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【ざわめくものたち】

- きっと、帰る -



 油を川に流しちゃうのはどうかと思った、まず森に出て、そのへんに落ちていた枯葉で余分な油を拭い去った。それをまとめて掴み、手近な砂浜へ移動。潮水でごしごし手を洗ったあと、ようやく、海に流れ込む川を見つけてすすぎ、洗浄完了。
 それから、油を拭った葉っぱを一箇所に置いて、木の枝ぎゅるぎゅる擦り合わせて着火。証拠隠滅。油が入っているせいか、よく燃えること。
 空に昇る一条の煙を眺めながら、ひとりと一匹は、ぼけーっと砂浜に腰をおろしていた。
 ……背後から見ると、なんとなくわびしいような物悲しくなるような、そんな光景だ。
 本人たちには、ちっともそんなつもりなどないのだが。
「あー……」
「ぷー……」
「平和だよねー」
「ぷいぷーぷー」
 どさり。砂浜に背中から倒れ込むの横では、プニムがゆるやかなペースで身体を左右に揺らしている。
 太陽熱であたたまった砂は、服を通してもちょっと熱いくらい。まして、剥き出しの手足に伝わる分など、熱いの一言に尽きる。
 手首を少しひねって、そこにあった砂を掴んだ。
 すくい上げた砂は、ちょっと手のひらに力を入れると、入りきれなくなった分がさらさらと落ちていく。ぱっと開いたら、一気に落ちた。
「……だいたいさ、あのひと」
 拾った砂はすべて落ち、他のそれと混じって見分けがつかなくなる。仰向けのまま、視界の端にそれを見ながらつぶやいた。
「ぷ?」
「昨夜の幽霊。何者なんだろ、なんか変な謎かけとかしてさ……海がどうしたっていうんだか」
「ぷ」
 プニムの青い耳が、まさに眼前に存在する大海原を指し示す。
「……海。海かあ……?」
 “覚えてくれているかい?”
 彼が去る際、残していった謎のことば。くどいようだが、青春の象徴である砂浜追いかけっこはしていない。これはたしか。
 じゃあ、溺れかけて白い焔を出したときか?
 いや、カイルたちの船で港町に移動してたときか?
 それとも、ファナン――これはありえない。
「ああ、そういえば」、
 海に関連する記憶を探るうちに、笑うしかない出来事を思い出した。ヤードに逢う前、幼いアティやレックスに逢う前。突き詰めるなら、カノンの幼少時代に行き会う前だった。
 ほんの一瞬、海の上に放り出されて、あわや溺死決定かと身をすくめたことがあったのだ。落下寸前にあちらへ引き戻されたため、最悪の想像は回避されたわけだが。
「――あれって、どこの時代だったんだろ?」
 ほんの一瞬、と、気にも留めてもいなかったけれど。あの青い海、青い空。
 あれは、いつの、そして、どこの光景だったのだろう。
 目の前の景色から続いていくどこかなのか、続いてくるどこかだったのか。
 時間旅行なんて素っ頓狂なことをしてるせいなのかもしれない、以前はあまり意識しなかった時間の連なりを、なんだか、切に感じてしまう。
 ここに続く景色。
 ここから続く景色。
 それは、どんなものだったのだろう。
 それは、どんなものが見れるのだろう。

 ――遠い、遠い明日のどこかが、何かが。
 今、ここで起こる何かによって、決まる。

「…………」

 欲しい明日は、遠すぎて。
 帰りたい日は、遠すぎて。

 伸ばしたこの手が辿り着けるのか、想像することも出来ずにいる。

 隣にいるのがプニムだからだろうか。
 気が抜けて、つい、しまいこんでいたはずの地名を口にした。
「……サイジェントのときは楽だったな、ほんと」
 何しろ、挟んだ時間は一年。かつ、だいたいの話も聞いていて予備知識があったし、バルレルという心強い同行者もいた。
 それが今度は二十年近く。改めて考えると、気が遠くなるのも無理はない。
「ぷ?」
「んー」
 ぽふぽふ。
 力づけてるつもりなのか、頬をやわらかく撫でる小さな手を受け入れて、はくすくす笑っていた。
「……だいじょうぶ。うん、だいじょうぶ」
「ぷぅ」
「だいじょうぶ……あたしは、きっとあそこに帰る」
 遠い明日。
 遠い未来。
 それが、どんなに遠い時間の先であったとしても。

 ――きっと、あたしは、そこに帰る。

 つと目を閉じて、数えるは数秒。
 瞼を持ち上げると同時、は身を起こしていた。
「となると、よ」
 背中や腕、髪についた砂がぱらぱらと落ちる。適当に手で払い落としながら、そう間もおかずに立ち上がった。
「じっとしてる場合でもなし。――よし。ちょっと喚起の門にでも調査に行ってみるってのはどう?」
「ぷう?」
 あ。ジト目。
 そういえば、今日のプニムはお目付け役でありましたっけ。
 見上げてくる青い生き物を抱き上げて、つん、と頬をつついてみる。
「やだなあ、あたしが行ったからって暴走はしないでしょ? ちょっと、どういうふうになってるのかなーって見てみるだけ。ね?」
 無秩序に召喚獣を喚び出す、無節操な門。
「ましてほら、レックスさんたちのアレも、原動力は遺跡みたいだし?」
 門自体の機能にせよ、剣の使い手にもたらされる力にせよ、何の代償もなしにそれらが行えるはずもなし。どこかに、それに用いる魔力が貯蔵されてるってことだってありえるはずだ。
「だったら、ちょちょいとそれを掠めたり出来れば門も大人しくなる。勿論他に迷惑なければね。で、あたしはあたしで帰るための魔力がゲットできて嬉しい。ほら、一石二鳥」
 扱えるかどうかは別にして、と、つぶやくのは心の中だけ。
「ぷー」
 どこまでのことばを理解したかは判らないが、プニムはかくりと頭を落として、耳を一度だけ上下させた。
 了承、もしくは降参の合図。
 ありがと、とプニムを肩に乗せなおして、は喚起の門目指して歩き始めた。


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