「あははははっ……あれだけ手痛い目に遭わされたっていうのに、相変わらず君たちは仲良しこよしが大好きだね?」
軽やかな笑い声、揶揄も露な台詞とももに、拍手の主が姿を見せる。一同の佇む広間の横手、おそらく別の道を通って通じているのだろう入口に、彼は佇んでいた。
いや、彼というよりは、彼ら。
拍手の主の後方には、数でいうなら一個中隊ほどの人数の気配がある。隠密は得意ではないのだろう、それとも、もともと隠す気などないのか。
「……イスラ!」
剣呑なヤッファの声に、
「と、その他大勢!」
我慢できなくなっては重ねた。
途端突き刺さる厳しい視線。……だって、緊迫した空気が続くと、人間、何かしら緩衝材が欲しくなるものではございませんこと?
ちなみに、厳しい視線は拍手の主ことイスラの背後からがいっとう強い。当たり前だ、一応栄えある帝国兵が、その他大勢呼ばわりもされりゃ。
唯一そんな視線を向けなかったのは、イスラだった。
彼は笑みを浮かべたまま目を丸くする、という器用な表情をつくり、直後に「あははっ」と破顔する。
「すごいな、。事態を判ってないの? ――それとも、本当に大物?」
「……個人的には、大物でなくていい、バカでいい、平々凡々な人生であればいいと切に願ってる」
半眼になりつつ答えたところ、イスラはまたしても目を丸くした。
「どこが?」
「判ってるから云わないで。それより剣返せ」
「嫌」
睨み付けてもどこ吹く風よ、さらりと答えたイスラが抜いた剣は、だが、あの白い剣ではない。
「ちょっと待て。なんで、てめえらがここにいるんだ?」
「偵察してたのさ。気づかなかったの?」
構えを取りつつ尋ねるカイルの剣呑な声に、彼は僅かに肩をすくめる。
「漁夫の利を狙ったってわけかしら」
「そうとってくれてもいいよ。――まあ、先にそっちが共倒れになってくれてれば、こっちとしても助かったんだけど……そうそう、うまくはいかないか?」
「いってたまるか!!」
眉をしかめたスカーレルをさらに挑発しようというのか、わざとらしく視線を動かしたイスラに、ナップが怒鳴り返した。イスラの視線から庇おうというのか、レックスたちの前に身体を移動させながら。
ちりちり、空気が肌を騒がせる。
一触即発の雰囲気は、とっくに出来上がろうとしていた。
後は誰かが一点を突付けば、そこで戦いは始まるだろう。だが、それはこちら側ではない。消耗している人間が多い以上、無理矢理戦いに持ち込むのは避けたいところだが――
それは、あちら側の問屋が卸さないだろう。
「うん。でも、おかげでいろいろ勉強させてもらえたよ」
にっこり微笑んで、イスラが続けた。
「この遺跡を押さえれば、それだけでこの島のすべてが手に入る……って。こんなオイシイ情報、放ってはおけないよね?」
「そんな真似、させるかよ……」
歯ぎしりしつつ、ヤッファが立ち上がった。まだ頭を押さえているということは、頭痛が終わってないんだろうか。
それはアルディラも同じらしく、何かを恐れるかのように、己の身体を抱いている。
会話の合間にざっと全体を見渡したは、戦力になりそうなひとを振り分けてみた。
レックス、アティ――疲労困憊
ナップ、ウィル、ベルフラウ、アリーゼ――疲労困憊
カイル、ソノラ、スカーレル、ヤード――問題なさそう
ヤッファ、アルディラ、ファリエル――無理させたら危なさそう
フレイズ――問題なさそう
キュウマ――どうするよこの人
「……」
戦えそうなのは自分含め十人弱。対して、あちらさまはその倍近く。
ナップたちが、どうにかしてアールたちを出してくれれば、数の上だけなら大体張り合える程度にはなるか……?
「……イスラ。アズリアは?」
同じことを考えたのはどうかは判らないが、場を見渡していたレックスが、怪訝そうに尋ねた。
とたん、イスラは眉を寄せて、
「あの人は関係ないだろ」
――と、けんもほろろにそれだけ告げ、剣をこちらに突きつける。
「剣――と、遺跡を渡すつもりは、当然ないよね? ――それじゃ、早くしなよ。でないとこちらから行くよ」
あからさまな挑発が、合図だったのか。イスラの背後にいた帝国兵たちが、ばらばらと散り、あっという間に陣形を組む。
その統率された行動、配置の素早さには、さすが訓練の賜物、と感嘆するしかないのが本音。
対するこちらは、今にもへたりこみそうなのが半数を占めているというのに。
「……レックスさん。アティさん。走れますか?」
「え……?」
「ヤッファさんとアルディラさん。ファリエルさんも。遺跡から駆け出すまでは保ちます?」
「?」
唐突な問いに、何人かが目を丸くした。
が、意図を察したらしいカイルが、そこで大きく頷いた。子供たちを振り返る。
「おい。先生たちを任せてだいじょうぶだな?」
「え?」
「寝ぼけてないで。来た道は覚えてるわね? あいつらの戦力はあれで全部だと思うから、戦闘の心配はしなくていいわ」
同じく振り返り、スカーレルが続けた。
懐に手を当てながら、ヤードもまた、彼らの意図を悟ったようだ。
「出来る限り遠くへ。集いの泉かラトリクスが近いでしょう」
「退いたあとにちょっかい出す余力も出させないくらい、叩きのめして行くからさ。こっちは任せなよ」
「そ、そんなこと!」
たぶんそう云うだろうとは思っていたが、レックスとアティが顔色を変えて前に出た。
「たちだけで戦うつもりなのか? そんなの無茶だ!」
「センセたちが出るのだって、もっと無茶よ」
早く行け、と手を振りながら、スカーレルが云った。が、そこで諦めるようなふたりじゃない。
「わたしたちならだいじょうぶです、戦えます……!」
「そうだよ! 元々、俺たちが――」
途端。
云い募ろうとしたふたりの声を遮るように、――銃声。
白煙をあげる銃口をおろした兵士の後ろで、イスラが、鬱陶しそうにこちらを眺めていた。
「どうでもいいじゃない。どうせ、全員ここで死ぬんだから」
行け、と。
わざとらしく緩慢に持ち上げられた腕が、勢いをつけて下ろされる。
――ダダダッ、幾つもの靴底が床を叩く不協和音。
それに混じって、先発である銃使いが己の獲物から火を吹かす。
「チッ!」
真っ直ぐに飛んでくる銃弾から、どうにか身を躱し、カイルが前に出た。
「ソノラ! スカーレル! 行くぞ!」
「判ってるわ!」
「任せて!」
そうして、ソノラの放った弾丸が、ひとりの銃使いの肩を打ち抜く。
だが、そのすぐ後ろに配置されていた別の銃使いが動いた。もともと、連続で放つ予定だったのだろうか。だがそれを変え、引き金にかかったソノラの指が力を抜いた一瞬を狙った銃口が、真っ直ぐに彼女を狙う。
身体を強張らせるソノラ。だが、その横を、一条の矢が通り過ぎた。
「が……ッ!?」
うめいたのは、銃を放とうとしていた帝国兵のほう。
振り返ったソノラの目に映ったのは、二本目の矢を弓につがえたベルフラウの姿だった。
「ベル――」
「援護くらいなら出来ますわ! 無茶はいたしません!」
礼を云う暇があるなら前を見ろ、と、言外のそれに押され、ソノラは一度だけ瞬きを返して、ひねっていた首を元に戻す。
その頃には、こちらとあちらの近接戦組がぶつかっていた。
「オレを止めたきゃ、ギャレオの旦那くらい出してみやがれ!!」
剣をかいくぐり、拳を揮いながらカイルが叫ぶ。――アズリアが出ていないのだから、彼もいないのは当然なのだが。
それでも、ギャレオの膂力はここに出てきた兵士たちもよく知るところらしい。カイルのことばと、一撃で数メートル吹っ飛ぶ仲間の姿を目にして、少し及び腰だ。
「ごめんなさいね? アタシ、もう少し色気のあるほうが好きだわ」
見事に相手の隙をついたスカーレル、兵士にとってはそのほうがありがたかろうことを口にして、あっさりと腕の腱を絶っている。
ソノラは近接戦の行われる場から後ろへさがると、カイルたちにちょっかいを出そうとしている銃兵に狙いを定めた。
先ほど矢を放ったベルフラウの傍らには、アリーゼとヤード。手にした召喚石は、おそらくサプレスに通じるもの。回復の用意だと思って間違いあるまい。
ナップとウィルが、彼女らを守るように前に出ている。
離れすぎない位置には、前衛後衛で組んだと思われるヤッファとアルディラ。……消耗の大きいファリエルは、まだ後方だ。故に、その前方にはフレイズが陣取っている。元気なんだから前に出て欲しいんですけど。
そうして、そこには、レックスとアティもいた。自由にならない身体を悔しそうに見ながら、はらはらと戦況を見守っている。つくづく、守られるだけというのは性に合わないひとたちらしい。
けど、今ばかりは無理して出てこられても困るのだ。
ふたりの疲労は目にも明らか、状況が状況でなければ、このまま倒れこんでおかしくないほどなのだから。
……だから。思い出すな。
剣を振るって前進しつつ、は祈る。たぶん、他の皆も祈ってる。
……思い出すな。
……使ったりするな。
碧の賢帝を。抜いたりは、するな。
抜剣による消耗のリセットを、今、このときだけは思い出すな――
「あ」
視界の端に灰色の髪が映り、はそちらを振り返る。
「キュウマさん」
「……このような者たちに、遺跡を明け渡すわけにはいきません」
苦い表情で告げた彼は、だが、直後に目を丸くすることになる。
「そっか」
なにしろ、彼としては、「今さら何を云っている」的表情や罵声を予想してたのだ。なのに、相手の反応はそれと180度、趣を異にしていたから。
「じゃ、頑張りましょう」
余裕があれば、キュウマの背中を、ぽん、と叩きそうな笑顔で、彼女はそう云った。
その直後、表情を一転。強張らせる。
キュウマが何を問う暇もなく、ばっ、と、背後を振り返った。
ぞわり。ざわざわ。
――その瞬間に身体を這いまわったのは、もはや悪寒としか呼べぬ感覚だった。
振り返った視界に入る光景を半ば予想して、それ以上にそうなるなと願って、けれども、予想は的中していた。
「レックス! アティ!!」
強い非難を込めた声は、果たしてふたりに届いていたのか。
迸る碧の光と、その余波で吹きつける、衝撃波めいた風の轟音。確認するまでもなく、届いたわけもないことははっきりしている。
だが、一様にふたりだけを非難することは出来ないということも、振り返ってすぐ把握してしまう。
やはり消耗の大きかったヤッファとアルディラを、こちらの前衛を避ける形で移動した帝国兵が数人、狙い撃ちにしようとしていたのだ。後方にいたレックスとアティには、それがよく見えたことだろう。
そして。呼びかけ以上の非難を出来なかった理由は、もうひとつ。
「――う……うわ」
呻いて、は、ぐらつきかけた身体を立てなおす。大きな隙でもあったが、帝国兵たちは光とともに顕現するだろう白いふたりを恐れてか、意識はあちらに釘付け、行動も鈍くなっている。
はそれを幸いに、額に手を当てて軽く頭を振った。
「……通るな……」
ぎ、と、歯を噛みしめてつぶやいたことばは、誰にも届かない。
届いたとするなら――さっき感じた悪寒そのままに、道をこじ開けて辿ろうとする何ものかには、だろう。もっとも、届いたとして素直に聞くわけがないことは、ぎちぎち、ねじりこんでくる力を見てもはっきりしているのだが。
――力が欲しいか
囁き。
道をこじ開けようとしながら、それは、に語りかける。
――無力故に求めよ
――すべてを凌駕する力を
――道を持つ汝もまた、僅かながら我を継承する資格を……
「……やかましいッ!!」
誰もが、レックスとアティに集中している。
白い姿へと変貌し、帝国兵たちを叩き落としていく抜剣者の姿に、その場の誰もが目を奪われていた。
強い、だけど小さなの叫びは、場のすべてに届くことはない。
「ふざけるな、あたしはそんなもの要らない!」
――強がるな、無力な人間よ
――その道は世界に通じぬ。通じるは、この
「ごたくは、――いいから、黙れ……!」
乱暴に振った頭のなかから、何かが、すぅっと退いていく。
そのころには、兵士たちの戦意を奪い尽くしたレックスとアティが、白い変貌を終え、駆け寄ったカイルたちに支えられていた。
「……へえ」
感心したような声は、一連の戦いを眺めていたイスラ。抜き身の剣を手にしたままではあるけれど、その刃はきれいなままだ。今回は、指示を出すだけに留めたらしい。
帝国兵たちを一巡したイスラの視線は、そのあと真っ直ぐに、レックスとアティに向けられていた。
「源が近いせいかな? 引き出される剣の力が、これまで以上に増してるね」
「――――」
「もっとも、その分、かかってくる負担も激しいようだけど……」
揶揄の響きを持つ声が聞こえたのだろう。だが、イスラを見上げるレックスもアティも、荒い息を繰り返すばかりで、ことばを発する余力さえ残っていないようだった。
そんなふたりを興味なさそうに一瞥し、イスラは――剣をおさめた。
「え」
「ちょっと軽率だったかな。偵察だけのつもりだったんだけど」
などと云うわりに、ちっとも反省してない表情でそれだけ告げて、彼は、周囲の帝国兵たちに指示を出す。
「撤退だ。この情報だけでも充分だからね」
安堵と口惜しさの混じったカイルたちの視線を受け流し、彼らは次々と踵を返す。
だが、そこでじっとしてない輩もいるものである。
「ちょ、こら……剣返しなさいってば!」
惜しげも無く身を翻したイスラの背中めがけて、は床を蹴る。
「!」
非難めいた声が後方からあがった。
振り返った兵士たちの何人かが、とっさに剣を抜こうとするが、その間をかいくぐって、黒髪の背中に手を伸ばす。
そのために立ち止まったを、横手の兵士が斬り捨てようと剣を振りかぶった。
「――――!!」
声にならぬ悲鳴は、後ろの誰か。
「やめろ!」
強い制止は、前方の――イスラ。
びくり、と身を震わせて、兵士が剣ごと退いた。
目だけでこちらを見ていたイスラが、ゆっくりと振り返る。浮かべた表情は苦笑。しょうがないな、と、言外ににおわせて、彼はへ一歩だけ踏み出した。
――片手を剣の柄にかけて。
「!」
とっさに飛び退く。
その分できた空間を、白刃が薙いだ。
「イスラ!」
「深追い厳禁。死にたくないなら、近寄らないこと」
幼い子供に云い聞かせるようにそれだけ告げて、イスラは身を翻した。
「イスラ!!」
怒鳴って追いかけようとするの前に、兵士たちが壁をつくる。
さっきの制止が効いているのだろう、武器を向けようとする者も捕えようとする者もいないが、男性が群れになった場合の腕力に、対抗出来る腕力などにはない。
それでもなお、前に進むべくあがくを、イスラは一度だけ振り返った。笑みもなく、表情もなく、深々とした何かを、その眼に抱いて。
「……は?」
そうして、唇の動きだけで彼は告げた。
一言一句、おそらくだが、正確に読み取ったは、きょとんと目を瞬かせる。直後、その隙を兵士につかれて突き飛ばされた。
「わわ!」
「!」
大きく後退したの身体を、後ろから駆けてきた誰かが受け止めた。そのまま、力任せに引っ張って後退する。
頭の上で揺れる金色の髪の主が、なにやら盛大に怒る声。
訪れた場所から、ひとり、またひとりと姿を消していく帝国兵。
そのどれもが、耳を通り目に映ってはいたけれど、理解する部分にまでは至らなかった。
――結局。
カイルに拳骨くらわされるまで、は、イスラの置いていったつぶやきを頭のなかでぐるぐると反芻させていたのである。