彼がそこに辿り着いたとき、ことはすでに進行していた。
普段ならもっと時間のかかる距離を、まるで何かに後押しされるように走り抜けた先――喚起の門、そしてその内部で。
彼らは。真白き姿になった彼らは、まさに、遺跡と繋がろうとしていたのだから。
『アアァァァァアアァァァァァァァァァァァアアァァァァァァァ――――――――!!!!!』
「先生っ!」
「せんせ、せんせい……っ!」
「先生――――!!」
響く絶叫。
響く悲鳴。
無機質な紋様に彩られた床を歩き、彼は、中央にある装置へと近づいた。すると、自然、その間近にいる一行も彼に気づくことになる。
「……キュウマさん!?」
最後尾にいた召喚師――ヤードが、視界の端に映った姿を確かめるべく振り返り、驚愕の混じった声をあげた。
「な、なんでアンタ、ここにいんの!?」
何をしようというのだろう、物騒にも銃を手にした少女が問う。その声も、もはや裏返ってしまっているが。
彼は、答えない。
答える必要もなかった。
だが、
「ちょうどいい、手伝ってくれ! 剣を先生たちから引っぺがす!!」
金の髪の男性の要請に、彼は、かぶりを振ることで応じた。
「……え?」
片目を髪で隠した男性が、信じられないものを見るように、露になっているほうの目を丸くした。
そんな彼らの傍らでは、真白きふたりの傍に行かんと、年端もいかぬ四人の子供たちが必死になっているのだが――いかんせん、その無駄を思わざるを得ない。
もはや意味をなさぬ叫びをあげる白いふたりの周囲にあるのは、魔力によってつくられた障壁。それも、なまなかな強度ではない。
人の手で、打ち破れるものではない。
つまり、彼らは、白いふたりに到達できない。
剣を取り上げることなど、もはや出来ないのだ。
――それを確信して。
キュウマは、口の端を持ち上げた。
そのときだ。
「ヤケクソすぱいらるあたっく・改ゃぁぁぁああぁぁぁ!!!」
キュウマの後方から走り込んできた赤い髪の少女が、彼を押しのけて床を蹴り、真白いふたりへと蹴りかかって――
ばいーん。
……見事、魔力障壁に跳ね返されていた。
べちーん。
間抜けな音を響かせて、は背中から床に叩きつけられた。
「あいたたたたたたたたたた」
勢いつけて蹴りかかったのを跳ね返されたのだから、多少緩和されてるとはいえ、その衝撃も相当なもの。
手が届きそうで届かない場所の痛みを抱え、身悶えることしばし。
「……来たれ、ピコリット」
なんだかひどく疲れた声で召喚された小天使が、きらきらとした光をに浴びせ、直後かき消える。
「はわ……生き返った……」
まだ少し痺れているが、痛みというほどでもない。
息をついて起き上がると、ヤードとスカーレルがなんともいえぬ生ぬるい笑みで、カイルとソノラが半眼で、ヤッファとアルディラがこめかみを押さえて、子供たちが非難ごうごうの視線で、に注目していた。
「……」
そんな一行を順繰りに見渡すこと、しばし。
「にゃは♪」
とある方を参考に、ごまかし笑いを浮かべてはみたものの。
『“にゃは♪”じゃねええぇぇぇぇぇえッ!!』
おそらく自分があっちの立場でもそうするだろう、そんなツッコミが、その場の全員から発された。
が、幸いにもそれ以上の追い打ちはない。
「!」
「先生が!」
子供たちの誰かが叫ぶ。
各々同じようなことを叫んでいて、どこが誰の声なのか、うまく聞き取れない。
だが、
『HあHァghァlkdhあd―――――!!』
二本の剣は、何かの装置のようなものにつきたてられていた。
不思議なことに、剣の刀身が途中で重なりあってひとつになり、その先が装置に繋がっている。当然、柄の方はふたつに分かれていて、それぞれを、レックスとアティが握って……いや。剣は彼らに繋がっている。
そうして。
苦悶に表情を歪め、人間に出せるとも思えぬ声を発するレックスとアティを見れば。云わんとしていることは、おのずと知れる。
ここで、何があったのかは判らない。
何故、こんなことになったのかは、見通せない。
ただ判るのは、レックスとアティが危ないという、ただそれだけ。
……ただ、それだけで充分だ。
右腕を持ち上げようとして、
「っ」
だが、はその場に凍りついた。
強い力は強い力で打ち消せないか。
そう思い、意図するより先に、身体は焔を喚び寄せようとしたのだけれど。
変貌した、焔。
碧から影へ、鮮やかに淀んだ。
それは、つい、さっきのことだった。
――息を飲む。
あの不快感。
あの嫌悪感。
それらにいやまして、焔の変貌。……いや、あの声。
島は閉ざされていると云った。
世界には、通じないと云った。
だとしたら、この島に来てから喚んでいたものは、もしや、すべて――
「――無駄ですよ」
その声と同じくらい冷ややかな、誰かのことばが背中から響いた。
「ッ!」
振り返る。や否や、その声の主は動いていた。
ほとんど音を立てずに床を蹴り、先ほどとは逆に、を押しのけるようにして一行の前へと。それだけではなく、魔力障壁に立ち向かおうとしていた子供たちさえも突き飛ばして。
それは、ほんの一瞬。
その場の殆どの者には、灰色と臙脂の残像しか残らなかったろう。
「先には、進ませません」
そうして。
残像の主は――キュウマは。
背に負った刀の柄に手をかけ、一行を見据えてそう云った。
「キュウマ! てめえ!!」
硬直した一行のなか、真っ先に我を取り戻したのはヤッファだった。
激昂に突き動かされるように床を蹴り、鬼妖界の護人へと踊りかかる。移動の途中で装着したのだろう、腕には、黒光りする爪が装備されていた。
「ッ!?」
またも押しのけられる形になった子供たちが、それを見て瞠目する。
それはそうだ。
島を守る護人同士が争うなど、彼らが――たちも、あのときまで――想像できようはずがなかったのだから。
だが、そんな子供たちに、そして、海賊一家に――に、アルディラに。ヤッファは叫んだ。
「早く、ふたりを剣から引き剥がせ! “書き換え”られちまったらおしまいだッ!!」
そのことばに、カイルを始め、ソノラやスカーレル、ヤード、子供たちが、再びレックスとアティめがけて走り出す。
阻止せんと足を踏み出そうとしたキュウマは、だが、ヤッファの牽制によってその場に縫い付けられる形になる。
「ヤッファ!」
鋼色の光が、の傍らから迸る。
とっさに身体を傾がせたヤッファの横を薙ぎ、一条のドリルがキュウマめがけて突進した。
が、キュウマはそれを正面から受け止める愚は犯さない。
「召鬼・爆炎!」
印と呪。
それにより、彼の正面に炎の塊が生まれた。ドリルは、それに突っ込む形になる。
炎にも、核か何かがあるのだろうか。
耳障りな音をたて、炎の四散と引き替えに、ドリルの進行は逸らされた。結果はただ、床が空しく削られるに終わる。
召喚術を放ったアルディラが、苦い顔で後退した。彼女へ攻撃の矛先が来るのを予感してのことだ。
だが、それより先に動いたヤッファの爪がキュウマを襲う。攻撃を受け止めるために、キュウマは足より先に腕を動かして刀を翻し、爪の間に割りいれる形で組み合った。
その間にも、カイルたちや子供たちが、レックスとアティの周囲に生じた魔力障壁を突き崩そうと、あらゆる攻撃を仕掛けている。生半可な手段では通じないと知り、拳や剣や銃、召喚術……彼らに出来るあらゆる攻撃が入り乱れているが、障壁はびくともしていないようだ。
『Fァlkjhf;jhおSFbォsm……』
レックスとアティ。
ふたりの放つ声は、もはや声ではない。
すでに、ただの音に成り下がろうとしている。
ふたりのなかで何が起こっているのか、知る由はない。
けれど、ヤッファのことばを信じるなら、行われているのは“書き換え”。そしておそらく、音さえ発しなくなったときが、“書き換え”の終わり。
だから、皆、焦る。
徐々に落ちる、ふたりの声のトーン。
ほころびる様子も見せぬ、ふたりを覆う魔力障壁。
キュウマがアルディラに向かってきたときのために、彼女の前に位置取りながら。もまた、気が気ではない。
視線は、キュウマとヤッファ、レックスたちとカイルたちを交互に往復しつづける。
だが、怒りに身を預けるヤッファの攻撃に、キュウマは殆どかかりきりだ。最初のうちこそ障壁に向かおうとしていた足は完全に止まり、視線もこちらを見ることはない。
目の前の障害、ヤッファを退かすことに集中しているのか。
けれど、見る限り、ふたりの実力は伯仲している。
障壁も、戦いも、このままでは硬直したまま時間が過ぎる。
過ぎれば――終わるのは、レックスとアティの“書き換え”だけということだ。
「――先生――――っ!!」