舗装された道を突っ走り、寂れて久しい建物の間を駆け抜けて、はスクラップ置場に辿り着いた。
一旦足を止めて、周囲を見渡す。
先日訪れたときとあまり変わっていないようだが、ところどころの山が見覚えている形と違う。新しく投げ込まれたのもあるんだろうし、カイルたちが船の修繕のために運び出した分が減ってもいるんだろう。
「……ええと」
どうしよう。判るだろうか。
少し焦りながら、積み上げられたスクラップの上を歩いていく。
がしゃ、がしゃ、と、金属が擦れる耳障りな音が響いた。
「――――」
がしゃ、がしゃ。
がしゃ、がしゃ。
がしゃ、ごっとん。
十数歩めを数えたとき、唐突に、斜め前にあったスクラップが崩れた。鈍い音を立てて、丸い金属塊は転がり落ちる。
がしょん。
そうして、その金属塊があった場所から、一本の腕が生えた。
「もしもし、そこの生体反応のお方」
腕の根元から、聞き覚えのある合成音声がした。
ひらひらと、やけに滑らかな動作で手が振られた。
「よろしければ、そこらの瓦礫を退けて陽光を取り入れる隙間をつくっていただきたいのですが……」
「…………」
「む?」
声に、怪訝な色が混じる。
「もしやあなたは、先日自分を突き飛ばして走り去った方ではありませんか?」
なんで判るんだろう、そんなの。
頬を濡らすものをそのままに、は、反射的に凍りついた身体を無理矢理動かした。関節がきしんだ気がするが、そんなのは無視する。
――違うんだよ。
自分に云い聞かせる。
――ゼルフィルドじゃないんだよ。
歯をくいしばって、突き出した手に触れた。
――ほら。
――彼はここにいる。
ぼたりと落ちた水滴を感じたのだろう、瓦礫の下で声の主が大慌て、何か叫んでいるようだが、そんなのは気にならなかった。
あの錯乱が嘘のように、すんなりと触れられたことへの驚きと感謝が大きかったから。
……見当はずれなことをわめく声をBGMに固まっていることしばし、硬直から解けたがしたことは、要望どおりに瓦礫を退かすことだった。
プニムをアルディラのところに行かせたのが、今となっては悔やまれる。
が、幸い大物はなく、にでも運べるものばかりであったため、作業は比較的迅速に終了を迎えた。
そうして。
改めて、その姿を目の前に見る。
「――――」
「うう、泣かれるとどうすればいいのか判らないであります……」
「しょうがないじゃない、涙腺が壊れるんだから」
やけに人間くさい仕草で後頭部に手をやる機械兵士を、軽く叩いてそう云った。
硬い金属の触感が伝わる。
遠いあの頃、しょっちゅう触れてた、感じてた、この手触り。
己の手をしみじみ眺めるを見て、瓦礫の下から這い出してきた機械兵士は、ぎこちない動作で首を傾げた。
腕と上体をどうにか動かして出てきた彼だが、どうも、立ち上がったりそれ以上の動作をするためには、もうちょっと充電しないといけないらしい。――それで、たしかアティとカイルがバッテリーを都合したんだっけ、と、思い出した。
ソーラーパネルが破損してるそうだが、だいじょうぶなのだろうか。問いかけたところ、
「破損と云ってもごく僅かであります。エネルギー充填率が85%に落ちてはおりますが、一度満タンにしておけば、以後戦闘外の動作に支障ない程度に補充は出来るのであります」
と、なんか誇らしげな返事が返ってきた。
「ふうん……」
ぺたぺたと触りながら、生返事。
「あ、あの」
ぺたぺた。
「その」
ぺたぺた。
「あのー……」
ぺたぺたぺた。
「何?」
やっと応じたに安堵したか、機械兵士は、ほう、と肩を上下させる。
「何故、そんなに触られるのでありますか?」
「懐かしいから」
「懐かしい?」
即答すると、殆ど間をおかずおうむ返しされた。
「うん。懐かしい。あたし、あなたみたいな機械兵士を知ってるから」
「……おお!」
感激の声があがる。
「ということは、同胞でありますな!? なんと仰るのですか!? 是非型式など教えていただきたいのですが……!」
歓喜あふれるその声に、はゆっくりとかぶりを振った。
……まるでゼルフィルドに云うみたいだ、と、一瞬よぎった錯覚を振り切るために。
真正面から、機械兵士を見上げる。
彼は違う。
彼は違う。
ここにいるのは、別の意志。別の心。似てはいるけど、別の存在。
代わりにもならない。八つ当たりの対象になんてしたのは失礼。
「……あのね」
「は!」
「ゼルフィルドっていうの。でも、もういない」
「――――は……」
もしも彼が人間だったら、冷や汗くらいたらしてただろうか。そんな声だった。
がきょん、と音を立てて硬直した機械兵士の腕を、軽く叩いてやる。
「……死んじゃった。敵わない相手に、自分から突っ込んでいって。止めたのに、行かないでって云ったのに……何も云わずに、行っちゃった」
「……自爆、でありますか」
「そう」
確かに、本機にもその機能は搭載されておりますが、と、彼はごにょごにょつぶやいた。
「お嬢さんは、ゼルフィルド殿が大好きだったのでありますな」
「うん」
「ゼルフィルド殿は、お嬢さんを大事にしてくれていたのでありますな」
「うん」
判りきったことだった。
自分の気持ちはともかく、ゼルフィルドのそれだって、うぬぼれなんかじゃない。
――だから。もう少しで、また同じ道を歩けると。
見えた瞬間に見失ってしまった光が、ひどく痛い。
「でしたら、ゼルフィルド殿は、自分のことでお嬢さんがいつまでも泣いていることを辛く思うのではないかと、不肖ながら思うのでありますが……」
「判ってる」
あの光景にまた直面するようなことにならなければ、と、振り返るのは簡単。実際、それがなければ、長い時間をかけてその瞬間だけ風化させることが出来たとしても。優しかった日々だけを思って、生きていくことが出来ていたとしても。
けれど、今、はここにいる。
乗り越えられなければ、ずっと、時間を彷徨う羽目になる。
待ってなんてくれない。
帰る先の時間は動かなくても、自分の時間は動いていく。何年も彷徨ってから帰るなんて、それこそ逆浦島太郎。
――――越えたいと。
思ったから、はここに来た。
恐る恐る、機械兵士を振り仰ぐ。
「……お願いが、あるんだ。突き飛ばしといて図々しいけど」
一瞬、ねぼけるなって怒られるかと思ったけれど、それは意味のない心配だった。
「は! なんでありましょう?」
なんだか嬉しそうに聞き返してくる声を聞いて、また、目の奥に熱が生まれた。それが引き起こす衝動のまま、“お願い”を口にする。
「声が聞きたい」
「は……」
「声が聞きたい。ゼルフィルドの。――――あたし、云ってもらってないんだ」
それは、自分勝手な。
どこまでも、自分の都合だけを優先したことだと自覚している。自己嫌悪も生まれている。
けれど、口にしてはっきりした。
……あたしは、それが欲しかった。
終われない。
終わらない。
その一言をもらうまで、あたしの中であの瞬間は終わらない。
実に手前勝手なその願いに、機械兵士がうろたえる。
「その、それは、本機にゼルフィルド殿のデータがありませんので、さすがに無理ではないかと思う次第なのでありますが……」
「……真似してほしいわけじゃ、ないんだよ」
まだまだ鈍い動作でぎこちなく動く腕に触れて、は笑う。自分でも、それを信じられないと思いながら。
「あなたなら、なんて云う?」
見上げた先は、ゆらゆらと揺れていた。
陽炎のよう。
幻のよう。
それが自分の眼に溜まった涙のせいだと判ってはいても、拭い去る気にはなれなかった。
――ゆめを。
この、ほんのいっときでいい。
――ゆめを。みせてほしいと。
「お願い。……あなたは、なんて云う?」
背中は遠く。
声は届かず。
手は達さず。
――あの瞬間、欲しかったものが。ゆめでもいい、叶うなら。
夢ではなく。
ゆめがいい。
「……」
機械兵士は、動きを止めて沈黙した。
微かな駆動音だけが、訪れた沈黙の間をすり抜けて響く。
――どれほどの時間、そうしていただろう。
ぽん、と。
硬くて冷たくてあったかくて優しい手のひらが、の頭上に触れた。
本機なら、と、小さくつぶやいて。
“彼”は云った。
「――――さようなら」
、と、云うであります。
「……うん」
こくり、と、一度頷いた。下げて戻した頭に、また、手が触れる。
緩慢に己の腕を動かして、懐のそれに触れた。
「ばか」、
あの夜つぶやきつづけたそれを、もう一度、口にした。
そうして、そのつづきを、
――――やっと、
「さよなら―――――」
……やっと……云えたんだね。
ありがとう。
すくわれる。
それがゆめだと判っていても、“彼”にそう云えたことが、救いになる。
そう思えた自分が、これから自分を救うのだ――