こいつの存在など今の今まで忘れてた。
 喚起の門とか島と護人のしがらみとか、そういうことばかりで頭がいっぱいで、理由不明の因縁つけてきた刺青男のことなんか、きれいさっぱり消えていたのだ。
 だというのに、なんで、それと、今ごろ遭遇せにゃならんのか。
 しかも、お互いひとりきり。
 なんというか、絶好のバトルチャンス? ただし、ビジュにとっての。
 気分転換に散歩に出たのが悪いのか、この道を選んだのが悪いのか、――そんなわけはない。これは、単なる、悪意に満ちた偶然でしかない。
 ああ、と、ため息ついでに額に押し当てた手のひらの向こうでは、ビジュが剣に手をかけていた。
「ヒッヒッヒ、ここで逢ったが百年目。今日という今日は見逃しゃしねえぞ!」
 やけに時代がかった台詞とともに、刺青男は地を蹴った。
「毎度撤退してんのはそっちでしょうが!」
 背を向けるのは、性に合わない。
 故にのとった行動は、やはり、剣を抜いて迎え撃つという、潔さに溢れかえったものだった。

 ギン! ――葉ずれの音をかき消して、剣戟の音が響き渡る。

 下草を踏みしだき、土を蹴り飛ばし、立ち位置を幾度も入れ替えて、帝国軍人と元旧王国の軍人は、刃を交えた。
 だが、にとって最大ともいうべき剣の目標は、養い親であるルヴァイドだ。
 彼の一撃は、ビジュより遥かに重く、速く、そして鋭い。
 あの戦いの折に得た勝利は、それこそ状況がもたらした一度きりのまぐれだ。
 ――常に前にある、その背中にこそ。辿り着きたい、そして、追い越したい。

 養い親。
 家族。
 そんなのより、何より。
 彼は、の目指すひとつ。

 だから、彼より腕の劣る、こんな奴なんかに負けてられない。

 意地でもあり誇りでもある気持ちとともに振るう剣は、徐々にビジュを追い詰める。
「チッ……」
 剣だけでは分が悪いと悟ったか、彼は足を蹴り上げた。
 鳩尾狙いのそれを避けるため、はその場でたたらを踏む。
 追撃の阻止に成功した相手は、そのまま、大きく後退。稼いだ距離と時間は、おそらく詠唱のためだ。
 少し呆れた。
 毎度変わらぬその戦闘パターン、最後は召喚術に頼ろうという彼の思考。
 非難するつもりなどないけれど――
「……それが」、
 傾ぎかけた体勢のまま、足に力を入れ地面を蹴った。
「甘い、のよ……!」
 牽制のために振るわれる刃を無視して、さらに踏み込む。目標を見失った刃は、の左肩を裂いただけで終わった。
 走る痛みは、耐えられないほどじゃない。
 これ以上に強く、冷たい、痛みを。かつて、この身は経験している。
 眼前に迫る、見開かれた相手の目。映るのは、赤い髪を翻して迫る少女の姿。宿るのは、驚愕と動揺。
 何を、驚く。
 自分か相手がそうなるのは、最初から判ってることだろうに。
「そっちからケンカ売っといて! 負けそうだからって、びびるんじゃないっ!」
 剣を逆手に持ち直しながら、は怒鳴る。
 そのまま、空いた側の手を刃に添えて、柄を相手の顎に叩き込んだ。

 鈍い打撃音を最後に、森に響くのは、再度、枝葉が風に吹かれる音だけになる。
 否、その合間に荒い息がふたりぶん。
「……がッ、ぐふ」
 容赦なしの一撃に、顎を押さえてのたうちまわるビジュを見下ろして、は小さく肩を落とした。そのついでに、懐の布で傷口を縛る。ほどなく止血できるだろう。
「――すみません」
「ぐ……ッ、あぁ?」
「八つ当たりだ、これじゃ。……すみません。それだけは謝ります」
 剣呑に見上げてくる、自分より身体の大きな男の視線――だが、別段恐ろしいとも思わない。
 例えば、バノッサに比べれば。
 例えば、レイムに比べれば。
 彼の持つ憤りは、まだ、誰かの踏み入る余地がある。そう、思ってしまうのだ。
 ……そして。
 たぶんそれは、事実で――現実。
「…………、何なんだ、テメエは」
 痛みのひいてきたらしい顎をさすりつつ云うビジュの眼からは、とりあえずや一応が頭につくかもしれないが、戦意は消えてくれていた。
 別のものは、あったけれど。
「旧王国の人間だろうが! なんでそんな目でオレを見る!!」
 どんな目だよ。
 反射的にそう返しかけたが、答えはなんとなく見えていた。
 彼のような人間にとって、一番いやなのは、同情とか哀れみとか、そういう類の視線だろう。としてはすまない気持ちが前面にあったのだが、類似していると云われればそれまでだ。
「畜生が……!」
 唸りながら、ビジュは、地につけていた膝を持ち上げた。脳震盪を起こしてもおかしくなかったはずだが、そこはさすがに軍人か。
 だが、平衡感覚はどこか飛んでるらしい。
 足元はおぼつかないし、視線も、いまいち焦点があってない。
「テメエらは、いつも、いつも、いつも……!」
 踏み出した足にも力はない。
 向かってくる拳さえ、受け止めるのは容易だった。
「畜生がッ!!」
 半身ひねられた身体、狙いはおそらく横回しの蹴り。それが来る前に、こちらから蹴り飛ばす。
 鳩尾に入った靴底からは、たしかな手応え。
 細身とはいえ、ビジュとて男性だ。それが女如きの蹴りですっ飛ぶ光景など、部下には見せられまい。彼はひとりで巡回してたらしく、周囲にそのような存在はいないようだ。
 彼にとって、それが幸いなのかどうかは知らない。
 にとっては、
「……何を」、
 口を割らせるいい機会なのだが――
「したっていうのよ、旧王国が!」
 掴みかかってくる男は、素手。
 反射的に剣を鞘に突っ込み、空いた両手でその腕を掴んだ。
 激昂しきった男は、あっさりとにそれを許す。「あ?」と、間の抜けた声を彼が発すると同時、身体を反転。
「でえぇぇいッ!!」
 ――腕の痛みもどっちらけ、渾身の一本背負い(モドキ)が炸裂した。

 またしても騒々しくなったその一角は、やはり、またしても静かになった。
 呼吸を荒げる余裕さえないのか、カエルの潰れたような音を発しながら胸を上下させるビジュを見下ろして、は何をするでもなく佇んでいた。
 息が整えば、また、立ち上がって襲い掛かってくるだろうか。
 それなら返り討ちにすればいいだけの話だし、剣でも体術でも(隙をついたとはいえ)敗北を喫したとなれば、勢いも鈍ろう。
 ならば、返り討ち自体はそう難しくもないはずだ。
 だが、今後もこれが続くとなると、精神的に辛い。とゆーかうんざりすることしきり。絶対確実。
「毎度毎度……知らないんだから訊くんだけど、旧王国があなたに何したっていうのよ」
「……ッ」
 ビジュは答えない。
 答える余裕がない、というわけでもないようだが。
 と、思いきや。
「白々しいこと云うんじゃねえ……ッ!」
 まだ荒い息の下、懸命に、怒鳴ろうとしてかなわぬ声でそう云った。
「テメエらのっ! 捕虜相手の方針、だろうが! あの拷問は……!」
「――拷問?」
 ぴくり、と、片方の眉が跳ね上がる。
 表情に浮かべていた呆れを消し去り、は、ビジュの傍らに膝をついた。
「とぼけ……ッ」
「とぼけてない。旧王国のどこの部隊がやったの? 部隊長の名前と所属、あと階級は?」
「……」
 憎々しげに歪んでいたビジュの目が、そこで、初めて丸くなる。
「デグレアはもう無理だけど、本国の部隊なら現存してるかもしれないし。……判らないなら部隊のつけてた軍章の特徴とか、そんなのでもいいんだけど」
「何する気だ……?」
 いぶかしげな問いかけ。視線には疑問符。
 答えるべく、口を開いた。
「責任者しばき倒ス」
 そう告げて、「……生きてたらだけど」と、付け加える。
 今のこの時間が、自分の生きていた時間より二十年近くの時を遡った時代だということを思い出したのだ。
 そうして。
 はそんなふうに、しごく真面目に提案したというのに、それを聞いたビジュはというと、「はっ」と、鼻で笑い飛ばしてくれやがった。
「懐柔しようってか? 出来もしねぇこと云うんじゃねえ! テメエみたいな平が、本国の軍機密を見れるわけがねえだろうが!」
「……たしかに平だけどねー。しかも聖王国に移住してるんだけどもねー」
 ははは、と、乾いた笑いを浮かべて応じる
 平は平でも、その養い親が一個都市における軍隊の指揮権を任されていた総大将。彼に当たれば、軍章の大雑把な概要からでも、だいたいの見当をつけてくれるはずだ。
 軍人たるもの、最低限、同国軍の規模・指揮系統は頭に叩き込んでおけ、と、毎年毎年更新される国家発行の軍簿を見せてくれてたし。
 それに、一度構築された軍隊が、そうあっさり消滅することは稀だ。それこそ、戦闘で壊滅的なダメージを受けない限り。仮にそうして他の軍に吸収されたりしても、なんらかの形で、元の軍があったことは残るはず。
「じゃあ」、
 とかいう事情をまさかばらすわけにもいかず、さりとて一本押しも出来まい。
 即座にそれを思いついたのは、にとって会心の出来だった。
「二十年くらいかけて出世するから、そしたら探して乗り込んでしばき倒してくるっていうのは。それなら出来ない話じゃないでしょ」
「……」
 ビジュの目が、ますます丸くなる。
 一秒。
 二秒。
 三秒後。
「アホかテメエはッ!? ――ぐっ、ぐほっ、げほっ」
 怒鳴った彼は、急激に酷使した喉に反乱を起こされた。
 指さして笑ってやろうかと思ったが、それをやると、ビジュがまたブチ切れるのは目に見えていたため、大人しく待つことしばし。
 ひとしきり咳き込んだあと、ビジュは、のろのろと身体を起こし、
「……アホだろ、テメエ」
 実に、疲れた顔してそう仰った。
 その諦めきった顔、どこかで見たことあるなー、と、そんなことを考えたは、すぐ「あ」と手のひらを打ち合わせる。
 ――バノッサさんに似てるんだ。と。
 サイジェントでもゼラムでもいい、何度かと問答交わした彼が、最後には折れて、そんなふうな顔してた。
「……あははは」
「何がおかしいッ!」
「あははははははー」
 掠れた声で怒鳴られても、怖くもなんともない。
 しかも、完全に気が抜けちゃったのか、ビジュは、近くに落っことしたままの剣を、拾って攻撃しようという頭も働いてないようだ。
 それをいいことに、は、こみあげる笑いの衝動そのままに、腹をかかえつづけたのだった。


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