そして十分とちょっとが過ぎた頃、勢いに任せて湖まで走ったふたりは、ついでとばかりに水を汲んで戻ってきた。
走る彼女らの後方を、タライかついで追いかけてったプニムに功労賞をあげよう。
「仕事とられちゃったなあ」
ははは、と笑うレックスに一応謝ってから、はアティを振り返る。
「ほら。どーですか、ちっとも元気ですよ」
「文法がおかしいです。減点1」
「でも、なんだって船の外で寝てたのよ?」
起きだしてきてたソノラが、実に怪訝な顔で訊いてきて。そんな彼女の頭にどっかりと肘をおいて、カイルが割り込んでくる。
「逃げ出したくなるくらい、こいつの寝相が悪かったとかか?」
昔は、オレもよく蹴り飛ばされたもんだがな、と、懐かしんでいるのかからかっているのか……きっと後者なんだろう兄の発言に、ソノラも爆発。
「アニキー! だいたいそれはね、アニキが人の腹や顔の上に足とか腕とか乗せたりしてたから息苦しかっただけだって云ったでしょ! 今はそんなんじゃないんだからね!?」
頭をわっしと押さえつけられたソノラ、カイルに殴りかかろうにも前に進めず、必死に腕を振り回している姿がなんともかわいらしい。
……って、いかんいかん。和んでどうする。
「ソノラのせいじゃないよ、カイルさん」
「ほらみろー!」
「なんだ、そうか。じゃあなんでだ? そういう趣味でもあったのか、おまえ」
「ないないないない」
妙な方向に転がりそうな話を、手をぱたぱた振って止めた。
ふと弛んだらしいカイルの手のした潜り抜け、兄に特攻してる妹はさておいて、
「プニムの用足しに出てたら、変なのが出てきて消えたの。で、また出てくるのを待ってやろうと張り込んでたら、いつの間にかアティさんに悲鳴をあげられていたと」
「変なの?」
さすが船長。
細かいところはさておいて、そこに注目してくれるか。
心なし呆れた顔でこちらを見てるスカーレルとかウィルとかベルフラウなら、張り込んでたってところにツッコミを入れるだろうが。
うむ、やはり大物は違う。
紙一重って説もあるぞ、と囁く何かをシカトして、はカイルに向き直った。
「うん。たぶん幽霊か何かだと思う。白くてふわふわして、変なこと云って消えちゃった」
一瞬迷いはしたものの、会話の内容までは話さずに、概要だけを説明する。
自身、あの青年の告げていったことばの意図がつかめないということもあるし、何より話題が例の魔剣だ。
「……幽霊ですか」
傍にきていたアリーゼが、きょとんと目を丸くしていた。怖がるかと思ったが、そういうわけではないらしい。
「うん。幽霊。向こう側透けてた気がする」
「怖くなかったのか?」
これはナップだ。全然、と、かぶりを振ってカイルに目を戻す。――と、彼はなんだか難しそうな顔してヤードを手招いていた。
「なあ、客人。なんだっけか……前に話してた、あれ。門がどうとかって」
一瞬、レックスとアティ、それにが身体を固くしたことに、周囲の人間は気づかなかったらしい。
カイルとヤードもまた然り。船長の問いに、客人は考え込むように顎に手を当てて、
「……喚起の門付近に、亡霊がいるという話ですか?」
「そうそう。それ。アルディラが云ってたってやつだ」
「なあに、カイル。まさか、その亡霊がこんなところまでやってきたって云いたいわけ?」
「散歩する亡霊……あんまり怖くないですね」
物語としては微妙なところです、と、なんだか見当外なところで嘆息するアリーゼの横、ウィルが首をかしげて、
「だけど、もしそうなら、今ごろ島中はもっと騒ぎになってるんじゃないですか?」
「オレもそう思う。幽霊島じゃあるまいしさ」
さんさんと光を注ぐ太陽を見上げて、ナップが云った。
陽光に照らし出された一帯を見る限り、とてもそんな単語が似合うような場所だとは思えないのが、一行の正直な感想だろう。数名が、同意するように頷いた。
会話の内容こそちょっと一般的ではないけれど、穏やかな朝といって全然差し支えないはずだ。
「怖くなかったということは、友好的でしたの?」
「ビ?」
ベルフラウとオニビの疑問に、は再び頷いた。
「全然。怖いどころか、なんかふわふわ笑ってた」
「浮いてたんじゃなくて?」
「あー、浮いてたけど、この場合のふわふわは、笑うにかけて」
なんともほのぼのしいやりとりに、レックスが笑い出す。
「じゃあ、また何か用があれば出てくるんじゃないかな? 逆に待ち伏せしてたから、出るに出れなくなったとか」
「そうですねえ。普通、幽霊を待ち伏せるなんてひと、いませんし」
アティのことばに、ソノラがうんうんと頷いた。
「だよね。しかもそこで夜を明かすなんて、くらいのもんだわ」
「ぷっぷぷー」
「ほら、プニムもこう云ってるわよ」
「判るんですかスカーレルさん」
の足元のプニムを持ち上げ、にっこり笑うスカーレル。ちょっぴりくさった応答をするに、彼はますます笑みを深める始末。
「この場合は、そうでしょう。ねえ?」
「ぷ!」
「うー、裏切り者」
「ぷいぷー」
ちゃんと夜は付き合ってやっただろ、と云いたげに、ちっちゃな手でメトロノームを披露したあと、プニムはスカーレルの腕から飛び下りた。
簡易トーテムポールの完成を待って、ヤードがの目の前にかがむ。
「それで、さん。体調のほうはいかがです? 辛いならちゃんと云ってくださいね?」
「ああ、それは平気です。熱もないしだるくもないし……それに、寒いところでの野宿は、わりと慣れてるんですよ」
そういう問題かよ、と頭をどつこうとするカイルの腕をさらりと抜けて、距離をとる。その動きを評価してくれた、というわけでもないんだろうが、ヤードの表情から懸念が消えた。
……いいひとだ、本当に。半ば行きずりの召喚獣のこと、こんな心配してくれるんだもんな。
だが、それで納得してくれない人が約二名。
「本当ですか?」
「今日はゆっくりしてたほうがいいじゃないかな?」
と、眉間にしわを寄せて迫る、家庭教師姉弟。
「姉弟揃って心配性ねえ」
苦笑するスカーレル。そんな暇があるならこのひとたちを説得してくれと思いつつ、はふたりに向き直る。
「ほ・ん・と・う・に・げ・ん・き・で・す!」
なんだったら宙返りも披露しますよ?
腰に手を当ててそう云って、やっと、レックスとアティも身を退いた。――まだ幾分、不安そうにではあったけど。
「あのなあ先生。のことばっかりで、自分たちはどうなんだよ」
イッツ助け舟。
「元気ですよ!」
「元気だよ?」
『本当に?』
即座に答えたふたりは、だが、子供たち、そしての合唱を受けて、「う」とうめいて後ずさった。
ほーらみろ、とナップが半眼になって、ウィルとベルフラウがダブルアタック。
「心配なのは判りますが、あまりしつこくすると逆催眠にもなるんですから、追及もほどほどにしてください」
「そんなに心配なら、今日一日の行動を、夕食のときにでも報告しあえばいいのではありませんこと? 幸い、今日は午前が学校です。その間、先生たちは私たちが見ていられますし、はプニムがいますし」
……ベルフラウ。どっちが保護者だ、その発案は。
なんとなし情けない顔になってしまった赤髪三人を見渡して、海賊一家が笑い出す。
「あははは、名案ー!」
「でも、プニムじゃお目付けは出来ても報告は出来ないんじゃない?」
「テコを間に入れれば問題なしですわ」
スカーレルの指摘もさらりと流し、ベルフラウは涼しい顔で、レックス、アティ、を一瞥。
いかがですか、と問いかける視線に抵抗するすべは――ないわけでもなかったが、三人は同時に白旗を振っていた。