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【染め変えられた色】

- 声は響く -



 あの声は本当だったのか。
 どの声が真実だったのか。
 自分をさそった声。
 自分をいさめた声。

 同じ声は、真逆のことを、ずっと繰り返していた。

 どちらが正しかったのか。
 未だに、それは判らない。
 どちらが望んでいたことなのか。
 それだけは、判る。

 ――けれど。その望みのためには、喪わねばならぬものがあるのだ――

 森は、いつになく鬱蒼としていて、不埒な侵入者を阻んでいるようだった。
 女性の、しかもあまり運動慣れしているとは云えない彼女の足では、手間どることが最初から目に見えていたけれど。なぜだろう、予想される範囲よりも、実際計上されるロスのほうが遥かに大きい。
 計算ミスとして許容される範囲を、それは明らかに超えている。
「っ、く」
 絡み合う下草は、それだけで走行を阻害した。
 重みで垂れ下がる木々の枝は視界を塞ぎ、進行方向を惑わそうとする。
 露出した木の根には転びそうになるし、かと思えば鋭利な草に腕をかすらせ、傷みで速度が鈍る。
「……っ」
 霊界の召喚術を使えたら、癒せたかしら。
 自嘲気味にそんなことを思って、クノンを連れてこなかったことを少し悔やんだ。
 最近、ぎこちないながらも微笑んでくれる看護人形は、走り出した自分の命を忠実に守って、ラトリクスの留守居をしてくれているはずだった。最初は、そのクノンが代わりに様子を見に行くと提言してくれたことを思い出し、少し笑う。
 ダメなのだ。彼女では。
 彼女の能力、状況判断の確かさがどうの、という問題ではない。
 護人でなければ、あそこには行けない。
 根拠などなくそう思った。融機人にはあまり重要視されないはずの、直感。アルディラは、それに従って動いた。
 だから彼女はここにいる。
 草を踏みしだき、茂みをかきわけ、木々の下をくぐり――あの遺跡へと行くために。
 ……けれど。
 当の昔に辿り着いてもいい時間を過ぎて、なお、アルディラは森のなかに佇んでいた。
「焦ってるの、かしら」
 いつになく速い動悸を奏でる胸に手を当てて、アルディラはつぶやく。
 まっとうな方向感覚を失うほど、今の自分は動転しているのだろうかと。
 それも無理はない、そうは思う。

 何しろ――あれは、強烈だった。

 身体中を、まるで、水蘚のむした泥が這いまわっていったような、不快感。
 だというのに、脳天を突き抜けるようにして訪れた、喜悦感。

 その相反。
 その矛盾。

 ――――そして気づいた。

 その感覚は、同じなのだと。
 自分をさそった声が、最後に繰り広げていった暴虐の嵐。それが過ぎ去ったときのそれと、同じなのだと。

 ……ならば。
 どこに行かねばならぬか、判らぬわけがないのだ。

「――――行かなくては」

 不快感は、己の身体が覚えたもの。
 だが、喜悦はどこから来た。
 ……何をもって、喜びとするのかというのなら。アルディラにとって、その答えはひとつだけ。

 そして。おそらく、声にとっても。

 ドクン

「……喚起の、門」

 近づいてはいるのだろう。
 響く何かの鼓動が、少しずつ大きくなっている。

 ドクン ドクン

 それはまるで、歓んでいるようだ。
 何を。
 誰を。

 ――そうだ

 近づけば近づくだけ、霞のようだった声が大きくなる。
 鼓動の陰にあった声が、鼓動を打ち消すほどの大きさで、脳裏に響く。

 ――すべてを

 がさっ、と、横手の茂みが大きく揺れた。
 はや獣かと断じ、アルディラは荒い息を一瞬止め、懐の召喚石に手を伸ばす。治癒はともかく、攻撃力において機界の盟友に勝る相手はそうそういない。
 だが、それを発動させることは出来なかった。
「……アルディラ!?」
 茂みから飛び出してきたのは、白と黒の縞を身体に持つ、幻獣界集落の護人であったのだから。

 ――継承するのだ……!

 驚きに瞠目したアルディラの脳裏に、一際大きな声が響く。
「っ」
 頭を抱えようとした瞬間、同時に俯くヤッファを見て、彼女は、ああそうかと瞼を伏せた。
 そうだ。自分がこうなのだから、彼とて状況は同じはずなのだ。
 だって、自分は。そして、彼は――
「おまえも、行くのか」
 ほんの一拍早く立ち直ったヤッファが、アルディラに近寄りながら問いかける。
「ええ。あなたもなのね? なら、急ぎましょう」
 小さく頷くと、彼は何故か、驚いた顔をした。
「……いいのか? オレは阻止するために行くんだぞ」
「……いいわ」
 そう云うと、驚きがもっと前面に押し出される。
 そんな彼の様子がおかしくて、アルディラは、ほんのわずかだけれど笑みを浮かべた。
「ねえ、ヤッファ? ――私はね、昔からわりと自惚れてることがあるの」
「はあ?」
 すでに歩き出そうとしていたヤッファが、足を止めて振り返った。盛大な数の疑問符が、頭上に浮いている。
 くす、と。
 笑い声さえ零して、アルディラは云った。
 今ごろはっきり気づくなんてバカみたいだわ、と前置きして。

「どんなことがあったって、彼が彼であるのなら、私を傷つけるわけはない――あるわけが、ないのだってこと……」

 彼女は――選んだのだろうか。
 望みへと誘う声よりも、望みを留めた声を。

 ……アルディラ……!

「ぷー!!」

 優しい声が、風に乗って届く――そんな錯覚を、いや、現実だったのかもしれないが、ともあれ、アルディラの耳がその声を感知すると同時に、彼女らの後方にあった茂みが、またしても大きく揺れた。
 が、ふたりは警戒もしない。
 何故なら、その直前に響いた鳴き声で、出てくるものの正体を看破したからだ。
 生い茂る緑のなかからまず飛び出してきたのは、プニム。
 続いて、
「……来てくれたのね」
 少女の姿を認め、微笑んだアルディラは、だが、直後表情を強張らせることになる。
 幻獣界と機界の護人、ふたりの姿を認めるや否や、少女が叫んだことばのせいで。

「レックスとアティ、今、遺跡にいる……ッ!!」


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