「アルディラ! てめえっ!!」
ヤッファの怒声に、レックスたちの無事を喜んでいた一同がこちらを振り返った。
振り返って、彼らもまた、息を飲む。
そりゃそうだ。
平坦だった床からいきなり武器が、しかも強力そうなのが出てきてて、驚かないほうが変だろう。
けれど、その武器は動かない。
「……いや」
武器に手を触れたアルディラが、不意に、頭を抑えて上身をかがめたからだ。
「いや……いやっ!!」
片手を砲台に。片手を頭に。
不自然な体勢で、彼女はかぶりを振り出した。ゆるやかに背を流れていた淡い色の髪が、見る間に乱れていく。
「ア……アルディラさん……?」
「――ッ」
呆然とつぶやいたのは、果たして、誰だったろう。
それを誰かが悟る前に、だが、今度はヤッファが蹲った。やはり、同じように頭を抱えて。
「ちょっと、どうしたのよ!?」
レックスに肩を貸しているカイル、アティを抱き上げたスカーレルよりは遥かに身軽なソノラが、床を蹴って、手近にいたアルディラに駆け寄ろうとした。
が、それはアルディラ自身によって拒否される。
「来ないで!」
苦しそうに表情を歪めて、だが、彼女は真っ直ぐにソノラを振り返る。
それから――何かを請うように。無機質な、遺跡の天井を見上げた。
「……もう、やめて……お願いだから……!」
まるで、小さな子供のような。泣き出しそうな顔で。
願うように。
祈るように。
――すがる、ように?
だけど。
その声に、表情に反して。
アルディラの手は、砲台の上をすべる。
「待っ……!」
何人かが動いた。
理由は判らぬまま、だが、このままでは砲台が稼動することだけは察して。
砲台の焦点は、正面――蹲るヤッファに向けられている。ましてあの大きさ。命中すれば、おそらく命はない。それに、彼だけで済むはずがない。
床を叩く足音が、同時に複数生まれた。
「召鬼……」
低い声が、一拍遅れで響く。
「――爆炎!!」
キュウマの結んだ印を中心に、爆発めいた炎の帯が発生する。さっきのように、なんらかの形を得るでもなく出現した炎は、砲台に迫ろうとした者たちを阻むように展開し、その衝撃で全員を吹き飛ばす。
どどどっ、と、人の身体が硬いものに叩きつけられる音が、連続して響いた。
「キュウマ……!」
非難も強く叫びながら、だが、アルディラの手は止まらない。
幾つかのパネルのようなものの上をすべり、何かの順序で叩くたびに、砲台のそこかしこが光を発し始めていた。
鬼忍は何も云わず、その有り様を見守っている。同時に、吹き飛ばした者たちが起き上がる様子を見せると、再び印を結び始めた。
幸いなのは、レックスたちのほうへはキュウマの攻撃もアルディラの(?)砲台も向いてないことか。あそこには子供たちもいる、何よりレックスとアティはかなり消耗しているはずだから。
……それ以前に。
レックスとアティを死なせるわけには、いかないのだろうけど。
怒りに任せて持ち上げかけた右腕を、だが、は左手で叩いて止める。
「くそ……」
以前ならためらいもなく用いただろうに、今はそれが出来なかった。
焔の変貌は、記憶に鮮やか。――鮮やかすぎて、おそろしい。
……そう。恐ろしい。
変わらないと思っていたはずの力、それが、瞬時にして変質した。何かの、誰かの干渉で。
白く、きれいな、あのひとの残していった、焔。
もう一度喚び出して、その変貌を目の当たりにするのが――怖かった。
「アルディラさん!」
だから、それは使わない。変質の理由を突き止めるまで。
そう決めて再び床を蹴るけれど、キュウマの放った炎が、またしても前進を阻んだ。
吹き飛ばされ、床に背中から叩きつけられる。
身体のとこどこが焦げ臭い。引火してないのが、せめての救い。
――なんて、無力。
思い知る。
自分は、ただの人間でしかないのだと。
あの焔がない今は、この身体しかないのだと。
――無力。
何かが囁く。
心が? いや。これは。
――人知を超えた何かの前に、人の力など微々たるものでしかないのだ……
これは。誰の声。
「だめ……だめ――――!!」
そうして、絶叫。
喉をも潰さんアルディラの悲鳴とともに、砲台の発射口から、高密度のエネルギーがヤッファ目掛けて発された――
刹那。
この場にいなかった、誰かの声がした。
「させません!!」
鈴を鳴らすような、可憐な声。
だが、それと同時にヤッファと砲台の間に割って入ったのは、おおよそ声に似つかわしくないフォルムの白い鎧。
「ファルゼンさん!」
今度の悲鳴は誰だったか。自分だったか。
それにかぶさって、爆音。閃光。――衝撃。
ぱぁん、と、何かが砕ける音。
「ファルゼン!」
己の眼前で起こった爆発に、床へ伏しながらヤッファが叫ぶ。
叫んで――彼は目を丸くした。
いや、ごく一部の数名を除いて、誰もがそのとき瞠目した。
蒼白い光。
やわらかな銀色の髪。
風もないのにたなびく衣装。
砕けた鎧がかき消えたあと、そこに現れた少女の姿に、誰もが意識を奪われた。
硬直。そして沈黙。
だが、それを打ち破ったのは、ほかでもないアルディラだった。
「……ファ……」
震える声で、彼女は云う。
身体はもうだいじょうぶなのだろうか、ふらふらと床に座り込みながら――彼女は、少女の名前をつぶやいていた。
「ファリ、エル……?」
呆然とした問いかけに、少女もまた、苦痛のなかに微かな笑みを浮かべて応じる。
「……義姉さん。だいじょうぶ、ですか」
「ねえさん……?」
誰かのつぶやきに混じって、ばさり、と、羽音がひとつ。
現し身を持たぬ少女を守るかのように、金色の天使が舞い下りる。
「ファルゼン様、無茶を……!」
「ごめんなさい、でも、義姉さんや皆さんが危なかったから……」
咎めるようなそれに、ファリエルは小さく肩をすくめた。けれど、そんな主従のやりとりも、長くは続かない。
鎧を失ったとはいえ、彼女が霊界の護人であることに変わりはないのだ。そして、フレイズがその副官であるという事実も、また。
「キュウマ殿」
そうして、フレイズはキュウマに歩み寄る。
どのあたりからこの場を見ていたのかは知らないが、おおよそのことは把握しているようだ。でなければ、アルディラをおいて真っ直ぐ彼には行くまい。
……フレイズの突きつける剣が、どこからとなく届く光を反射して輝いた。切っ先は、当然のようにキュウマの喉。
「お覚悟を」
「…………」
氷のようなフレイズの声に、キュウマは微動だにしない。
その眼をどこかで見たことがあるな、と、は麻痺した思考の隙間を縫うようにして考える。
そして、それはすぐに思い出せた。
ずっと前。ずっとずっと前。
デグレアに捕えられたイオスが、捕虜として牢に入っていたとき、見せた眼差しに。キュウマのそれは、よく、似ていた。
「待って」
そこに、アルディラが割って入る。脱力した身体のまま、顔だけをどうにか持ち上げて、彼女は云った。
「殺すなら……お願い、私も」
「アルディラさん!?」
悲鳴じみた幾つかの声に、彼女は首を左右に振る。
「……駄目なの。抵抗しなくてはならないのに、私……操られてしまった」
駄目なの、と、もう一度アルディラは繰り返す。
「あの声を最初に聞いたときから、私は、もう壊れていたのかもしれない。――だから、これ以上今日のようなことをする前に……」
意志を乗っ取られたことは、そんなに大きなショックだったのだろうか。それとはまた別の理由を、彼女の声はにじませているようなのだけれど……?
フレイズが、逡巡するようにキュウマとアルディラを見比べる。
そのとき、
「フレイズさん!」
「待ってください……!」
呼びかけようとしたの声は、なお強い、彼らの声に遮られた。
「……」
僅かに持ち上げた腕をそのままに、フレイズは苦い顔で背後を振り返った。正確には、カイルとスカーレルに身体を預けたままのレックスとアティを。
いつ意識を取り戻したのだろう、ともあれ、ふたりは蒼さを取り戻した二対の眼で、フレイズを正面から見つめている。
「待って……それじゃあ、何も変わりません……」
まだ荒い息の下から、精一杯声を絞り出して、アティが云う。
「レックス殿。アティ殿。判っているのですか? この者は、あなた方の魂を消そうとしたのですよ!?」
「でも、わたしたち、生きてます」
「そうしようとされたからって殺していい理由にも、そうされたからって殺されていい理由にも、ならないよ!」
少しずつ呼吸を整えながら、レックスが続けた。
「……殺すなんてだめだ。俺たちは、そんなの認められない。他に解決する方法があるかもしれないのに、命を奪い合ったり捨てたりするなんて、認めない……!」
「――――」
同じようにふたりを見ていたキュウマが、顔を背ける。
レックスとアティ、そしてキュウマとアルディラを交互に見ていたフレイズは、ため息をついて……剣をおろした。
「フレイズさん」
「あなた方がそう云うのなら、今はおさめましょう。――後々、どのような災いがまた起こるか判りませんが」
少なくとも、この場をおさめる程度には、彼も諦めてくれたようだった。まあ、ここで諦めなかったとしても、レックスとアティが最終的には粘り勝ちしたとは思われるが。
緊迫と沈黙に覆われていた全員に、ほんの僅かではあるけれど、安堵の空気が流れ始めた。
虚脱したままのアルディラを見やったヤッファが、キュウマを振り返る。
「――おまえの処罰は、おって決める。それでいいな」
「ご自由に」
表情を消し、キュウマはそれだけ応じた。
二度と今日のようなことは出来ないと、彼も承知しているのだろう。今日の失敗は、次の成功に繋がるようなものではないということも。
内心はいかほどのものか想像もつかないが、その表情が仮面のようであるだけ、声が平坦であるだけ、逆に、激情を思い知らされるようだった。
――けれど。
は、息をつく。
カイルたちも各々、胸に溜まりまくった息を吐き出して、身体の力を抜いていた。
そう。
何はともあれ、ひとまずは、ここでの騒動も終わりだろうと。
誰もが思った故の、それは当然の行動だったのだけれど――――
ぱち、ぱち、ぱち
ゆっくりとしたリズムの拍手が一同の耳を打ち、ほぐれかけた空気は再び凍りついた。