滝で目の保養をしてマイナスイオン(リィンバウムにあるのかどうか、それ以前に誰かそんなもん知っているのか)を浴びたあと、やはり氷に彩られた林を見物した一行は、山を降り、今度は海辺へとやってきた。
「……おおう」
そしてまた、そこらであがる歓声。
「あっちが冬の絶景なら、こっちは春の絶景だな」
目の前に広がる花畑を見渡して、カイルが感じ入ったように云う。
も、他一同も、大きく頷いた。
わりと大きめの島であるとは知っていたが、場所によってここまで光景が違うとは思わなかった。かたや氷、かたや花。
しかも、
「ねえ、あの海、湯気が立ってない?」
兄に倣うようにして手でひさしをつくっていたソノラが、もう少し歩いた場所にある潮溜まりを示す。
云われて視線をそちらに向けると、たしかに、白い湯気が立ち上っていた。
「温海だと云ったでしょう? あのあたりは天然の温泉が湧き出ているのよ。当時の名残で真水に濾過されつづけているはずだし、入って行くなら止めないわ」
「うへー、なんていうか、スゴ」
感心に半ば呆れを混ぜて、ソノラがアルディラの解説をまぜっかえす。
だが、まあ、たしかに。
無色の派閥ってば、何、地域おこしの活動めいたことなんてやってるんだか。
「厚生施設のために利用されていたんだもの、当然でしょ」
くすくす笑って、アルディラが云う。抱っこされてるプニムが「ぷ!」と一声鳴いて走り出した。
誰が止める間もなく、ホップステップジャンプ。そして、お湯しぶきがあがる。
「うわ! 早ッ!」
突っ込んだのは誰だったか。
ともあれ、それに触発されるようにして子供たちも走り出した。着物のまま飛び込んだスバルを見て、ミスミが大笑いしている。
「あのひとも、ここがとても好きだったのよね……」
どこか懐かしそうに、少しだけ寂しそうに。小さくつぶやくアルディラの声を聞きながら、
「……プニムはともかく、スバルくんたち風邪ひきませんか」
などと心配してはみたが、それは浅慮というものだったらしい。がそう云った直後、キュウマが無言のまま、背中に背負ってた大きな荷包みを解いた。
出てきたのは、おそらく、スバルの着替えと思われる着物。それに、これは完全な予備なのだろう、子供用にしては大きめな着物が何着か。
「……準備がいいんですね」
「イスアドラの温海であれば、こうなるとは思っていましたし」
思わずつぶやいたヤードに、キュウマはさらりと応じた。
きゃあきゃあと、水もといお湯のかけっこなどして騒ぎ出した子供たち――いつの間にかナップら四人も参戦してる――を眺めやり、着物の数を数えている。ひいふうみい、合計八着。
ナップたちとスバル、パナシェを足して、まだおつりがくる数だ。プニムやアール、オニビ、キユピー、テコは数えない。当たり前だ。
あ、アールは除外。錆びるんだろうか、海に入るつもりはないらしく、足の出力でふよふよと水面を移動してる。
そうして、残る面々はというと、さすがに子供たちのような真似は出来ない大人ばかり。ならば彼らは何をするかというと、子供たちが見える距離で、各々花畑に腰かけて、まったりとした時間を過ごし始めていた。
……なんてゆーか、大家族で旅行に来たっていっても通用する光景じゃなかろーか。
などと思うも、実はひとのことを云えない。
すとんと足の力を抜くと、今まで立っていたその場所に、背中から倒れ込んだ。
草と花のいくつかが舞い上がって風に攫われ、視界を掠めて去っていく。
それに紛れるようにして、マルルゥがふわふわ飛んでいた。
「……なんだか、とってもいい気持ちですよぉ〜」
そう云いながらの肩に止まる、彼女の頭を撫でてうなずく。
「うん。ぽかぽかして、すっごくあったかいよね」
「昼寝するには、うってつけだろ」
「シマシマさんは、いつも寝てばっかりじゃないですかぁ」
ひょっこりやってきたヤッファのことばに、マルルゥが反論する。が、ヤッファは指を左右に振って、
「いや。ここでひと眠りしてから湯に浸かったりするとだな、これが最高に気持ちいいんだ」
「……ヤッファさん…………年寄りくさい……」
年寄り上等、と、負け惜しみなのか、それともまごうことなき本音なのか――たぶん後者なのだろうつぶやきとともに、どさりとヤッファは寝転んだ。
いつもなら起こそうとするマルルゥも、今日ばかりはこのぽかぽかに負けてしまったのだろう。の肩から離れると、ヤッファの隣にふらふらと飛んでいってダイビング。出てこないところを見るに、彼女もお昼寝に突入しちゃったらしい。
ここでお昼食べる予定だったんだけど、この分じゃ、水遊び組と昼寝組の気が済むまでお預けかも。
「……ありゃ」
ふと視線をめぐらせた先では、子供たちに引きずり込まれたか自分から突っ込んで行ったか。判らないけど、アティとカイルも水遊びに参加していた。
これで、着物が全部使用される目途がたったと。よかったねキュウマさん。
……そういえば。
水遊びしてる教師の片割れは、どこ行った?
きょろきょろ見渡してみるけれど、前方にも左右にも、ちょっと跳ね気味の赤い髪は見当たらない――――
ぴた。
「うひやぁッ!?」
不意に。頬に触れた冷たい何かに、は飛び上がった。
前方の地面に手をついて、あわてて身体を反転させる。――犯人の姿より先に、犯人の持ったコップが目に入った。ジュース入りの。
「……れっ、くすさん!」
「ご、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
ちょっとした悪戯のつもりだったんだけど。
の反応で逆に驚いたんだろう、心なし目を丸くして謝罪するレックス。それから、の叫びに目を覚ましもしないヤッファとマルルゥに、がくりと力が抜ける。
「隣いい?」
「……どーぞ」
むう、と口をとがらせながら応じ、コップを受け取った。レックスの向こうでは、何人かで分担して持ってきた弁当が広げられていた。
お茶かジュースかを飲んでいるミスミがの視線に気づいて、腹が減ったら食べにおいで、と、口の動きだけで伝えて笑う。……ミスミ様、今の見てたな。
どういう仕掛けなのか、出発してから数時間たったはずのジュースは、コップを持つ手と通す喉を、ひんやりと潤す。
ひとしきり甘酸っぱさを堪能して、は、無言のままいるレックスを見上げた。
「いいんですか、遊ばなくて?」
「うん。俺よりアティが遊ぶほうが大事だから」
「……?」
はにかんでいるような、だけど、何か気がかりがあるような。そんな笑みを浮かべたレックスの返答に、首を傾げる。
話すつもりではあったのだろうか、躊躇するような間も置かず――だが、他の誰に届かぬ程度の声で、レックスは疑問に応じた。
「アティのほうが、きっと疲れが溜まってるはずなんだ。だからね」
「女の人、だからですか?」
男尊女卑、というわけでもないんだろうが、苦心の度合いではレックスもアティもそう変わりはしないはずだとは思う。
同じ仕事、同じ生徒、同じ……
考えをめぐらせるより先に、レックスのことばが耳に入った。
「そうじゃない……アティの方が、碧の賢帝からの負担が大きいだろうからなんだ」
「――――!?」
驚愕が。顔に出なかっただろうか。
とっさに無表情を装ったけれど、それは、間に合っただろうか。
判断するために目だけをちらりと動かすが、遊んでるみんなもくつろいでいるみんなも、こちらを注視していた様子はない。
それを確認して、はコップを口につけた。飲み干しはしない。両手で抱えて持ち上げたそれは、ただのカムフラージュ。
「どういうことなんですか?」
声は自然と強くなる。大きくは、ならないけど。
レックスは、どさりと背中から倒れこんでいた。花の上に投げ出した四肢は力を抜いているようだけど、手のひらは握りしめられている。
晴れ渡った空を見上げて、彼は淡々と告げた。
「アティと違って、俺には、碧の賢帝の声が聞こえない」
「……それは、いつかアルディラさんと話してたときの?」
「ああ。もう少し、前から。俺には聞こえない声を、アティは、ずっと聞いてる。問えば応えがあるし、ほかにもいろいろ話しかけてくるんだそうだ」
「――――」
ごまかさねばならないことも忘れて、は、まじまじとレックスを見下ろした。直前まで見ていた正面からは、子供たち、そしてカイル――アティの賑やかな声がする。
レックス。
アティ。
同じ赤い髪、同じ蒼い眼、同じ優しい心。
本当によく似ている、姉弟。
「……」
ふ、と。
見返してきた蒼い双眸が、細められた。
確りとに視線を固定してから、レックスは、ゆっくりと唇を持ち上げ、
「――――おかあさん」
と、つぶやいた。