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【染め変えられた色】

- 閉ざされた島で -



 太陽が、山の端から完全に離れた。
 白い光が一帯を照らす。かわたれの時間は終わり、今日も穏やかな晴れの一日となるだろう。実に爽やかな朝の訪れである。
 だが、
「……」
 風雷の郷はその外れ、神社の境内の一角だけは、爽やか、などという単語からわりとかけ離れた光景が展開されていた。
 地面に大の字に張り付けられたキュウマと、その横に膝を抱えて座るの姿を見た人は、いったいどんな理由を想像するだろうか。一歩間違えば妄想の域になってしまうだろうか。
 とはいえ、想像する前に、キュウマを戒めるモノを見て驚くほうが先かもしれないが。

 ――鬼忍の四肢を大地に縫い付けているのは、碧の光。かの魔剣より適格者として選ばれたふたりの揮うそれに、酷似した色の。

 うーむ、今回は別に色替えの要請もしてないんですが。
 融通が利くといっていいのだろうか、リィンバウム。

 何度目かに入れた力の無意味を悟ったキュウマを見て、は「がんばりますね」と、声をかけてみた。
 途端、無表情このうえない視線がこちらを見たため、肩をすくめる。
「……反省してますから、そんな怒らないでくださいよー」
 半ば途方に暮れつつ云って。返ってきたのは、彼にしては珍しい、盛大なため息。
「怒っているように見えますか」
「見えますけど」
「では、貴女はまだ人を見る目が足りませんね。――自分は、どちらかというと呆れているのですよ」
「う。」
 そう云われ、は膝を抱えていた腕を放すと、四つん這いになってキュウマに近寄った。……なるほど、と、彼の目を見てうなる。
 を見るキュウマの視線にあるのは突き刺すような強いものでなく、たしかに、呆れと不機嫌を足して割ったような感情だった。
「これが、なんらかの時間稼ぎのためだというのは予想がつきます。が」、
 四肢を縛る焔をちらりと見、キュウマが云う。
「……あまりにも短絡すぎる。少々の会話でボロが出そうだからと実力行使に走ったことと云い、こんなものまで出してきたことと云い」
 呆れてるって、そっちかよ。
 が時間稼ぎをする理由までは見通していないらしいが、なんで捕まえた側が捕まえられた側から、こんな諭されなきゃならんのだろうか。
 けれど、そう云われると、やはり悔しくもなろうというもの。
「だって」、
 マネマネ師匠の去っていった空を一瞥し、少しむくれる。
「キュウマさんのほうが、かけひきには慣れてるでしょう。あたしは、力技しか能がないんです」
 そのために、わざわざフレイズやファリエルに見つかる危険を冒してまで狭間の領域に寄って、マネマネ師匠に協力を仰いだのだ。自分ひとりで捕獲する自信がない、わけではなかったけれど、コトがコト。確実を期したかったから。
 ろくに理由も聞かず、ふたつ返事でもってあっさり助力してくれた師匠を、日が高くなるまで束縛しておくわけにいかない焦りもあったし。
 だが、キュウマはやはりため息をついた。
「これは、貴女の切り札でしょう」
 視線で示されたのは、未だ彼を戒める焔。
「剣がなくとも使えることを、こうもあっさり示してしまっていいのですか」
「――ふーん?」
 が、今度はがほくそえむ番だった。
「じゃあ、やっぱりみんな、剣がないと使えない、って思ってるんですね?」
「……ええ」
 逆誘導、とでもいうのか。苦々しい顔になって、キュウマが頷いた。
「レックス殿たちとて、あの力は魔剣に由来するものです。だというのに、貴女は自分の力でそんなものを……そんな人間がいるなど、普通は思いつきもしませんよ」
「でも、キュウマさんに必要なのは、魔剣と門なんですよね」
「――――」
 舞い下りる沈黙。
 キュウマが、口を閉ざしてを睨み据えたせいだ。
 その視線をゆっくりと受け止めて、唇を持ち上げる。
「キュウマさん。キュウマさんがが叶えたい願いは、なんですか?」
「云えない、と云ったら?」
 挑発するようなそれを、
「その願いっていうのは、何を壊しても成し遂げなくちゃならないことですか?」
 意図して無視し、重ねた。
 鋭かった視線に混じるのは、戸惑い。困惑。
 以前、似たような挑発を受けたヤッファは、激昂した。それは、門を復活させた場合に起こることを予想し、それを怖れたせいだろうと思う。
 けれどかなしいかな、はそれを知らない。この島の過去を知らない。
 ただ、ヤッファやファリエル、アルディラの語る幾ばくかのことから、それが大きな哀しみをもたらしたものなのだろうと予想出来るだけ。
 そうして、思うのだ。
 同じような怖れを持っているだろうキュウマが、それを押しのけてでも願うことならば……門外漢である自分が何を云っても、彼は曲げたりしないだろうと。それこそ、ミスミやスバルに知ってもらい、話し合ってもらわねばどうにもならないのだろうと。
 だから。
 それを、口にしようとした。
 でも、ことばはことばにならなかった。

 ――邪魔だ

「!?」
 ――背中が総毛立った。
 氷で首筋を撫でられたような、いや、悪意に満ちた黒いどろりとした水が、身体を蹂躙していったような。
 そんな声、いや、思念?
殿?」
 何度か聞いた、だが、初めて聞く声だ。
 こんなふうに話しかけてきた、あの声は、だが、こんなふうに嫌悪を与えるものでなどなかった。

 ドクン

 世界が騒ぐ。違う。騒ぐのはこの心。

 ドクン

 心臓が跳ね上がる。
 いつかに、どこかで、感じた衝動。
 いや、以前より遥かに強い。何故。
 考えて……答えは、すぐに出た。

 キュウマを捕えるために用いた、焔。それを持続させるために、開いていたままだった道から、それはダイレクトに伝わってきていた――

 ――邪魔だ

 ドクン

殿!?」

 四つん這いのままだった姿勢が、崩れる。倒れ込むのだけは防ぎたくて、なんとか腰を先に落として耐え凌いだ。
 が、

 ――島は閉ざされている

「――――っ」

 道を伝い、頭に直接響き渡る声。
 悪意。敵意。――殺意。――――否定。
 あらゆる負の感情を集めて目の前においたら、同じような感覚を覚えるだろう。

 ……ドクン

「……え!?」

 そして。
 焔が、まるで影絵のような漆黒に塗りつぶされる。――それはほんの一瞬。だが、強くの眼に焼きつけられた。

 ――世界になど通じぬ……!

 まるで嘲笑うかのような、思念とともに。

 焔は、その直後、砕け散る――――!

 ――その一瞬。
 目の前の現象に、が、心を奪われた一瞬に。
 彼もまた、何かから語りかけられたのだろうか。
 を案ずるように見上げていた瞳から、表情を消し、ひとつ頷くと――すでに自由を確保されていた四肢を用い、キュウマは飛び起きていた。
殿」
 呆然としたままのを見下ろし、鬼忍は――笑んだ。
 先ほどまで浮かべていた、こちらを案ずる色はすでにない。そこに在るのは、己の望みを遂げるために動かんとする、ひとりのシノビ。

「……礼を云います。あなた方には本当に、いくら感謝してもし足りない……!」

 見る者の……の身体を震わせる、凄絶な笑みでそれだけを告げると。
 キュウマは振り返ることもなく、駆け出していった。

 ……ひとり。
 境内に取り残され、は、目を見開いたまま、キュウマが縛されていた場所を見つづけていた。
 たしかに彼を拘束していた、焔。
 瞬時にして闇へと染まり変わった焔。
 ――――砕けた。焔の残滓さえ、もはやそこにはないというのに。
「……なん、で」
 つぶやいたそれさえ、自覚しているのかどうか。
 握りしめた手のひらに爪の食い込む痛み、滴る血の生ぬるささえ、感じているのかどうか。
 眼前を見ていない目に繰り返し映るのは、黒い影に転じた焔。
 声と同じに、まるで、嘲笑うかのように。
「……」
 真っ白なのは、むしろ自分の頭だ。思考のどこかがそんなふうに指摘して、その滑稽さに笑いかけ。
「っ!」
 は、自分の頭を拳で殴った。
 ごづん、と、鈍い音。
 手加減など考えずに振るわれたそれは、脳を攪拌して余りある。一瞬真っ暗になった目の前に、だが、またしてもよみがえる焔の変貌。
「――誰」
 誰かいる。
 頭のなかに、いや。今はいない。
 誰かいた。
 外からしれっと入り込んで、やはり、しれっと出て行った傍若無人。暴虐。理不尽。不自然。
 あの霊体の青年とは違う。不快感や嫌悪感など、彼には感じなかった。
 いや、いい。
 自分の感じたそれなんか、どうでもいい。

 ――焔の変質が、の意識を縛りつけていた。

 真っ白で。きれいだった、あのひとの力。
 黒々とした影に、深い――淀みに。塗りつぶされた。
 皮肉だが、それを目の当たりにして気づけぬほど、は鈍い感性の持ち主ではない。
「あれが」、
 小刻みに震えだす身体を抱いて、は、膝を曲げたまま前へ倒れ込んだ。
 頬に触れる地面の暖かさが、何故だか空虚に感じる。
「――あれ、が?」

 あれが。碧の賢帝シャルトス。

 アティを。そしてレックスを。“選んだ”魔剣――――


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