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【休日本番】

- 夜にいずる青年 -



 そんなこんな、あんなこんなで、後半こそどんでん返しではあったものの、何はともあれ休日は終わりを迎えた。
 いつものように、就寝前、子供たちと話しているらしいふたりの声が、甲板から聞こえている。プニムの用足しのために船外に出ていたは、頭上から零れる楽しそうな声(何を云ってるのかまでは判らないが)を聞きながら、茂みの向こうに行ったプニムが戻るのを待っていた。
 蛇足。
 船にもトイレは据えつけてあるが、召喚獣たちだと滑って落ちるのだ。トイレ要らずのアール、オニビ、キユピーはともかくとして、テコしかりプニムしかり。
 ……下世話なお話を失礼しました。
 まあ、そんなふうにが待機することしばし。そろそろ戻ってくるころか、と、夜空を見上げていた目を茂みのほうへと向けたときだった。

「あ」

 ふわり。と、蒼白い光が、すぐ前を飛んで消える。
 蛍のようで蛍じゃない。
 この世の者でない誰かがまとう、光だ。身近なところでは、ファリエル。彼女の周囲にたゆたう光。
 ふわり、ふわふわ。
 流れてくる幾つかの光。
 その流れに逆らって、出所を探すために視線を動かした。
「ファリエルさ……」、
 そこは、プニムの飛び込んでいった茂みから、少し離れた林の入り口。
「ん、じゃ、ないですね」
 蒼白い光をまとった、いつかどこかで見たような気のする青年が、穏やかな微笑みを浮かべて存在していた。
 このひとも、以前の戦争とやらで命を落としたひとりなのだろうか。
 その割には、ファリエルに似た、優しい印象の笑顔。彼女もそうだが、とても亡霊と同じだとは思えない。
「……こんばんは」
 それなりに距離があるはずなのに、その声は、やけにはっきりと耳に届いた。
「はい、こんばんは」
 既視感。
 島に流れ着いた最初のころ、このひとと、同じようなやりとりをした気がする。
 立ち上がって近くに行こうとしたを、だけど、そのひとは手のひらを突き出して押しとどめた。
「……話をするのは、初めてだね。
「えーと……なんで名前知ってるんですか?」
「いつも見てるから」
 場合が場合なら、ストーカーかよ、とかツッコミ入れてみるところだ。色合いもなんとなく、どこかの悪魔詩人に似てることだし。ハートマーク服はないけど。
 などと間の抜けたことを考えていると、そのひとは笑みを深くして口を開いた。
「……まずは、頼みがあるんだ」
「突っ走れ、ですか?」
 は、この声を知っていた。
 数言ことばを交わして、確信する。――島に流れ着いたあの日。そして、時折夢のなか。波の音やまどろみにまぎれて、なんだかあれこれ勝手に話してった声だ。
 返答に、その青年は困ったようにまなじりを下げた。
「……うん。そうだね。そのとおりだ」
「だけど……」、
 ちくり、胸に刺さった棘がその存在を主張した。
 思ったとおりに行動して、アティの心に大きな陰を落としてしまった。今日明らかになったこの事実は、他でもない自分が突っ走って招いた結果だ。
 そんな後ろめたさが、にことばを紡がせる。
「そういうことは、もっと、それを欲しがってるひとに云ってあげたほうがいいと思いますけど」
 云いながら描くのは、レックスとアティ。
 たまに見せる彼らの迷いは、そう簡単に払拭できるものでないとは知っていても、今の自分よりは遥かに素直に、目の前の青年からのことばを受け止めるだろう。
「……うん」
 そうだね、と、青年は云った。
「でも……今は彼らの前には出られないらしい。あちらの力が強すぎて……精々、剣を通じて語りかける程度……」
「剣」
 は、おうむ返しに、ことば尻を捕えて復唱する。
「――碧の賢帝?」
「ああ」
「何か知ってるんですか、あれのこと」
 いや、
「アティに話しかけてるのは、あなたなんですか?」
 ことばに混じった嫌悪感に、気づいたのだろう。それとも、話題がそこに移ったせいか。
 青年の表情から、笑みが消えた。
「……いいや。おそらく、それは僕であって僕じゃない」
「謎かけはいいです。欲しいのは答え」
 うっすらと霞みだした彼の足元に焦りを覚えたは、先ほど制止されたことも忘れて身を起こした。
 が、まるでそれが合図だったかのように、青年の身体は急激に輪郭を薄らがせていく。
「待――」
「覚えているかい?」
「……へ?」
 思い出話でも始めそうな切り出しと、その唐突さに、踏み出そうとした足が止まった。
 目を丸くしたを見て、青年は、にこりと笑みを残す。

「海を。……君は、覚えてくれているかな?」
「は……?」

 あたし、このひとと海に行って砂浜でウフフアハハと追いかけっこでもしましたか?

 記憶の棚をひっくり返してみるが、答えは当然“否”。
 これは、もしや、はぐらかされた!?
 思考のために一瞬足元に落とした視線を慌てて戻したときには、遅かった。

「……やられた」

 光の残滓さえ、すでにそこになく。
 静かに夜風が吹き抜けているその場所には、青年のいた痕跡など、欠片たりとて残っていなかったのである。

「ぷ?」
 いつの間にか戻ってきていたプニムが、足元に佇んで、ちょこんと首を傾げていた。 


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